Profile cover photo
Profile photo
ギャンブル依存症研究所
71 followers
71 followers
About
Posts

Post has attachment
テーマ・書評『コンビニ人間』村田 沙耶香(文藝春秋)

goo.gl/GfG9k6
珍しく、話題になったばかりの芥川賞受賞作を読んでみた。

コンビニだけに繊細に適応してきた主人公は、世間的には常識外れの人物だが、彼女自身そのことがなかなか了解できない。
かといって、そこで居直るでなく、コンビニという世界における”正常化”の波によって排除されないよう、懸命に秩序正しく生きている。
その彼女が、恋愛・結婚・就業という世間的常識に取り込もうとする周囲の男女、また歪んだ自尊感情のみ温め自閉的・廃絶的に生きている青年とからんでいくうちに、何が正常かが分からなくなっていく。
コンビニというドメスティックな秩序で構成される小社会は、よく社会的批評の対象になるが、そのコンビニのインサイダー目線で、そこから定点観測のように眺めるとこんな異世界が見える、という展開が非常におもしろい。

本書を読んで、私が幼少期に読んで瞠目した、晩年期トルストイの名作小品『イワンのばか』を想起した。
goo.gl/gOXLdv
どちらもイノセントな主人公が語る奇天烈な話に耳を傾けているうちに、本当に倒錯しているのは誰なのか分からなくなるという意味で、とても痛快かつ考えさせられる小説だ。
最後に、少し野暮ではあるが、精神医学的考察を少し。
『コンビニ人間』の主人公は、こんにちでいうアスペルガー症候群を感じさせる人で、世間で言う当たり前がなかなか通用しない。でも一所懸命、世間と摺り合わせようと尽力している。作者の村田氏はしっかり人物造形をされる人だそうだから、彼女=主人公ではないだろう。アスペルガー症候群のことを何も知らず、このような人物像を作り上げたのだとしたら、驚異的な想像力である。
本書は、日頃KYな人として敬遠されがちなアスペルガー症候群の”実はとても豊かな世界”を垣間見ることができる小説だ、ということもできる。

熊木徹夫(あいち熊木クリニック<心療内科・漢方外来>/〒470-0136  愛知県日進市竹ノ山2-1321/TEL:0561-75-5707/ http://www.dr-kumaki.net/ )

Add a comment...

Post has attachment
「ストレスチェック、その後の裏事情」

最近ようやく社会全体に浸透してきたかに見える「ストレスチェック」ですが、運用過程でいくつかの懸念材料が見えてきています。
あいち熊木クリニック(心療内科・精神科)の「ビジネスマン(ストレスチェック)外来」においても、それらを垣間見ることができます。
ここでは、そのいくつかをご提示することとします。

さて、ここで再度確認です。
そもそも「ストレスチェック」とは、何か。
これは、厚生労働省が「労働安全衛生法」の法令改正により、2015.12.から、50名以上の労働者を有する会社・事務所での実施を義務付けたものです。
その主な目的は、労働者のストレスを簡単なチェックであぶり出し、労働環境の改善、そしてひいては労働者の精神疾患発症を未然に防ぐというものです。
http://www.dr-kumaki.net/kimo/stress_check/

ここでも私が記載している通り、”このたびの「労働安全衛生法」の法令改正はあくまで、労働者の権利を守るための法令改正”です。
ゆえに、労働者サイドを庇護するため、あらかじめいくつかの重要な取り決めがなされています。

1)ストレスチェックは、労働者にそもそも受検義務はない。
2)受検した結果は、本人のみに直接通知され、事業者サイドにはもたらされない。
3)ストレスチェック受検の結果、「高ストレス者」(自覚症状が高い方や、自覚症状が一定程度あり、ストレスの原因や周囲のサポートの状況が著しく悪い方)と認定された場合、労働者自身がそのことを事業者に直接申し出ると、医師(主に会社産業医)による面接指導が受けられる。
4)受検結果は、社員本人が同意した場合に限り、事業者は先の医師から意見聴取することができる。
5)その結果を受けて、社員に対して不利益処遇を行うことは、厳に禁じられている。
6)また必要に応じて、事業者側から就業上の改善策を提案され、実施されることになる。

これはある意味、革命的な法令改正です。
労働者のメンタルヘルスの必要性を認識し、深く切り込んだもののように思えるからです。
これが本当に公正に機能するなら、とてもすばらしいことです。
しかし、どんな会社でもこのような展開をしているわけではないというのが、精神科臨床現場をあずかる私の率直な感想です。
では、何が問題になっているのか。
解きほぐしていきましょう。

1)労働者にとり、ストレスチェックの受検は、権利であって義務ではない。
これが本義のはずです。
しかし、実際はこのようになっていない。
受検しないためには、特別な理由がなくてはならない。
特に、非正規労働者。
彼らには、ストレスチェックを受ける要請を拒めないという弱みがある。
とはいえ非正規労働者の側も、ストレスチェックにおいて正直には答えていない。
それは、「高ストレス者」と見なされたらクビになる可能性が高まるからです。
そもそも精神科受診者・向精神薬服用者というだけで、体のいい理由をつけて排除する向きもある。
ややおおげさにいうなら、これは「現代の魔女狩り」になってしまう危険を孕んでいるのです。
(実際に、俗にいう「ブラック企業」では、こんなこと朝飯前にやってのけます)

