幾つかこういう意見を見掛けたんで一言。

生きたとか死んだとかいう話ではなくて、そういう小説は、自分が人間であり、後世に何かを伝えていくことができる、と考えることができるくらい安定した世界で、安定した生を送ることのできる人間にだけ可能な表現だ、ということを説明するために、あの本の大半は割かれています。そして勿論、そういう方もこの世の中には相変わらずおられるでしょう。ですから、そういう方はそのようになさればよろしいかと思います。ただし私は違いますし、おそらく世界の安定など片時も信じることのできない人が、自分が生きている世界について、常に顔を剥ぎ取られた人ならざるものとして生き続けるしかない世界について語る時に、そうした表現は役に立たない、という話をしている訳です。
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