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飛立知希
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【軍縮】北朝鮮の非核化とイラン核合意の行方―日本が担うべき役割は?
「ガジェット通信 連載JP」(2018年1月5日)
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被爆者サーロー節子さん「核兵器の選択肢あり得る」政府に憤り

      市民ライター 飛立 知希(2018年12月7日)

 昨年「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」がノーベル平和賞授賞の際に演説したカナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(86)が12月6日、都内で記者会見を開いた。
 日本政府に「核兵器禁止条約」への批准を求めたサーローさんは5日、自民党の岸田文雄政調会長と面会。6日に安倍晋三首相の代理として西村康稔内閣官房副長官と続けて面会し「みせかけの『橋渡し』」ではない真の核廃絶への貢献を迫る手紙を託した。
 サーローさんが今回、最も感触を掴めたのは「岸田さんが『もっとサーローさん達のアイデアをこれからもお受けしたい』と開襟して話ができたこと」とする一方、西村副長官は「政府としては市民を守る必要があるから核兵器を持つという選択肢もあり得る」という政府見解を示したことに対し「73年も証言活動を続けてきましたが、広島と長崎の被爆体験を最も理解しているはずの日本政府が『核禁条約』の交渉にさえ参加せず、さらにこの見解まで抱くのは被爆者として絶対に許してはならない。受け入れられない」と繰り返し何度も訴えたという。
サーローさんは政府を批判し「我々一人一人が電話や手紙で国会議員に働きかけ政府にプレッシャーを加えることこそが市民の役割です」と呼びかけた。
 来日二ヶ月前から調整を続けてきた安倍首相との面会が叶わなかったが「一国の長たる人がやはり自分と少しでも違った意見を持つ人にも会って語り続けるのが本当のリーダーシップでは?これではまるで拒否反応だ」と安倍政権を問題視する。
 一方でサーローさんは次世代へ軍縮の魂を引き継ぐ意義や希望を大いに感じている。広島県三次高や母校の広島女学院の生徒達と交流した。「よく軍縮を勉強した学生と海外の学生を交流できるようなアイデアを実現させたい。学びを行動に移し、一緒に頑張りましょう」と次世代に向けたメッセージを送った。
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強欲な「猛獣」トランプを喰らう「巨龍」習近平の一騎打ち
米中貿易戦争を他国事と捉えずWTO改革で先手を打て

市民ライター 飛立 知希(2018年11月23日)

 明日12月1日、G20「ダボス会議」で米中首脳会談が予定されている。米国のドナルド・トランプ大統領と中国の習近平国家主席が米中貿易戦争で対立する中、合間見えるトップレベルの会談だ。
「今年10月4日の米国のマイク・ペンス副大統領が米シンクタンクのハドソン研究所で行った演説で中国に衝撃が走った。演説は、中国の政治体制、経済政策、宗教政策、台湾政策、一帯一路などの外交政策、海洋進出、米国への中間選挙内政干渉を全面的に批判するものだった。米中対立の攻防が激しくなるとみられていたが、10月中旬以降、中国側の申し入れで、中国の魏鳳和(ギ・ホウワ)国防部長と米国のジェームス・マティス国防長官が会談。貿易摩擦の報復措置として米国産大豆の大幅課税に踏み切っていたものの、大豆を満載した貨物船が中国に出航したとの情報も伝えられている。米中対立は中国の態度軟化で「貿易戦争」ではなく「小さな衝突(skirmish)」だという表現にトランプ氏は変えてきた。これにより米中首脳会談で一旦衝突が回避される目処が予測されている。」「世界」(2018年12月号)
これが東洋学園大学の朱建榮教授(中国政治外交史・現代史)による現在の米中貿易戦争の展望である。本稿では米中間選挙の結果を受け、米中貿易戦争の中で霞みゆく北朝鮮の非核化やWTO改革の行方について日中関係から外観していく。
 