3)4)これらは、会社の人事部・上司および会社産業医が、みな労働者の健康を第一義に考えている場合のみ、成り立つ事柄です。
だが実際には、”例外”が散見されました。
会社の人事部・上司が、会社の利益を第一に考えている場合。
会社産業医もその”雇用主”である会社の利益を第一に考えている場合。
そのような場合、会社上層部と産業医は当然のごとく”内通”していました。(労働者の意向をパスして、労働者のストレスチェック結果を知らせる、ということです)
これは、そもそも制度設計に無理があるように思えます。
会社上層部と産業医が、特別モラルのない人ではなくても、このようなことは自然に起こってしまうのではないでしょうか。
ですから、5)についても、これをお題目のように唱えても、ダメなのです。
「あなたはストレスチェックの結果が悪かったから解雇する」などという露骨な話はないにしても、会社にとって不都合な人物だと見なされたなら、何か別の言いがかりをつけて辞めさせることもできるわけです。
とりわけ、経営上余力のない企業(そして、その人事部)は、なりふり構わないでしょう。
詰まるところ、現状のストレスチェックは「全ての企業は労働者の健康に配慮するはずだ」という「性善説」に基づく制度であり、どんな会社にもそれを期待するのは無理ということです。

さらに別の話題をひとつ。

先日、私の知り合いの精神保健の専門家の一人が、厚労省のストレスチェック課に電話をし、以下のことを確認しました。
「ストレスチェックの結果、「高ストレス者」と判定された場合、会社側自費負担での医師(主に会社産業医)による面接指導を受けるのではなく、健康保険を用いての精神科受診に結びつけても構わないのか」

それに対する厚労省側の意見、次の通りでした。
1)あくまでも面接指導は治療目的でない。当初の主旨が変わってしまうので、面接指導対象者を保険診療の対象とするべきではない。
2)面接指導医は必ずしも精神科医である必要はなく、内科医や外科医であっても問題がないので、面接指導のプロセスで、精神科医だけが保険診療をするというわけにはいかない。

これを聞いた私は、開いた口がふさがりませんでした。
いかにもお役人的な考えだなあ、と。
これは、今回の法令改正でできたストレスチェックがまずありきの答えです。
本来的には、会社に潜在している精神科的治療が必要な社員をフィルターにかけ、精神科医が直接治療に当たるのが最もいいわけです。
それなのに、内科医や外科医でもいいとか、保険診療に結びつけるべきではない、とか本末転倒ではないかと思うです。

(私が先に書いた文章にもある通り、会社産業医全体で、精神科医の占める割合は5.2%に過ぎません。
すなわち、そのほとんどがメンタルケアの専門家ではない。
そもそもストレスチェックの医師面接は、基本的に医療行為ではなく、精神科的診察や病名診断および治療は行われないのです。)

制度というものは、概してそうですが、最初に掲げられた高邁な理想がそのまま実践されていくということはなかなかないものです。
とはいえこのたびの制度改革に、会社内のメンタルヘルスの大幅改善を期待していた私としては、「やはりそうか」とやや落胆が隠せません。
そもそも会社内の精神保健において、まだ不透明な部分が多すぎます。
厚労省には、現場の生の声をもっと汲み上げ、さらなる意味のある制度改革につなげることを要望します。
また、大きな権限を有する会社サイドの方々(人事部・会社産業医)には、より高いモラルをもって制度運営されることを節に願います。

熊木徹夫
(あいち熊木クリニック<心療内科・漢方外来>
/〒470-0136  愛知県日進市竹ノ山2-1321
/TEL:0561-75-5707/  http://www.dr-kumaki.net/ )

Add a comment...

Post has attachment
「勇気と感動をありがとう」

こんにちは、熊木です。

2週間に渡るリオデジャネイロ・オリンピックは終わり、さらにパラリンピックに移行していきます。
4年に一度の特別な大会であり、その金メダルは最高の栄誉であるため、
どんな競技においても、全身全霊を込めたプレーが展開されます。
そのため、普段触れることのないマイナー競技とされるものでも、そこで迸る選手の情熱に触れると、それを見る私たちも、こころの奥底の何かが揺さぶられずにはいられません。

ただ、これは私だけなのかもしれませんが、メディアにおいて、興奮気味に伝えられる次の言葉には、いささか引っかかりを覚えるのです。
「勇気と感動をありがとう」

いつ頃から使われだした言葉か分かりませんが、少なくとも私の幼少期には耳にしたことのない言葉です。
昔も、オリンピックの各競技の名シーンを再放送されることはありましたが、今日ほど繰り返し、脳裏に焼き付けられるほどに再放送されることもなかったように思います。
そのため、昨今のオリンピックについては、おそらく誰に尋ねても、「リオデジャネイロ・オリンピックといえば、■■」といった具合にかなりステロタイプな映像が頭に浮かび上がってくるのではないでしょうか。
これはいわば「オリンピックの共同幻想化」ですね。

