Profile cover photo
Profile photo
Naoya Ito
5,186 followers
5,186 followers
About
Naoya Ito's posts

そして輝く ウルトラソウッ

最近はやりのPivot なんだけど、Pivot前提のサービスとか誰が使いたいと思うんだろう? 将来Pivotする前提なのと、何が何でもと思ってたけど結果としてPivotしたというのでは話が違うんじゃないの。どこぞの成功体験をすぐ一般化して流布するのは業界の悪習じゃないかと思う

Pivot、という単語を見ると「ピボット! ピボット!」って急かされているような感じで、反復横跳びしている自分の姿を必死で思い浮かべる。

昔、社会科でなんかの法律の名前がわからないから苦し紛れに「バズーカ砲」って書いたら1点もらった友人がいた。その後彼はバズーカ永井と呼ばれるようになった。

Facebook や Twitter がやがて「寒いですね」「そうですね」という交話的なコミュニケーションの場に終始していくだろうというのは、一方でそのような交話的コミュニケーションというのは人間が生きていくために必要なものだから、それそのもの自体が悪いわけではない。

そうではなくて、そんなプラットフォームが支配的になって一方で議論のための場、というものが立ち上がらないあるいは存在を示すことができない、という状態が続くというのがとても窮屈なんだとおもう。混在ではなく、併存するような形で、そのような場があって欲しい。

Facebook も Path もいいんだけど、リアルグラフなのが良いというのはやっぱり盲目的だなと感じる。リアルグラフが中心になると、そうでない場合にもまして、自己充足感やつながりそのものを自己目的化したようなコミュニケーションが中心になっていって、やがて人の増加に伴いそれが加速されて果ては衆愚化の様相を見せる。日本では mixi にみたのと同じ過程を、いまの facebook は辿っている。

Twitter も結局はコミュニケーションプラットフォームとしての価値を増幅させたいがために、Facebook ほどでないにしろそのような方向に向かっている。

真の意味での言論の自由、複数の理説が自由にゆきかう公共的な言論空間がいずれそれぞれの所論の理非について判定を下してくれるであろうという場 (by 内田樹) 、そんなプラットフォームは未だウェブには立ち上がっていない。それはそもそも立ち上がることが不可能なのか、可能性はあるが実現されていないのか、そこはわからないけど、そのようなものが立ち上がらない限り、一生、ウェブは救われない。

Facebook も Twitter も窮屈なので Google+ に書いてみるけど、どうだろう?

・新しいものを創り出すというのはそれほど簡単ではありません。創造するということは個人的であり具体的なことだからです。

・それは固有名のタグのついた「現物」を人々の前に差し出して、その視線にさらし、評価の下るのを待つということです。いわば自分の柔らかい脇腹を鋭利な刃物に向かって差し出さなければならないということです。創造するものは、匿名性にも忘却にも逃れられない。自分で創ってしまった「物」がそこにあるのですから、逃げも隠れもできない。

・創造性の怖さというのはそのことです。逃げも隠れもできないということです。自分が作り出したものが、そこにあって、自分がどの程度の人間であるかをまるごと示してしまう。

・だから、全能感を求める人はものを創ることを嫌います。創造すると、自分がどの程度の人間であるかがあからさまに暴露されてしまうからです。

─ 内田樹『呪いの時代』

内田樹の『最終講義』を読んだけど、これ技術評論社の本なんだね。技評から人文科学系の本が出てるなんて。

こんにちは
Wait while more posts are being loaded