危機感足りぬ日中関係とマイク・ペンス次期米大統領誕生の可能性
 
今年10月26日の日中首脳会談により、安倍晋三首相は拉致被害者帰還の支援については一応の約束を中国の習近平国家主席に取り付けた。安倍氏は日中首脳会談で「『一帯一路』は潜在力のある構想で、日本は第三市場での共同開拓をも含みながら、中国側とともに広範な領域で協力を強化したいと願っている」などと軽々に中国を持ち上げてみせた。
「一帯一路」シルクロード構想はすでに中国の強欲な「略奪的経済」により特に途上国で行き詰っている。借款などしても返しようのない多額の負債を抱えるだけなのに、なぜ途上国が中国の「一帯一路」で持ちかけられるビジネスを請け負えるというのか。
そこへ来てさらに「宇宙」ビジネスまで「一帯一路」で進出を狙う習政権。日本政府は危機感が足りないのではないか。
中国情勢に詳しい拓殖大学の富坂聰氏(海外事情研究)は「(今回の日中首脳会談を)日中の雪解けとして中国が米中貿易戦争に疲弊して日本にすり寄ってきたと見るのは時期尚早だ」と苦言を呈す。(「Yahoo! News」2018年11月6日)

翌11月13日に来日した米国のマイク・ペンス副大統領はその安倍氏に主に「日米物品貿易協定(TAG)」に関して米国主導で日米貿易を統制していくことを強調した。
ペンス氏との共同記者会見の場でも「開かれたインド太平洋戦略」や北朝鮮の拉致被害者問題をめぐる働きかけに加え米中貿易戦争を念頭に、訪中の成果として安倍氏がペンス氏に「中国と建設的な対話ができた」と報告した。
「ペンス氏は同月6日(日本時間7日)に行われた米中間選挙の結果を受け、米国のドナルド・トランプ大統領より共和党議員からの支持を集める2020年の大統領選挙で最もポスト・トランプの有力候補と目される人物だ。」このように米国先端政策研究所のグレン・S・フクシマ氏は都内某所で開かれたシンポジウムで基調講演を行った。
 「米議会の下院民主党227vs共和党198(全435議席:途中経過)で民主党が過半数を上回ったことにより、『ねじれ議会』になった。民主党のナンシー・ペロシ氏が下院議長に戻ると思う。私はペロシ氏と最近話したが、民主党は下院でトランプ氏の弾劾手続きを始めるだろう。『ねじれ議会』になったとはいえ、上院が共和党を維持しているうちは大統領を辞職させるには上院で3分の2の可決が必要なので現状では難しい。今後、民主党が様々な調査を行い、トランプ氏は下院の追及を受けて証拠を出さなければならなくなる。国内に注目が集まり内向き思考になるだろう。下院のために公聴会に出なければならなくなる可能性も否定できず、トランプ氏はあまり外交には携われなくなるという可能性が一つ。もう一つは外交で点数稼ぎをするかだ。」と指摘した。
 実際、アメリカンジャーナリズムが猛攻に出て「ロシアゲート」や「脱税疑惑」を追及しトランプ氏vs米メディアの闘いは法廷まで持ち込まれている。

大国パワーポリティクスではなく小国が主導権を握る初の朝鮮半島情勢

今年6月19日の第三回中朝首脳会談で、習氏が北朝鮮の金正恩党委員長に「今後10年間の1000億ドルに及ぶ経済支援を約束する」と言明した後から、金氏は米国に対し、北朝鮮の非核化政策を明らかに遅らせる態度に硬化させた。その後、第三回南北首脳会談が開かれ、韓国の文在寅大統領が経済共同協力計画を正常化させ、南北鉄道開通事業も推進。北朝鮮の銀行財政資金援助も行う方針を打ち出した。これに対しトランプ氏が「韓国は北朝鮮にへりくだっている」と恫喝。米朝首脳会談の立役者である文氏にまで牙を剥いた。
 だが、今年9月28日に外交問題評議会で行われた文氏の基調講演では「北朝鮮の非核化にはトランプ氏の大胆な決断や中国だけでなく、日本やロシアも含む国際社会の継続的な支援が必要だ」と日露を枠組みの外に置かず両国の協力が不可欠であることを強調した。
 この間にも北朝鮮では寧辺の原子炉稼動を止めていないばかりか、新たに米諜報機関が発見した平壌郊外の平安南道道千里馬(ピョンアンナムドチョンリマ)に北朝鮮の核開発原子炉が稼動していることが分かった。
 先の米朝核危機を乗り切った「先南後米」政策を上手く北朝鮮が利用して韓国を抱き込み、中国というバックボーンを確かなものとしたことで、トランプ政権は第二回米朝首脳会談の開催を当初の9月国連総会後から今年度中と見積もっていたが、来年早期まで見送ったとみられている。
今後の流れとして、その席には中国の習氏や韓国の文氏も同席するのではないかという予測もされている。そもそも米朝間の「非核化」の定義は異なるものだ。北朝鮮側としては北朝鮮の脅威である在韓米軍の撤退と同時に日韓を米国の核の傘の下に置いている安全保障上の核抑止を撤廃することを「非核化」と解釈している。しかし、米国から言わせれば北朝鮮本土から核そのものを除去することを「非核化」と解釈しているのが国際社会の常識である。
早稲田大学の李鍾元教授(国際政治学)は「在韓米軍に対しては北朝鮮のレトリックで『撤退すべき』と強硬な姿勢を崩していないが、1992年金日成総書記の際、『駐留してもいい』と在韓米軍を何らかの理由で引き留めておこうとした。地政学的に圧倒的優位な韓国を眼前に南北緊張状態にあったのではないか。終戦宣言から平和協定まで、南北の非軍事化と事実上の米軍である国連軍の三者で回している。そこにいかに中国が関与してくるかだ」と指摘した。
従来の朝鮮半島情勢は米中にしか解決できる問題ではないという見方だった。しかし今年4月27日の「板門店宣言」、6月12日の「米朝共同声明」、そして9月19日の「平壌共同宣言」が下した小国がイニシアチブを握る新たな時代の米朝中韓の外交が展開された。