ここで先述の「勇気と感動をありがとう」という言葉をほどいてみましょう。

”勇気”とは、一体誰の勇気か?
もちろんのことながら、選手の示してくれた勇気のはずです。
でもその”勇気”が、”すばらしい”というのであれば、観客である私たちの客観評価になりますが、
”勇気”に感謝している、というのですから、私たちのうちなる勇気を奮い立たせてくれてありがとう、というのが本義なのかもしれません。
しかし、そうだとしたら、私たちの何に立ち向かおうとする勇気を指しているのか?
これは想像の域を出ませんが、(普段自信がなく元気がない)私たちの(自らの先の人生に立ち向かう)勇気ということになりましょうか。
本来は主体的な産物である勇気が、選手のプレーに感化されたおかげで、それに引きずられるかたちで、私たちも勇気が持てるようになった、という物語が底流しているのかもしれません。
しかしこの解釈、もしその通りなのだとしたら、私には今ひとつピンときません。
むしろメディアが強要する「オリンピックの共同幻想化」に、少し気味悪さを覚えます。

”感動”は、もちろん私たちの感動のことでしょう。
これは彼らのプレーを固唾を吞んで見守った私にとっても、しっくりくるものです。
4年間のすべてを一勝負・一瞬にかける選手達の、背景を成すそれぞれの物語に思いを馳せ、そして圧倒されるからです。
しかし、感動こそ私たちが最も主体性を放棄してはならないもののはずですから、”感動をありがとう”などと、日本国民一致団結して同じ思いを抱いているというような十把一絡げな扱いには、なんだか辟易してしまうのです。

もちろん、「勇気と感動をありがとう」という”奇妙な”言葉でありながらも、これまでメディアで連発されてきたのには、何かもっと深い意味があるのかもしれません。
ただそれは、日本国民自らが望んだがためにこういう状況になってきたのか、はたまた何か別の大きな意志が働いて日本国民をこのような方向に駆り立てているのか。
考えてみる必要があるかもしれません。
でも「何か全体主義的な臭いがぷんとする。のちのち、戦争への傾斜につながらなければいいが」などと言ったならば、きっと「野暮で陳腐な言い草」と唾棄されてしまうのでしょう。

熊木徹夫
(あいち熊木クリニック<心療内科・漢方外来>
/〒470-0136  愛知県日進市竹ノ山2-1321
/TEL:0561-75-5707/  http://www.dr-kumaki.net/ )


Add a comment...

Post has attachment
「夏バテ・秋バテ防止のための、生活改善ご提案あれこれ」

2016.夏、アメリカのNASAが「史上最強の猛暑が、世界中を襲う」と通告しました。
ほんの20-30年前には、「夜中にクーラーを使うなど贅沢。夜風を入れればそれでいい」というお年寄りも多くおられました。
しかし、今そのようなことをすると、睡眠中に熱中症になる危険さえあるという異常気象です。
私は名古屋に住んでいますが、部屋を閉め切ってクーラーもかけずに眠ると、朝36度になっていて驚いたことがあります。
この猛暑をどうサバイバルするか、真剣に考えなくてはなりません。

もし、ご自宅の寝室にクーラーを取り付けておられるなら、効果的な対応策があります。
それは一晩通して、クーラーを30度・微風に設定して眠ることです。
クーラー使用法でよくあるのは、初めの1~2時間だけしっかり冷やして、
その冷気の持続している間に寝付いてしまうというものです。
しかし、このやり方では、途中急激に室温が上がるため、寝苦しくて起きることになります。
一晩中室温を安定させることで、朝まで暑さをうまくしのぐことが出来ます。
また”30度・微風”などで、しっかり寝付けるのかという声もあるかもしれません。
しかし、クーラーで湿度を取れば、これで十分大丈夫です。
むしろ、寝入ったときに冷やしすぎると風邪をひいたりしかねませんので、このくらいがいいのです。
一晩中とはいえ、”30度・微風”であれば、省エネであるともいえます。
(現在よくあるヒートポンプ式のクーラーなら、一晩中温度設定を変えない方がむしろ省エネです)

ただ注意点が三つあります。
1)クーラーの設定を”除湿”にしないこと。
:これは意外なのですが、冷えすぎますし、電気代も多くかかります。
2)直接冷気を浴び続けないこと。
:できればサーキュレーターや扇風機との兼用をお勧めします。
扇風機の首振りをうまく使うと、丁度いい具合になります。
また、エコにもなります。
3)おなかだけは冷やさないように、タオルケットなど乗せておくこと。
:寝相が悪くてそれがうまくいかないのなら、腹巻をしておくとよいでしょう。

以上、熱帯夜の就寝対策について、ご提言しました。
ただ、これだけで真夏の猛暑をしのぐのに十分な訳ではありません。
俗に言う「夏バテ(あるいは、秋バテ)とそれによって引き起こされる夏風邪(秋風邪)」をどのように回避するか、対策をお伝えします。
これらは、夏場の体力消耗による免疫力低下が原因です。
通常なら決して感染しないような感染力の弱い菌にやられてしまい、ぐずぐず治らないという状況が続きます。

