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日本語でジャズ歌詞を味わうジャズ詩大全電子版
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“If I Should Lose You”(1935年)
これはリーオ・ロビン作詞、ラルフ・レインジャー作曲で1936年のミュージカル映画『Rose of the Rancho』(Paramount)に使われた曲である。それにはジョン・ボウルズ John Boles とグラディス・スウォートハウト Gladys Swarthout が出演し、スウォートハウトがこれを歌った。レコードは同年1月に出たヴァイオリンのリチャード・ヒンバー Richard Himber 率いる楽団のものがヒット・チャートの15位までのぼり、チャートには六週間入っていた。がこの映画の評判はさっぱりで、結局この曲だけが残った。この曲はマイナーから始まって関係調をいききしてメイジャーで終わるが、その巧妙な展開が歌手だけでなく演奏グループにも好かれ、渋いスタンダード曲になった…

https://www.jazz-lyrics.com/jp/if-i-should-lose-you/

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“Brazil”(1939年)
これはサンバの名曲中の名曲で、ブラジルの作曲家アリ・バローゾの’39年の作品である。ブラジル語の原題は[Aquarela do Brasil (ブラジルの水彩画)]という名だったが、今は[Brazil]でとおっている。バローゾは、その年のある雨の夜、ピアノでタンボリン(小太鼓)のひびきを真似しているうちに、すぐさまインスピレイションがわいて、わずか30分でこのサンバをつくってしまったという。とにかく最初から最後まで熱烈に心からブラジルを讃美し称揚する歌、大ブラジル讃歌である…

https://www.jazz-lyrics.com/jp/brazil/

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“New York State of Mind”(1975年)
これはビリー・ジョエルが1975年につくり、’76年5月に発表したアルバム《Turnstiles》に入れられた曲である(Turnstiles は地下鉄などの回転式改札)。彼は’71年に最初のアルバム《Cold Spring》を出した(’72年という記述もあった)が、まだ彼の曲はあまりヒットせず、そのあと’73年に生活苦で仕方なく西海岸に行った。LAのバーでピアノを弾いて生活していたが、彼は本名を使わず Bill Martin という名でやっていたという(もっとも彼の名は William Martin Joel で Bill Martin も実名の内ではある)。LAにいるということは生粋のニューヨークっ子である彼にとって都落ちを意味していたようで、彼のなかでは少々不名誉なものとして写っていたのかもしれない。しかしそのときのつらい経験は’73年の 《Piano Man》、’74年の《Streetlife Serenade》、そして’76年の《Turnstiles》の各アルバムに曲として生かされ、結局、それらのおかげで彼は大スターへの道を駆け登っていった…

https://www.jazz-lyrics.com/jp/new-york-state-of-mind/

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“What Kind of Fool Am I?”(1962年)
これはイギリスの作家レスリー・ブリッカスとアンソニー・ニューリーのコンビの1962年のミュージカル【Stop the World─I Want to Get Off】の最後に使われた曲で、そのなかでは主人公リトルチャップを演じたニューリーが歌った。ブリッカスとニューリーは作詞、作曲、脚本を全部やり、さらにニューリーは演出と主演も兼任するという欲張りようだった。これは’61年にロンドンですでにヒットして成功していて、ブロードウェイでは’62年10月に始まり555回の上演を数えて成功した…

https://www.jazz-lyrics.com/jp/what-kind-of-fool-am-i/

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“With a Song in My Heart”(1929年)
これはロジャーズ・アンド・ハートの1929年の作品で、同年のミュージカル【Spring Is Here】に使われた曲だ。そのなかではリリアン・テイズ Lillian Taiz とジョン・ハンドリィ John Hundley が歌った。二人はこのショウに12曲書き、2曲が落とされて10曲残ったが、ショウは失敗作で104回しかつづかなかった。残ったのはまさにこの曲だけだった。主題歌の[Spring Is Here (in Person)]も鳴かず飛ばずで、これはのちにフランク・シナトラほか多くの人が歌う[Spring Is Here]とは同名異曲である。後者は1938年に彼らがミュージカル【I Married an Angel】に書いた曲で、ということは歌詞もメロディもまったく違う同じタイトルの曲を彼らは二つ書いたことになり、とても珍しい例である…