「新しい日中関係を考える研究者の会」代表の天児慧 早稲田大学名誉教授は東京大学で講演し「今日の朝鮮半島問題は①「非核化」実現、②統一へ向けた基本的な枠組みの構築、③北東アジア地域の「平和構築」の3つの課題を内容として事態が推移しており、「非核化」のみの視点から捉えるべきではない。北朝鮮問題と米中の直接対決という貿易戦争と文在寅大統領の朝鮮半島統一戦略を見ていくと、朝鮮半島の近・現代史で、『南北コリア』が主役として状況打開に取り組んだ大国パワーポリティクスの場にしない初のケースだ。北朝鮮は『並進路線』の復活をにおわせながらも米国との交渉に臨むであろう。日清戦争、朝鮮戦争などの過去から現在に至るまで大国に翻弄された史実から、今回、鍵を握っていたのが韓国の文在寅大統領だと言える。ASEAN首脳会談の場でも文氏が『ASEAN+1(韓国)を来年ソウル市で開催したい』と提案し、インドネシアのジョコ・ウィドド大統領が『金正恩氏を招待してはどうか?』と反応した。米中という大国の意向と離れた独自の動きだ。特に文氏がインド訪問、欧州主要国にも訪問し、南北が連絡事務所を開所。年内に南北で『終戦宣言、平和協定の締結』まで進むか否かに注目している」と解説した。

米中貿易戦争を北朝鮮の非核化遅滞の口実にさせるな

トランプ政権の経済不均衡の対中経済政策では、米国の大幅な入超と中国の大幅な出超が基本構造にある。米国の対中貿易赤字は2014年度、3426億ドル。2016年度が3470億ドル。2017年度は3752億ドルだ。
前出のフクシマ氏は「トランプ政権は多国的に関係を強化しようとしている。この8〜10年くらいの間に中国に対する考え方が相当厳しいものになった。アジア回帰の中でトランプ氏は中国に対する高関税措置を取っている。米国内でも今のところはまだ関税措置をとることで、米国の消費者、生産者に対する悪影響というのは、あまりはっきりとは出てきていない。鮮明なのは、農産物を中国に輸出しようとしている大豆、農産物関係者のことが言えると思う。結果が米国にとって不利だということがあまり明白になっていないので、いつまでかかるのか?という展望が一つの見どころだ」と指摘する。
 日本総研調査部の呉軍華 理事は「外需の中で全体的な中国の貿易黒字に占める対米輸出黒字の比率は2割くらいだった。黒字に占める比率は6割から7割。足元では駆け込み需要があった。ほぼ100%のレベルになっている。対米黒字がなければ、とっくに中国の経常収支は赤字になってしまう。『一帯一路』をはじめとする中国のパワー経済外交はできなかったはずの構造になっている。経済学的には合理性を生み出すことは難しいが、対米関係、対中関係を動かすテコとしては、この貿易戦争という影響にある。2001年に中国がWTOに入ってからの対米黒字の累積額約4兆ドルを超えている。経常収支の部分も対米黒字の分を差し引いたものだ。中国の外貨準備は一番多い時が2004年の3.9兆ドル。足元が3兆ドルだ。まさしく中国の対米アプローチがこの1年で劇的に変化した最大の背景になっているのではないか」と語る。
これに対し日本は「新しい日中関係」をいかに築いていくべきなのか。米中の貿易戦争は、前出の朱氏が解説するところの「小さな衝突(skirmish)」だとトランプ氏が表現を変えてきたというのであれば、「両国の経済外交は果たして本当に米中間だけの問題なのか否かを日本は考えていかなければならない」と呉氏は提起する。
 この間にも北朝鮮の非核化を巡る動向は遅滞化しており、第三回南北首脳会談の席で金正恩氏が爆破した東倉里の核実験場や寧辺の核施設にも国際査察を受け入れる意向を明らかにしたことが韓国の文在寅氏を通じて明らかになってきたが、坑道の入り口のみを破壊するだけでデモンストレーションを行なった可能性も十分捨てきれず、「ボーリング調査」や採掘をすべきだとの専門家の見方もある中、これ以上の障害は排除しなければならない。