大事なことは、以下の2つです。
1)なるべく寒暖差のない暮らしをすること。
:具体的には、暑すぎる場所で長居はしないこと。
また、冷房の効きすぎた部屋にいかないこと。
それがかなわないなら、低温の部屋での防寒対策(特に下半身)をしっかりすること。
外気温が高すぎると、発汗が激しくなる人が増え、そのせいでかえってクーラーを効かせすぎてしまう傾向があります。
このような状況では、気化熱がひどくて、クーラー風邪をひいてしまう人がいますが、これも夏風邪の1つのバージョンです。
2)水分は、不足だけでなく、過剰もバツ。
:メデイアにおいて、水分を日頃から過剰に採る(例えば、1日4L!)ことを称揚する向きがありますが、これには基本的に賛成できません。
というのも、人にはそれぞれ適切な摂水量があるからで、大概の日本人は、1日1-2Lが相応しい水分量ということになります。(なお、これはペットボトルで2Lまでということではありません。ごはんや味噌汁など食餌に含まれる水分量も含んでの総量です!)
また、「水分を採らないと熱中症になるから、こまめに摂水を」などともいいますが、通常の身体の要請に従えば、喉は当然のことながら渇きますから、余程身体のいうことを無視しない限り、このようなことにはならないはずです。
炎天下での運動は基本的に避けるべきです。
どうしても避けられない場合は、適切な摂水が必要ですが、そのような場合でさえ、過剰摂水になる傾向があります。
水分を大量に溜め込んだ人の舌を観察する(漢方の舌診ですね)と、大きく白くむくんで、デコボコの歯形がついていることが多い。
このような場合、東洋医学的には「水毒」といって、摂水制御・適切な排水の促しを目論むこととなります。
ちなみに水毒がひどいと、当然身体が冷え、免疫力が下がることが分かっています。

このような不摂生がたたり、夏場に体調を崩せば夏風邪になり、秋にまでそれが持ち越すと秋風邪になりますが、まあどちらも同じです。
毎年欠かさずこのような状況を繰り返しているというなら、ぜひ本稿に書かれていることを生活に取り入れてみられることをお勧めします。
今年こそ「元気な秋」を目指して、この厳しい夏を乗り切って下さい。

熊木徹夫
(あいち熊木クリニック<心療内科・漢方外来>
/〒470-0136  愛知県日進市竹ノ山2-1321/
TEL:0561-75-5707/  http://www.dr-kumaki.net/ )
Add a comment...

Post has attachment
<日本の健康保険の息の根を止めるのは、わずかばかりの新薬なのか>

http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakayamayujiro/20160427-00056588/

これは実は、医療界いや日本国における「大事件」なのだが、世間にほとんどといっていいほど浸透していない。
ここに挙げられた抗がん剤オプジーボの適応拡大により、健康保険の出費増大が、1年間でなんと5000億-1兆円ほども増大するというのだ。
たった1剤の適応拡大だけで!
さらに高額薬剤が目白押しで、それらを合わせると、年間3兆の健康保険出費増大となる。
現在、日本の医療すべてにおける国からの支出は約30兆円である。
すなわち、ほんのわずかな新薬の参入により、財源の1割が”食いつぶされる”のである。
(これら薬剤に仮に絶大な有効性があったとしても、やはり医療経済学を無視するわけにはゆくまい)
これまでにも、日本の健康保険の存立が危うい、とさまざまな角度から警鐘が鳴らされてきたが、いよいよもって息の根が止められるかもしれない。
その重大な危機を、多くの国民が、いや医師でさえ知らないのだ。
まず知ること、そして考えてみることから始めなくてはならない。
手遅れにならないうちに。
それほど猶予はないのだ。

熊木徹夫
(あいち熊木クリニック<心療内科・漢方外来>
/〒470-0136  愛知県日進市竹ノ山2-1321/
TEL:0561-75-5707/  http://www.dr-kumaki.net/ )
Add a comment...

Post has attachment
トゥレット症候群における「汚言症」は、無意識の産物か
~「空気は読めるが、あえて壊す」タブー侵犯がもたらすもの~



私はかつて、
「重症チック症・多発性チック症(および、トゥレット症候群・どもり(吃音症)・抜毛癖(抜毛症・トリコチロマニア)・爪かみ・歯ぎしり・貧乏ゆすり)の薬物療法(漢方薬・精神科薬物)」という一文を書いたのですが、この反響が大変大きく、これまでこれを読んで随分多くの方が、あいち熊木クリニックを訪ねられました。
(遠いところでは、なんと秋田の方が、トゥレット障害の薬物治療のため、現在も通院されています)
http://www.dr-kumaki.net/kimo/%E9%87%8D%E7%97%87%E3%83%81%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E8%96%AC%E7%89%A9%E7%99%82%E6%B3%95/

ここでは、重症チック症・トゥレット症候群に伴って、なぜか起こることが多い「汚言症」についての追考察を行うこととします。

(注1:重症チック症・トゥレット症候群の方すべてに、「汚言症」があるわけではありません)

ちなみに、Wikipediaにある「汚言症」の定義は以下の通りです。
:卑猥語や罵倒語(汚言、醜語、糞語、猥言、猥語)を不随意的に発する症状。コプロラリア(Coprolalia)、猥褻語多用癖。複雑音声チックの一種であり、チックの身体症状と同じく、突発的かつ急なリズムで繰り返される。その内容は人によって個人差がある。

