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苫野一徳
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愛せない場合は抱きしめよ!?
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西日本新聞での連載「教育哲学への道」
1年半にわたって西日本新聞で連載してきた「教育哲学への道」。 よろしければぜひお読みください。
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熊本日日新聞に、小・中学生向けインタビューが掲載されました
 子どもたちの「夢」特集に、インタビューが掲載されました。よろしければぜひ お読みください。
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ニーチェ『この人を見よ』
はじめに  ニーチェ最後の自伝的著作。   「この人を見よ」 (Ecce homo)は、言うまでもなく聖書の言葉。  ローマ帝国のユダヤ総督ピラトが、逮捕された イエス・キリスト を指して言った言葉だ。  自身を、キリスト教を打ち倒し、それに代わる価値を打ち立てた哲学者と考えたニーチェらしいタイトルだ。  各章のタイトルは、 「なぜ私はこんなに賢いのか」「なぜ私はこんなに利口なのか」「なぜ私はこんなに良い本を書くのか」「なぜ私は運命であるのか」 と続く。  これだけを読めば正直失笑を禁じ得ないのだが、ニーチェ...
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マルクス・アウレーリウス『自省録』
はじめに  第16代 ローマ皇帝 にして、 後期ストア派 の哲学者でもあった マルクス・アウレリウス (121−180)。  本書は、古代ローマの「人生訓」とでも言えるだろうか。  書かれていることは、前時代のストア派の哲学者 エピクテートス の思想とさして変わり映えはしない( エピクテートス『人生談義』 のページ参照)。  しかし、皇帝自らこのような書を著し、またその内容に忠実に生きようとした生き様に、心打たれる思いがする。  思い通りにならないことにこだわるな。自らの欲望に対して泰然自若とせよ。  現代な...
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ベルクソン『笑い』
はじめに  物事の本質を洞察する営みとしての哲学の、1つのお手本のような作品だ。  「笑い」とは何か。それは、本来生気あるべき人間における、ある種の 「強張り」 に対する可笑しさである。  ベルクソンはそのように言う。  このことを、さまざまな実例を通してベルクソンは例証していくのだが、その試みはかなりの程度成功しているように思われる。  もっとも、このベルクソンの「笑い」の理論は、これまで多くの哲学者によって批判もされてきた。  たとえば バタイユ は、その著 『内的体験』 において、ベルクソンをひどくこき...
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セネカ『生の短さについて』
はじめに  2000年前の自己啓発書、とでも言えるだろうか。  しかしその内容は、現代でも十分傾聴に値する。  生はそれ自体としては決して短くない。ただ浪費するから短く感じられるだけなのだ。  岩波文庫には、 「生の短さについて」 に加えて、 「心の平静について」「幸福な性について」 の3篇が収められている。  以下、それぞれ紹介していこう。  私たちはどうすれば幸福に生きられるのか?  古代ローマの ストア派 哲学者の知恵が光る。 1.生の短さについて  セネカはまず次のように言う。 「われわれにはわずかな...
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竹田青嗣『欲望論 第2巻:「価値」の原理論』(その3)
1.芸術の「本体」論  続いて、竹田は「芸術」の本質へと筆を進める。  従来、哲学的芸術論には何かしらの「本体論」がつきものだった。  たとえば カント は次のように考えた。 「芸術の与える感銘の本質は、神のみが造り出しうる自然の形象 の驚くべき美(合目的性)を、特別の才に恵まれることで人間も創出しうることへの驚きであり、そ れゆえ天才のみが芸術の担い手である —— 。カントのこの見解は、芸術とは神の業の人間的模倣であ り、それ自体が一つの賜物であるという観念に支えられている。 」  カントにおいては、芸術は...
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竹田青嗣『欲望論 第2巻:「価値」の原理論』(その2)
1.価値審級の源泉=「母」–「子」における「言語ゲーム」  これまで「母」(養育者の総称)と「子」における「言語ゲーム」について見てきたが、竹田によれば、これは人間的価値審級の源泉と言うべきものである。 「われわれの仮説は、言語ゲームという成育の環境を欠くなら、「子」は定常的な「関係的身体性」の形成を損なうだけでなく、そのことによって人間的価値審級「よい–わるい」「きれい–きたない」の形成を欠くということ、すなわち、「母–子」の言語ゲームは人間的価値審級の源泉にほかならない、という仮説である。」  人間は、こ...
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竹田青嗣『欲望論 第2巻:「価値」の原理論』(その1)
1.「快−不快」「エロス的予期−不安」  第1巻の最後に、竹田は「身体」の本質を、 1.エロス的感受、2.存在可能、3.能う 、として描き出した。  続く本巻では、まずこれら3つの本質契機の内実および発生論が展開される。  はじめに、身体における 最も原初的な「エロス的感受」としての 「快」 の本質について。 「身体的エロスの本性において、「快」の本質は第一義的に「貪ること」すなわち「享受」であって、「回復すること」、定常状態への復帰ではない。快の本性はいわば「もっと」を求める「力への意志」であって、回帰への...
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哲学者から見たアクティブラーニング
以前 「じっきょう資料」 に寄稿した「哲学者から見たアクティブ・ラーニング」の第1弾および第2弾が、webでダウンロードできるようになりました。 よろしければぜひお読みください。ほかにも興味深い寄稿がたくさん。 「哲学者から見たアクティブ・ラーニング(1)」 「哲学者から見たアクティブ・ラーニング(2)」
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