米離脱リスクを抱えるWTO改革 中国を支援に巻き込み日欧が主導せよ
  
 今年11月16日、欧州通商担当のセシリア・マルムストローム委員はパリ会合で「中国はWTO改革の交渉に譲歩しなければならない。もしくは最近の制度に関して米国の支援だと分かるリスクを回避すべきだ」と語ったと「ロイター通信」(2018年11月16日)が報じた。
「中国はWTOの制度から数多くのものを勝ち取ってきた。そして我々は中国に今こそリーダーシップを発揮し、我々とともにWTO改革に関与しその制度を更新するため、また公平な競争の場を作ることを呼びかけている」とマルムストローム氏はいう。
非常に小さな改革では、中国が鉄鋼産業に不正な補助金制度を課したり、技術を盗むことで騙していると批判してきた米国との間で貿易摩擦が生まれた。中国の経済成長に反映させるよう誘導し損ねたと国際社会は見ている。
中国の王毅外相は「中国はより公平でより効果的にWTO改革を支援する意向がある」と述べた。
しかしトランプ氏はWTOが行いを改めないなら、WTOを離脱すると恫喝してきた。貿易論争の安定とWTOのより広範にわたる制度を麻痺させるリスクを伴う危機を引き起こしている。

前出の呉氏は「WTO改革は164カ国の賛成がなければ成せない仕組みだ。この仕組みを変えることは簡単にはできないだろう。日本やEUが懸命に米国や中国に対してWTO改革をやっていこうと働きかけているというスタンスだが、私はそう楽観的には見ていない。中国もこれだけの話になってくると賛成はできない。トランプ政権に対して私が看做しているのは、WTOの形骸化か解体かはともかくとして、おそらく前提には考えていないのではないか?トランプ政権の貿易政策を議論する時に、私は非常に違和感を感じるのだが、トランプ政権がやっていることは保護主義でダメだと。自由主義やグローバリズムだと自由経済、自由貿易がなければならない。これに対してトランプ政権が公正貿易だと。それは私は非常に違和感を感じている。なぜ今の時代、公正がダメだというのか?公正があっての自由ではないか。それがまさしくトランプ政権が進めていることになる。ただ、従来のアプローチではまず数の方で負けてしまうので、二国間(bilateral)の貿易政策をとる。これは日本政府も非常に嫌がっていることだ。日米物品貿易協定(TAG)やFTAに絶対乗らないなど、そこで非常に自由貿易を守ろうとする姿勢だが、それはエゴだ。日本は従来の農業という産業を守るか、自動車含む産業利益というものは政治的判断になってしまう。非常にエゴで動いているところが散見され、諸国は立派な口実を使ってこれは保護主義だと批判するということに私は違和感を感じる」と述べた。

今年11月18日パプアニューギニアの首都ポートモレスビーで開かれていたAPEC首脳会議は、異例の「首脳宣言採択断念」という幕引きとなった。しかしその場で安倍氏は「保護主義による貿易制限措置の応酬が広がっているが、世界貿易機関(WTO)のルールに従うべきだ。WTO改革にも取り組んでいく」と演説した。また「日本は、年内に発効するTPP11=環太平洋パートナーシップ協定などを含む、地域的、二国間取組に高水準のルールや不公正な貿易慣行への対処が盛り込まれるよう努力していく」と安倍氏は述べ、米中両国の貿易対立に自制を促した。安倍氏は東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の実現やアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)構想の将来的な実現性にも意欲を滲ませた。