平たく云うなら、世間的に汚い言葉や性的な言葉を繰り返して発する、ということです。
子供がふざけて言う場合は、これに当たりません。
”不随意的に(意識せず、の意)”とありますが、これについてはこれから厳密に論じたいところです。

チックについては、チックを持つ人自身が、よく次のように話します。
「これ(チック)は私たちにとって、いわば呼吸のようなもの。
意識的・一時的に止めることはできるが、それは息を詰めることと同じような行為で、ずっと止めていると気が変になりそう。
だから、緊張時の後のリラックスタイムに、どうしても激しく出てきてしまう」
なるほどこれはその通りで、割りとこれはどなたにも共通しています。
また、運動性チックであれ、音声チックであれ、同様のことがいえます。

では複雑音声チックの一種である「汚言症」についてはどうか。
これについてもやはり同じです。
どうしても”言わずにはおれない”のです。

しかし、他のチック症状と異なり、「汚言症」には何か特殊な感じが拭えません。
どうして、社会で強く忌避されている”汚言”ばかりを、取り立てて繰り返してしまうのか。
そしてその行為は、完全に”不随意的”(言い換えるなら、無意識的)なものなのか。

実際、さまざまなチック症状の中で、「汚言症」は比較的”後発性”のものです。
すなわち、患者さんの内界で、善悪良否がしっかり認識されはじめ、社会におけるタブーが暗黙のルールとして了解されてからのことだと考えられます。
もしこれがただの突発的な発語で、完全に無意識なものであるとするなら、寝言のような混沌としたものになるはずで、ことさら意味の分別が行われないはずです。

以下は、私の仮説です。

「汚言症」におけるタブー(禁忌)の侵犯は、実際のところ無意識的なものではないのではないか。
意識的・作為的とまではいわないまでも、少なくとも”前意識的”なものであるはずです。
トゥレット障害を含む発達障害の患者さんは、よく「空気が読めない」といわれるが、
この場合、空気が読めないのではなく、「空気は読めるが、あえて壊している」。
そこに彼らの潜在的な快楽があるのです。

彼らは、社会があらかじめ構成しているルールや予定調和がたまらなく嫌なのであり、それに抗う破壊的行動を選択せずにはいられない。
それはときに、暴力であったり、場に相応しくない笑いであったりする。
トゥレット障害でない子供が、”遊び”というかたちで懐柔するこういった衝動を、彼らはむき出しにします。

かつて「芸術は爆発だ」といった有名芸術家がいました。
天才的な芸術家のなかには、うちに湧き出でた着想を噴出させずにおけない人物がいるのです。
ある漫画家は「葬式で笑い転げずにいられない」と話していました。
しめやかに営まれるべき葬式の”常識”に付き従うことなどできない、ということでしょう。

このように、善悪良否という価値基盤から逸脱して超然としているのが彼らであり、
彼らのタブー侵犯の快楽が運悪く法を犯すことに結びついてしまったなら、犯罪に至る可能性もありえます。
しかし一方で、その抜きん出た着想が先述の芸術のみならず、
以下のようなところで開花する可能性も高いはずです。

・スポーツ:通常では考えられないトリッキーなプレイができる人物がいる。歴史に名を残すあるサッカー選手は、ゴールまでの道筋が一瞥で見え、5人のブロックを軽やかにかわし、決定的ゴールを決めた。

・お笑いなどの芸能:常識的思考の破壊が笑いをもたらすことを考えると、笑いと暴力は案外近いところにある。暴力的描写に革命をもたらしたある映画監督は、一方で不世出のお笑い芸人である。

・その他、天啓のような発明・発見を成し遂げる研究者や、パラダイムを変換し時代を抜本的に書き換えた起業家などにも、このような人は多い。

(注2:ここで、例に挙げたモデルの人物は、今回のテーマに大きなヒントをくれた人物ですが、彼らが実際にトゥレット障害であるかどうかは、今後しっかりした病跡学的検証を経なくてはなりません。それから、彼らの資質を称揚するつもりはあっても、貶める意図は毛頭ないので、あらかじめご了承願います。また犯罪などタブー侵犯行動との親和性についても触れましたが、トゥレット障害の患者さんの大多数が犯罪とは関係がないところで暮らしていることも、いうまでもないことであり、この点については改めて念押ししておきます)

ただ、ひとこと言い添えなくてはなりません。
彼らは確かに天才的で、傑物といえますが、彼らだけでは社会的成功は果たせません。
その陰に、これまた人並み外れた安定的・常識的な実践に徹することのできる人物がいてこそ、彼らの才能は花開くのです。

最後に、お子さんの汚言に悩まれているご父兄へ。
彼(彼女)は、ことあるごとに常識から逸脱した振る舞いを繰り返すでしょうが、自傷他害の危険に及ぶものはともかく、何でもその言動を抑えこんでいては、負のエネルギーを蓄積し、いたずらに”爆発”を誘発するだけでしょう。

そもそも「~するな」という禁止は、あまり治療的ではありません。
トゥレット障害の人はタブー侵犯が本能的なものとしてある、ということは前に記した通りです。
また、誰にとっても、「~するな」という禁止は、ほとんど抑止的効果をもたず、むしろ誘発的ですらあります。