https://www.jazz-lyrics.com/jp/with-a-song-in-my-heart/

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“In a Sentimental Mood”(1935年)
これはデューク・エリントンの有名な曲で、ジャズファンで知らない人は少ないだろう。1935年につくられたインストゥルメンタルで、歌詞はあとからつけられ、そのときはエリントン自身が作詞曲両方やったことになっている。作詞はエリントン自身ではないと思うが、とにかく両方彼の名が入っている。古い資料ではそうなっているが、’50年代ごろ以後のものではアーヴィング・ミルズの名がクレディットに入り、さらに’63年のクレディットではマニー・カーツ Manny Kurts の名も入っている。ミルズはたんに権利だけもらったのかもしれないし、もしかしたら作詞に関与していたかもしれない…

https://www.jazz-lyrics.com/jp/in-a-sentimental-mood/

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“Any Place I Hang My Hat Is Home”(1946年)
これはジョニー・マーサー作詞、ハロルド・アーレン作曲で、1946年のミュージカル【St. Louis Woman】に使われた曲である。その中ではロバート・ポウプによって歌われた。これは作家のアーナ・ボンタンの原作《神が日曜をくださった God Sends Sunday》を彼女とカウンティ・カレンが脚色したミュージカルで、パール・ベイリィやニコラス・ブラザーズなどを含むすべて黒人のキャストで行われた。人種差別のきびしかった当時のアメリカでは(いまでもやはりきびしいには違いないが)黒人のミュージカル、映画は失敗する鉄則があり、これも113回とふるわなかった…

https://www.jazz-lyrics.com/jp/any-place-i-hang-my-hat-is-home/

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“South of the Border”(1939年)
これは英国のソングライター・ティームのジミー・ケネディとマイケル・カーのコンビが1939年に書いた曲だ。カントリー・ウエスタンの歌手ジーン・オートリィが英国公演をやったときに彼のために二人が書いた曲で、オートリィの歌でアメリカの人びとに聴かれることになった。それからシェップ・フィールズとリプリング・リズム Rippling Rhythm のレコードがよく売れた。が14年後にフランク・シナトラが歌ってヒットし、われわれの多くはそれを聴いたわけだ…

https://www.jazz-lyrics.com/jp/south-of-the-border/

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“It Might As Well Be Spring”(1945年)
これはハマースタイン二世とリチャード・ロジャーズのコンビで1945年につくられ、ミュージカル映画『State Fair』(20th Century-Fox)に使われた曲である。この二人の仕事には『South Pacific』やら『The Sound of Music』などミュージカル映画が多いのだが、いずれもミュージカルの映画化であって、オリジナルのミュージカル映画ではない。『State Fair』は彼らの唯一のオリジナルのミュージカル映画で、そう言われてみると意外に感じる人もいるはずだ。
 映画ではジーン・クレイン Jeanne Crain が主演してこの曲を歌ったが、声はルアン・ホウガン Louanne Hogan が吹きかえ、またディク・ヘイムズ、ヴィヴィアン・ブレインも共演している。そしてこれは’45年のアカデミー主題歌賞を獲得した…

https://www.jazz-lyrics.com/jp/it-might-as-well-be-spring/

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“Any Old Time”(1938年)
これはアーティ・ショーが詞曲とも書いて1938年6月にレコードにした曲で、彼のクラリネットがフィーチュアされ、ビリー・ホリデイが歌って有名になった。チャートに入るほどのヒットではなかったが、ホリデイとショーの唯一の曲として印象深いものとなった。ショーの経歴を追いながら、二人の関係について見てみよう。アーティ・ショーは1910年コネティカット生れで、ユダヤ系だったため子供の時に偏見や差別に苦しめられた。小さいときから病的なほどの読書家で、差別に対して敏感な少年だった。14歳でサックスを手にし、数ヶ月遅れでクラリネットをはじめ、15歳でもうダンス・バンドに入って仕事をして全米をまわっていた…

https://www.jazz-lyrics.com/jp/any-old-time/
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