呉氏は「ポスト冷戦時代になって、異なる価値観同士のグローバル化に入った。問題はWTOが一番いい例だが、問題が生じた場合に紛争解決メカニズムが効かなくなった。基本的にこのメカニズムが軍事協定のようなものだった。この資本主義がかなりマルクス主義時代に逆戻りしようとしている。言い方を変えれば、資本主義の貪欲性がどんどん発揮して、中国をはじめとするリベラリズムがそれほど進化していなかった国との体制が合体したということだ。この結果を受けて、米国の元々のコミュニティー。いま、「ラストベルト」時代と言われるところの地域の退廃が進み、米国も西欧州も同じように最もグローバル化が全面的に進んだ国々から反グローバル化のうねりが上がった。これをトランプ氏が最も敏感に感知した。トランプ政権の誕生という変化を促した最大の要因は中国なのだ。」との見解を示した。

 国際社会の中で、日中の協力の重要性をアピールすることの意味の方がはるかに大きい。
慎重論が多い今、国際社会の状況は自分たちが主体的に動くことで変わるだろう。日中の窒息するような閉塞感を打破するには中国側が訪日する回数が増えて反日感情が減った中で日本も突破口を探すべきであり、米国の次の狙いは日本の自動車産業への高関税だと言われる今、米中貿易戦争を人ごとで片付けるべきではない。
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国際法から見る「将来世代のための軍縮」の新たな課題
  市民ライター 飛立 知希(2018年11月22日)

 人類は新しい技術革新により戦争のあり方が変化していく可能性に直面している。
1949年のジュネーブ条約などの国際人道法(IHL)をはじめとして国際社会が積み上げてきた様々な規範―民間人の保護や捕虜、戦傷病者の人道的取り扱い、病院や教育機関、無防備地区への攻撃禁止などを含む多くの規範―は、この変化の中で通用しないものになってしまう可能性が高い。

国連のアントニオ・グテーレス事務総長が掲げる「軍縮アジェンダ」のポイントを見ていく。
「人間の安全保障」と「国家の安全保障」は国連的措置(集団的安全保障)の下で確保される。
概要としては以下の3点が挙げられる。

⑴「人類を救う軍縮」:核軍縮や他の大量破壊兵器の廃絶
⑵「生命を救う軍縮」:通常兵器の削減
⑶「将来世代のための軍縮」:人工知能(A.I.)やサイバー空間が核兵器に結びつく戦争

 映画監督のオリバー・ストーン氏が「血の流れない戦争になっていく時代が近づいている。反戦デモなども起こりにくい戦争が展開されることになるだろう」と述べたように、ドローンだけでなく全自律型殺人ロボット(Lars)を投入した無機質な機械戦争へと移り変わりゆくことに警鐘を鳴らしてきた。

 すでにサイバー戦争は始まっているが、十分起こりえる可能性としてA.I.を搭載した核兵器の具現化だけは絶対に防がなければならない最大の「将来世代のための軍縮」目標だ。
 史実を振り返ってみれば、従来、最終的には人間が核のボタンを押すか否かを判断してきたために、核攻撃と誤解して報復核攻撃を放つ命令を下す瀬戸際までゆき、ギリギリの判断で米ソが核戦争を回避できた1995年ブラック・ブラント事件などが確かにある。
 ロシアのレーダーが捉えた映像でロシアに向かって米国から核ミサイルが発射されたと誤認し、当時のロシアのボリス・エリツィン大統領はあと少しで5分以内に米国本土を十分脅かせる規模の核のボタンに手を掛けかけたという事件だ。後日ノルウェー沖から発射された米国航空宇宙局(NASA)のブラック・ブラント12という探測ロケットだと判明した。

https://www.ted.com/talks/erika_gregory_the_world_doesn_t_need_more_nuclear_weapons/transcript

 しかしA.I.という機械的な判断に将来的に完全に委ねることがあれば、十分核戦争の即断即決に結びつく極めて危険なリスクを負うことになるだろう。人間の微妙な熟慮を重ねた判断ではなく、機械が弾き出す答えは物理的かつ数式的に答えは常に一つしかないからだ。