例え話をしてみましょう。
今から、あなたにお伝えする以下のことに従って下さい。
・・・「今からあなたは・・・・・”マンゴー”のことを考えてはいけません」!
・・と言われたら、これまでマンゴーのことなぞ一片の考えも有していなかったあなたの脳裏に、マンゴーの絵が浮かび上がり、意識するまいとすればするほど、ますますマンゴーが居座ってしまうことでしょう。

難しいことではありますが、彼の行う突飛な言動については、ある程度の度量を持って迎え入れ、彼の”言い分”を一旦聞き入れてみましょう。
そこには、意外な理由が隠れていることが多いのです。

もっとも理屈だった説明が苦手な彼から、それを聞き出すのは容易なことではないでしょう。
しかしいつも潰されてばかりいる自分の立ち居振る舞いに、余裕を持って対してくれる”大人”が現れたなら、彼はそこに救いを求め、懸命に何かを伝えようとするでしょう。
そこで幼いうちに、数少ない理解者と遭遇出来た幸せ者は、自らの羽を羽ばたかせ、誰も遭遇し得なかった事柄に行き当たることができるのだ、と私は信じるのですが、いかがでしょうか。

熊木徹夫(あいち熊木クリニック
<愛知県日進市(名古屋市名東区隣)。心療内科・精神科・漢方外来>
:TEL: 0561-75-5707: http://www.dr-kumaki.net/ )
Add a comment...

Post has attachment
<「相模原市・障害者施設殺傷事件」によせて>

まず、被害者の方々に哀悼の意を表したい。

この事件の一報に触れたとき、真っ先に思い浮かべたのは、
ヒトラー・ナチスの優生思想に基づく障害者大量抹殺、および池田小学校大量虐殺事件である。

http://mainichi.jp/articles/20160728/k00/00e/040/221000c
http://mainichi.jp/articles/20160729/k00/00m/040/095000c?inb=fa

<※参考>
https://goo.gl/KNo7DH
(『ヒトラーの防具』帚木 蓬生・・知られざる戦中ドイツの精神障害者の虐殺について、克明に書かれた小説)
https://goo.gl/f6hSRk
(『宅間守 精神鑑定書――精神医療と刑事司法のはざまで』岡江 晃)

もともと自己愛の強い人物が「今ある自分は、本来の自分ではない。誰かのために損をしている、虐げられている」などと考え、妄想を構築し、果てはその被害感を加害のエネルギーに激しく転換したとき、このような悲劇は起きる。

このような一件を評するとき、「道義的に許されない」「あってはならない」などという言葉をいくら並べても空疎である。
常日頃から皆が、物事をさまざまな角度から捉えるため、多くの本に触れ、なぜ人間がこのような愚行に陥るのか(「これは、特殊な人物の逸脱」というだけでは片付けられない)徹底的に考えておくことが必要だと、自戒をこめて強く思う。

熊木徹夫
(あいち熊木クリニック<心療内科・漢方外来>
/〒470-0136  愛知県日進市竹ノ山2-1321
/TEL:0561-75-5707
/ http://www.dr-kumaki.net/ )
Add a comment...

Post has attachment
<”しつけ”の指弾・根絶がもたらすであろう両親のジレンマ>


北海道で”派手な迷子”があり、連日このことについて報道されていました。
(報道内容の詳細については、省きます)

後に、まだ寒い北海道のこの時期に、男の子が奇跡的に一週間も生き延びていたとの報がもたらされ、
私も本当に安堵しました。

もちろん一番安堵されたのは、ご家族(特にこの子のお父さん)でしょう。
しかし、その背後で大きくため息をついた方々も大勢いるのではないかと考えました。
それは、(特に度外れに)やんちゃな子供に常日頃手を焼いているお父さん・お母さんです。

やんちゃな子供には、大人にはない活力があります。
その様子を見ていると、微笑ましくなることもあります。
ところが、やんちゃにも度外れなものがあります。
ADHD(注意欠陥多動性障害)がそれに当たります。

あいち熊木クリニックへは、チック症・トゥレット症候群の薬物療法を行うということで、全国から患者さんが来られています。
このような疾患の方々には、ADHDが併存することが稀ではありません。
そのため、子供のADHDについては、実にいろいろな症状を持つ方にお会いしています。

彼らの診察室での暴れ方といったら!
お母さんによると、ある子供は、知らないおじさんにも平気でついて行ってしまい、必ず迷子になると言うし、
またある子供は、突然道路に飛び出すため、肝を冷やすこと枚挙にいとまなし、ということです。

このような子供たちの身の安全のため、お父さんお母さんは何をどのように教え伝えてゆくべきか、つねに頭を悩ませています。
彼らが一番恐れていること、それは自分の子供が他人に危害を加えないかということです。

「子供は褒めて育てるべき」とは、巷間よく言われることです。
本当にそれですべてにおいてうまくいくなら、言うことがありません。
多くの親がそれを実践していますが、なかにはどうしても自分や他人に害を及ぼす危険を孕む子供が一定数いるのです。
それは、子育ての上手いまずいとは、直接関係がないものです。
その子の資質の問題も無視できないのです。

