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小澤昌人
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10 姚江の会・群馬の原点
友人と話していて、なぜある活動から手を引いたのかという質問を受けた。 これについては以前から一貫していて、 自分よりも他の人がうまくできたり、 もっと興味を持っていることは、 あえて自分がやることもなく、 自分はもっと自分を活かせることをすべきだと思っている、 という話をした。 そこから陽明学の勉強会「姚江の会・群馬」に繋がる。 話しながら、自分なりの理想像があって始めたことだということを思い出した。 帰宅して床に入る前に、手元にあった本が気になって手に取った。 その中に、こんな一文があった。 人間は本来は完...

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下るから見える景色
お客様の忘年会があり、伊香保に宿泊した。 朝、外を見ると、あまりに遠くの山がきれいだったこともあり、散歩に出た。 近くの道を上ってみた。 なかなか山を見渡せる場所がない。 これはきりがないと思い、あきらめて、 来た道とは違う道を遠回りして下ってみた。 すると、下り坂の途中で、遠くの山までの視界を遮るものがない場所みつけた。 思わず笑みがこぼれた。 これって生きることとも通ずるかもしれないと思ったのだ。 上ること、前に進むこと、成長することが善だという前提に立っていないか。 いつの間にかそれを疑うこともないので...

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7 夢の話
最近は見ないが、怖い夢を見て目を覚ますことがあった。 そんな話を飲んでいる場かどこかでしたところ、 そういう経験はないという人がいて驚いた。 それはそうなのだ。 自分が見ている夢は人が見ている夢とは異なる。 僕は自分の見たことがある夢しか見たことがない。 (しかも、ほとんど覚えていないことが多い。) 僕の夢はカラーだが、白黒だという人もいる。 夢の中で、僕の年齢は不詳だったりする。 自分の姿を見ることがないから分からないのだが。 でも、自分を客観的に見る夢もあるらしい。 夢の中は自由だ。 海に山に空に冒険をす...

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6 言葉と釣糸
ブログを毎日書くつもりで再開したが、数日で挫折した。 書けなかった数日も書こうとはして、パソコンには向かったのだが、どうしても出てこなかった。 たぶん「書かねばならない」と自分に強いていたのだろう。 しかし、今日はいくつかの話を同時に書けるくらいの気分だ。 なんのためにブログを書いているのかと言うと、自分の中の言葉の元のようなもやもやとしたものに形を与えることから逃げない訓練だ。 とりあえず公開にしているのは緊張感を持つためで、読んでもらうためにFacebook等に公開するつもりはない。 今のところ。 言葉を...

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5 日常生活即学問
猫が我が家にやって来て2か月半ほど経つ。 当初は、寝室になっていた和室が猫部屋になっていたのだが、 畳が爪で傷だらけになること、 この部屋にある神棚に上ってしまうことなどから、 先日、猫を別の部屋に移した。 改めて、和室に戻ったのだが、ここであることを決めた。 それは、洗濯物を片付けるということだ。 えっ?そんなことと思われるだろうが、 これができていなかった。 先日、陽明学研究家である林田先生とメールでお話しさせて頂いていた際、 仕事が修養よりも上になっていないかと指摘して頂いた。 自分ではそのつもりもなく...

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3 なぜ言語化から逃げて来たのか
『伝習録』の中で印象に残っている話の一つ。 それは『論語』の、ある一説の解釈についての節だ。 <世に没して、その名が称されないのを憎む> さて、これをどのように解釈するか。 一般的には「生涯が終わってから、名前の唱えられないことを悩みとする」 という風に読むだろう。 しかし、『伝習録』ではそのように解釈しない。 称の字は、去声(きょせい)と読むべきなのです。 〔つまり、<名のかなわないのを憎む>、本人の名声と実質とが一致しないのを憎む、と理解すべきなのです〕 (中略) <名声が実力以上に高くなることを君子は恥...

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2 言葉にすることから逃げなかった人の話
藤屋先生と並んで、ご指導いただいているのが陽明学研究家の林田明大先生だ。 毎月、林田先生を高崎にお招きし、 姚江の会・群馬という勉強会を開催している。 会での勉強を始めて3年半ほど経過した。 最初は、先生のご著書を読んで、レポートを書いて、発表し合うことから始まった。 現在は『伝習録』という王陽明の語録を読み進めており、2年以上経つ。 来年には完読の予定だ。 王陽明のすごさは、もちろん自分の様々な経験を通じて体得した思想なのだが、 非常に言語化しづらい形の無いものを論理的に伝えることに苦心した様も、 『伝習録...

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『経営者になるためのノート』①
藤屋伸二先生の下で一緒に勉強させて頂いている先輩経営者から、 『経営者になるためのノート』というユニクロの柳井社長のご著書を頂いた。 売上20億に対し売上高経常利益率10%でなければ利益ではない、 という方なので、「先生の下で」、「一緒に」と言うのもはばかられるが…。 この本はA4サイズなのだが、文章が書いてあるのは、 中心のA5サイズほどで、残りのスペースはタイトルの通りノートだ。 その方はすでに書き込みをしており、そのまま頂戴した。 この本は、ユニクロの社内での経営者育成のために使用されていたようで、 大...

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狂③
 「聖人」という言葉は、今の我々には、自分と遠くはなれた存在という印象が強い。(中略)だから、聖人を志すことなど、嘲笑されるのがおちである。実は王陽明の当時もそうだった。  聖人を志した王陽明たちも冷笑された。冷笑したのは、世俗的な名利物欲を追い求めることに熱中する俗学の徒である。彼らはいつでもどこでも多数派である。  孔子は、理想の追求者を「狂」といった。荘子は、本来あるべき人間の姿を「畸人」(奇人)とのべた。狂・奇の人こそ、実は人々に要請された望ましい生き方であったのである。聖人の道とはこの狂・奇としての...

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狂②
富岡青年会議所様の理事セミナーにて、 「おわりに」の部分で、陽明学の話をさせて頂いた。 伝えたかったのは、個イコール組織ということだ。 修己治人、即ち、 自らを高めることと自然と人を感化することはひとつであるということ。 事上磨錬、即ち、 日常生活の中で約束を守るとか仕事とJCを分けないとか、 自分を鍛える場面は多々あるということ。 そういったことを疎かにして、「明るい豊かな社会」はないのではないか。 そのようにな疑問を提起して終わりにした。 最後に、懇親会にて、 もう一つ紹介したのは、 「狂」という言葉だ。...
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