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《ごあいさつ》
この度は、原民喜文学を継承する会「広島花幻忌の会」のコミュニティにご訪問ありがとうございます。

当会は、原民喜の文学作品及び文学資料を、市民の文化遺産として継承するため、2000年に発足致しました。

活動としては、年2回の集い(原民喜生誕祭…11月・原民喜命日の集い…3月)の他、不定期で研究会や講演会・展示会・朗読会・「夏の花」を歩く文学散歩の会などの催しを開催。また、機関誌や民喜作品書籍の編纂及び発行も行っております。

会員各位へのお知らせは、これまで会報「近状通信」に依って行ってきましたが、この度広島花幻忌の会ブログ及びGoogle+ページを開設し、どなたでも閲覧可能に致しました。より広く多くの皆さまに、原民喜の希いをお届けできるかと存じます。(集いや催しには、会員外の方も無料で参加可能、お気軽にご参加ください!)

会からの発信及び会の活動は、文学者・研究者・教育者などで構成する世話人会での審議・検討を経た上、顧問 原時彦氏(著作権継承者)の許諾・承認を得て行い、原民喜文学を次世代へ望ましい形で継承するべく努めております。

このコミュニティでは、これからも原民喜に関する情報を、より良い形でお届けしたいと存じております。ご意見などのコメント、情報提供も大歓迎です。市民の皆さまと共に原民喜を継承致します。原民喜に関する情報交換の拠点となりましたら幸いです。どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。

広島花幻忌の会

※なお、ブログ及びGoogle+コミュニティは、顧問・原時彦氏(著作権継承者・原民喜の甥)長女・友光民子氏をオーナーとし、運営には世話人会の複数人が携わっております。どうぞ宜しくお願い申し上げます。


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広島花幻忌会のパンフレット
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2017/04/23
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皆さん、宜しくお願いします。

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永遠のみどり

原民喜

 梢こずえをふり仰ぐと、嫩葉わかばのふくらみに優しいものがチラつくようだった。樹木が、春さきの樹木の姿が、彼をかすかに慰めていた。吉祥寺きちじょうじの下宿へ移ってからは、人は稀まれにしか訪たずねて来なかった。彼は一週間も十日も殆ほとんど人間と会話をする機会がなかった。外に出て、煙草を買うとき、「タバコを下さい」という。喫茶店に入って、「コーヒー」と註文ちゅうもんする。日に言語を発するのは、二ことか三ことであった。だが、そのかわり、声にならない無数の言葉は、絶えず彼のまわりを渦巻いていた。
 水道道路のガード近くの叢くさむらに、白い小犬の死骸しがいがころがっていた。春さきの陽ひを受けて安らかにのびのびと睡ねむっているような恰好かっこうだった。誰にも知られず誰にも顧みられず、あのように静かに死ねるものなら……彼は散歩の途中、いつまでも野晒のざらしになっている小さな死骸を、しみじみと眺ながめるのだった。これは、彼の記憶に灼やきつけられている人間の惨死図とは、まるで違う表情なのだ。

「これからさき、これからさき、あの男はどうして生きて行くのだろう」――彼は年少の友人達にそんな噂うわさをされていた。それは彼が神田の出版屋の一室を立退たちのくことになっていて、行先がまだ決まらず、一切が宙に迷っている頃のことだった。雑誌がつぶれ、出版社が倒れ、微力な作家が葬られてゆく情勢に、みんな暗澹あんたんとした気分だった。一そのこと靴磨くつみがきになろうかしら、と、彼は雑沓ざっとうのなかで腰を据えて働いている靴磨の姿を注意して眺めたりした。
「こないだの晩も電車のなかで、FとNと三人で噂したのは、あなたのことです。これからさき、これからさき、どうして一たい生きて行くのでしょうか」近くフランスへ留学することに決定しているEは、彼を顧みて云った。その詠嘆的な心細い口調は、黙って聞いている彼の腸はらわたをよじるようであった。彼はとにかく身を置ける一つの部屋が欲しかった。
 荻窪おぎくぼの知人の世話で借れる約束になっていた部屋を、ある日、彼が確かめに行くと、話は全く喰くいちがっていた。茫然ぼうぜんとして夕ぐれの路みちを歩いていると、ふと、その知人と出逢であった。その足で、彼は一緒に吉祥寺の方の別の心あたりを探さがしてもらった。そこの部屋を借りることに決めたのは、その晩だった。

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