今回の一件では、父の発した次のような言葉が波紋を起こしました。
「しつけのため、山に一時的に置き去りにしたら、子供が消えていた」

この言葉を受け、各界著名人が侃々諤々と自説を繰り広げました。
もちろん何を言おうとも自由ですが、一部の著名人の以下の様な言葉が、私には非常に気になりました。
「しつけで山に置き去るなど言語道断。そもそも”しつけ”という言葉自体、憎むべきものだ」

このような仮定はすべきではないと承知していますが、もし失跡した子供が最悪のかたちで発見されたなら、大変なことになるだろうと私は予感しました。
上記のような著名人が「そら見たことか!こんな歪んだ教育を信じている親こそ諸悪の根源なのだ」と雄叫びを上げる姿が目に浮かびました。
そして、この瞬間、日本においては今後、”しつけ”という名の教条的関わりが信義を持って行えなくなるであろうことも。

そもそも褒め育てとしつけとは、お互いどういう位置づけにあるものでしょうか。
私がよく使う言葉で表現するなら、褒め育てはマターナル(母性的)教育、しつけはパターナル(父性的)教育ということになります。
今の日本では、母性的振る舞いのみ称揚され、父性的振る舞いに対しては非常に風当たりが強いです。
ゆえに、イクメンがほめそやされるのです。
(詳細は、拙著『ギャンブル依存症サバイバル』(中外医学社)をご参照ください)
しつけは、まるで虐待であるかのように喧伝される向きがありますが、両者を混同すべきではありません。
しつけには、我が子が社会や世間へのつつがなき馴化を果たすことを願う父性愛が、根底に横たわっているのです。
(母親の行うしつけであろうとも、同様の意味をもっています)

そしてこのしつけを完全に封じ込めるような社会が到来すれば、どうなるか。
しつけを施そうとすれば、人非人の扱いをうける、
反対にしつけを放棄した結果子供が重大な有害事象を引き起こした場合には、養育責任を指弾されるという
実に悩ましいダブルバインドの状況に、ADHDなどコントロールが難しい子を持つ両親が置かれることになるのです。

もちろん、いくら懸命にしつけを行ったからといって、我が子がいかなる問題も起こさないようにできるという親などいません。
しかし、しつけという行為を社会全体で否認してしまったなら、両親は自らの無力さに虚脱感さえおぼえるかもしれないのです。

そもそも、しつけのような父性的振る舞いをしたくてしている親などいません。
そうせざるを得ないから、迷い苦しみながらも、行っている。
これまでにあらゆるしつけの必要を感じないで生きてこられた人々は、とても幸せな人々です。
しかしそういう人々も、数々のジレンマを抱えながら、我が子と社会をうまく擦り合わせるため、苦労を重ねている親が存在するということに、もっと想像力を働かせてほしい。
共同体とは、ただ共に在るということではなく、このような想像力を紐帯として、互いにいたわり合うというかたちを取らなくてはならないのではないでしょうか。

熊木徹夫
(あいち熊木クリニック
<愛知県日進市(名古屋市名東区隣)。心療内科・精神科・漢方外来>
:TEL: 0561-75-5707: http://www.dr-kumaki.net/ )
Add a comment...

Post has attachment
<妊産婦の自殺の多さに衝撃…産後うつの理解広がって>
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20160426-OYTET50018/

これは、30代女性患者が多いあいち熊木クリニックにとっても、極めて重大な問題です。

産後うつ(あるいは躁うつ)は、殊の外多い印象です。

特に、産前からメンタルの問題を抱えた方は、要注意です。

もともと自尊感情がグラグラしている女性が、育児ノイローゼになり、子供への怒り、そしてそのことによる自責感を抱え、希死感を持つに至る、などは一つの典型です。

思い当たる方は、産婦人科や心療内科に相談いただきたいですね。

熊木徹夫
(あいち熊木クリニック
<愛知県日進市(名古屋市名東区隣)。心療内科・精神科・漢方外来>
:TEL: 0561-75-5707: http://www.dr-kumaki.net/ )
Add a comment...

Post has attachment
<PMS(生理前症候群)をめぐる男女間のパートナーシップ>

あなたは、PMS(Premenstrual Syndrome)をご存知だろうか。
日本語では、生理前症候群(月経前症候群)という。
症状は、実に多岐にわたる。
以下に、挙げてみることにしたい。

((PMSの症状))

(1:精神症状。心療内科で対応可能なもの)
イライラ(焦燥感)・精神不安定・攻撃性
食欲増加(特に甘い物)・体重増加
うつ状態(特に朝うつ)・不眠(入眠困難・中途覚醒)・過眠・集中力低下・無気力・疲労感・倦怠感(だるい)
頭痛・肩こり・頭重感・眼痛
など

(2:漢方薬治療で対応可能なもの)
腹痛・腹部膨満・
胸部苦悶・胸部痛
動悸・のぼせ・めまい・貧血(立ちくらみ)
肌荒れ・ニキビ・唇の荒れ・
口内炎・
目の腫れ・歯茎の腫れ
むくみ・
皮膚のかゆみ
微熱・風邪様症状・
排便痛・排尿痛
下痢傾向・
放屁(オナラ)
など

