【濱口桂一郎『日本の雇用と中高年』(ちくま新書,2014年)に関するノート】

 この本で提起されているほとんどの論点に賛成だ。私の企業論の講義でも,だいたいは同じようなことを述べている。私の講義は一応,経済学のもので濱口氏の本は労働法のものだが,濱口氏も規範論で押すのではなく,今後の雇用システムが合理的に存続していくことを念頭に置いて議論しているので,違和感はほとんどない。
 
 新たに学んだのは,雇用問題の重点対象のとらえ方だ。私は1990年代半ばまでは中高年の雇用調整が重点,それ以後は若者の非正規化や展望なき劣悪処遇(以前はがまんしていれば昇進できた)が重点と考えていた。しかし,実は,中高年は正社員として年功序列的処遇がなされている限りでは既得権益を持つが,いったん雇用を失うと再就職が極めて困難であるという両極化はずっと続いており,中高年問題は何も軽減されていなかった。そこに若者問題が重ねて加わると見るべきだった。この点での認識不足は本書にただしてもらった。
 
 日本的雇用システムの現状に関する私の認識は以下のようなものだが,濱口氏の認識とおそらく重なると思う(メンバーシップに基づくなど,濱口氏に学んだ用語もある)。「男子正社員のみ年功序列で定年まで,職務と対応しない,社員というメンバーシップに基づいて雇用する慣行」(大企業にとくに強く,中小企業で弱い)はこれ以上,経済的にも有効ではないし,社会的にも持たない。経済的にみれば,女性の能力や,性別年齢を問わない専門的能力を正しく評価して発揮させることができないからだ。社会的には,もはや正規と非正規の格差,男性と女性の格差を正当化することができないからだ。また,男子正社員に暗黙の裡に慣行として約束していた処遇も実現できなくなり,さりとて普通解雇もできないためにいじめ,肩たたきでやめてもらうという不合理が横行するからだ。これを持続可能で,社会的に受け容れられる制度に変えていくことが必要だ。
 
 ややこしいことに,濱口氏が思い,私もほぼ賛同する改革は,保守とリベラル,「右」と「左」の両方から抵抗にあう。
 
 例えば,濱口氏の言う「ジョブ型雇用」,つまり何の仕事をするか明確にした上での雇用にすれば,あいまいな査定による男女差別や思想差別を大幅に減じさせる可能性が生まれる(査定制度自体をしっかりしないとだめだが)。と同時に,企業の事業縮小により,その仕事自体がなくなったときの解雇は容認される。日本では,「右」からは前者への抵抗がある。人を自由に配置転換したいからだ。「左」からは後者への抵抗がある。解雇を制限することを最重要と考えているからだ(どの国もこうなのではない。きわめて日本的な保守とリベラルだ)。
 
 またジョブ型雇用では年齢・勤続のみに基づく昇給・昇格は合理性を失うので同一職種についている限りでは賃金カーブはフラットになる。もちろん,能力・成果により高度な職務に移ることができた人は右肩上がりになるが。子育てに必要な給与を企業が年功賃金で保障する形は薄れていく。かわって,社会政策による子ども手当や児童手当を拡充し,子育てを支援することが必要だ。日本では「左」からは前者への反対が強烈だ。中高年の賃金抑制を伴う賃金カーブフラット化には,常に労働組合は反対している。「右」からは後者への反対が強烈だ。子ども手当をバラマキだという非難の何と大きかったことか。この,日本的な「左」「右」の「常識」にともに反しながら進めなければならないことが,雇用改革の難しさだろう。濱口氏はそれに挑戦する一人だ。
 
 もちろん,合理的な改革なら合理的に進むというわけではない。ものごとは 必ず行きすぎるし,とくに市場競争には慣性がある。労働市場の作用を強めると保守派が勢いづき,競争だけが激化してセーフティネットが置き去りになったり,ジェンダーバイアスがかえって増大したりする。すると反射作用として,リベラル派は市場と競争の作用を強めることに一律に抵抗する姿勢になる。ところがそれでは問題の先送りになってしまい,現行システムの矛盾が拡大する。このいたちごっこからの出口が必要だ。
 
濱口圭一郎『日本の雇用と中高年』
http://www.amazon.co.jp/dp/4480067736  
川端企業論2014年度講義「日本企業の雇用システム」の章。
http://www.econ.tohoku.ac.jp/~kawabata/jugyofile/jugyo2014.htm
 
2014年8月19日初版。facebook投稿。
2014年8月21日誤字修正。
2014年11月13日。 リンク先編集の上,Google+転載。
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