このような症状を、閉経に至るまでの女性の全員が持っているわけではないが、実際のPMSの有病率は相当なものだと推察される。
というのも、当院に来院しているPMSを主訴としない女性に対し、初診時のルーチンとして、PMSの有無を確認すると、かなりの確率でPMSがあることが判明するからだ。

このような悩みを数十年にわたり抱え続ける女性の苦しみの深さは、いかほどのものか、男性医師である私には想像しがたいものがある。

しかし一方で、これだけの悩みの元となる生理自体がやってこないと、大層不安になる女性も相当多い。
子供を産みたい女性にとり、生理がないことにはそれがかなわないのであるから、不安になるのは当然のことである。

ところが、子供を欲するか否かに関わらず、生理がないということが女性としてのアイデンティティを揺るがすほどのものとなる場合も少なくない。
すなわち女性たちは、女性に生まれついたなら不可避な生理という”月ごとのイベント”を疎ましく思う一方、それがなくては非常に心もとなくなるのだ。
いわば、「生理に対するアンビバレント」といえよう。

このように女性自身が、自らの生理を持て余している様子が伺える。
だが、この生理およびPMSについて、どう受け入れるべきかさらに混乱しているのが、現代の男性(および男性社会)だ。

生理前に多くの女性が気分変調を来し、イライラするようになることは、これまでにも知られてきた。
それゆえ、気が立っている女性に対し、「もうすぐ生理なんじゃないの」と揶揄するような男性が少なからずいた時代も、そう遠くない過去にあった。
しかし、周知の通り、そのような発言は、現代社会ではセクシャル・ハラスメント(セクハラ)として取り扱われ、指弾される。

さらに困ったことには、会社などのオフィシャルな場ではなく、家庭のようなプライベートな場においても、このルールは適用されるようになってきているということだ。
すなわち、PMSでイライラぶりを周囲に放散している妻に対し、夫が「もうすぐ生理なんじゃないの」ということも憚られるようになってきているのだ。
その発言がセクハラかどうかは、”被害者”側の女性が認定することになっているから、どういう”判定”をするかは妻の専権事項である。
さすがに、あからさまな揶揄や侮辱でなく、同情や心配に基づく発言であるなら、セクハラとは考えられにくいが、それもどのように解釈されるか分からない。
ゆえに、夫もPMSについてどう関わるか、戦々恐々としているのである。

そういった状況がある一方で、女性の月ごとの”イベント”として、男女ともども隠微に取り扱われてきたPMSが、各種メディアで大々的に取り扱われるようになり、PMSは病院やクリニックで治すべき疾患に、立派に”昇格”した。
女性誌などでは特集が組まれるほどである。
それゆえ、女性が自らのPMSを自覚し告白することが、特段恥ずかしいことではなくなってきた。
(例えば、あいち熊木クリニックは心療内科であるが、漢方外来があるためか、このところPMSの治療希望で来院する女性たちが後を絶たない。
実際に、漢方でPMS治療に有用なものが数多く知られているが、それ以外にもSSRIや感情調整薬といった薬物で、非常に効果を発揮する薬物も少なくなく、PMSについては恐らく婦人科についで心療内科が多くの治療を手がけているだろう)

こういったことは、全般的にいいことであろう。
PMSに社会的関心が向けられてきたために、治療自体も進歩を遂げてきている。
一昔前なら、このようなことに向精神薬が奏功するなんて、女性たちは考えもしなかっただろう。
適切な薬物が適切に使われて楽な人が増えてきている現状が、悪いはずがない。

しかし、たとえ夫であっても、イライラが止まらない妻に対し「ひょっとしてPMSなのではないか。一度心療内科(婦人科)へ行った方がいいのではないか」などと簡単にアドバイスすることができない。
セクハラ問題とからみ、このような話題は夫婦といえどタブーになりつつあるからだ。
(妻の方から夫にPMSの話題を持ちかけ、協力を求めるというなら、話は別だ。
その場合、むしろ友好的関係が形成できるだろう)
場合によっては、「そもそも私がイライラしているのは、あなたのせい。それを棚上げして、私を病気呼ばわりするなんて」と、妻を激昂させることもありうる。

また、なかにはPMSによる精神不安定が度外れで、家庭内で暴力を振るう妻も居たりする。
その場合、たとえそれがどれほどの問題行動であったとしても、夫婦間でPMSがアンタッチャブルな事柄であるがために、PMSがまるで”免罪符”のように機能し、夫が妻をコントロールしあぐねているような話も伝え聞く。

このように、非常にデリケートな問題であるPMSだが、
1)まずは、女性側がPMSについて自意識を持つこと
2)それを受けて、男性側もPMSを理解するように努めること
により、いたずらにパートナー関係を複雑化したり、双方の対立の溝を深めたりすることを防ぎうるのではないだろうか。

熊木徹夫
(あいち熊木クリニック
<愛知県日進市(名古屋市名東区隣)。心療内科・精神科・漢方外来>
:TEL: 0561-75-5707: http://www.dr-kumaki.net/ )
Add a comment...
Wait while more posts are being loaded