 サイバー攻撃について触れると、2009年から10年にイランの核開発を妨害する目的でコンピューター・ワームが使用され、実際に被害が出た。また2015年末、ウクライナの発電所がサイバー攻撃により停止した事件が発生。2016年11月には西アフリカのリベリアで大規模なサイバー攻撃があり、同国のインターネット使用が不能になった事例が報告されている。
 未だ実際の戦争としては発生していないものの、サイバー空間にも国際法は適用されるという規範はできている。
 武力紛争の状況で企てられたコンピューター・ネットワーク攻撃に対する「ユス・イン・ベロ(the jus in bello)差別適用原則」では、あらゆる形態の武力紛争で、故意の攻撃の効果が適法な軍事標的に害を及ぼさねばならないということを必要要件としている。
 我々は軍事攻撃目標を識別しなければならない。国際人道法(ジュネーブ諸条約)の下では、あらゆる攻撃から民間人は保護されなければならないからだ。
 また、武力紛争の状況で企てられたコンピューター・ネットワーク攻撃に対する「ユス・イン・ベロ(the jus in bello)平等適用原則」では、予期される具体的かつ直接的な軍事メリットの度を超すような民間人の生命、負傷者を出す事故を引き起こすことや、民間人を攻撃目標にして損害を与える攻撃を固く禁じている。サイバー空間における調査すべき紛争下の締約国に必要とされるこの原則には3要件ある。中でも重要なのは⑶軍事的な攻撃目標ではない民間人の攻撃目標に関するサイバー攻撃の潜在的な影響だ。なんら軍事的重要性を持たない個人的な民間人のコンピューターが軍事攻撃目標であるコンピューターにつながるネットワークと化しているかもしれないという点を強調しておく。
 また、「差別適用原則」に留まらねばならない軍事作戦は、「1949年ジュネーブ条約第一追加議定書」第51条「文民たる住民の保護」(5)(b)によれば、攻撃とみなされるようなものに限られる。そして攻撃の作戦短縮化は「差別適用原則」の引き金にはならない。このことは特に民間人のデータに触れ、そしてそれは保護されないかもしれない。

https://www.lawfareblog.com/international-law-and-cyberspace-evolving-views

https://www.amazon.co.jp/国際法-浅田-正彦/dp/4798913359

http://www.yuhikaku.co.jp/six_laws/detail/9784641001466

 なぜなら、国連軍縮担当の中満泉事務次長・上級代表の言葉を借りれば、「サイバー攻撃などの場合は、紛争の主体がはっきりしない場合も少なくない。高校生くらいの若い人がキッチンテーブルでプログラムを作って国家規模の攻撃を行うことが可能だという世界だ」からだ。だからこそ中満氏が「将来世代のための軍縮」について「国家はもちろん中心的な役割を担っていくとしても、研究者やテクノロジー関係の技術者、民間のベンチャー企業などにも参加してもらって、どのような規範が必要なのかを話し合う必要がある」と提言している。

「世界」(2018年11月号)「軍縮ー取るべき選択」特集より
https://www.iwanami.co.jp/book/b378103.html
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新冷戦を誘発する中国も視野に入れたINF条約破棄を主導
ボルトン安全保障担当補佐官を訴追し欧州全域で米露に圧力を

       市民ライター 飛立 知希(2018年10月27日)

トランプ政権誕生後、初となる米中間選挙の投開票が11月6日に始まる。
 歴代の米政権がそうであったように中間選挙とは与党票をどれだけ野党が得られるかにかかってくる特質を持つ。1987年に米国のロナルド・レーガン大統領(当時)と旧ソ連のミハイル・ゴルバチョフ共産党書記長(当時)との間で調印された米ソINF廃棄条約からの離脱を今年10月20日に表明した米国のドナルド・トランプ大統領。トランプ氏は米中間選挙で遅々として進まない北朝鮮の非核化に苛立ち、安全保障分野で点数稼ぎを試みたのかもしれない。だがこれは米露二国間の問題ではなく、中国も意識した欧州全体も揺るがしかねない「新たな核の軍拡競争と惑星存亡を賭けた危機である」と欧州のシンクタンク「チャタム・ハウス」のパトリシア・ルイス国際安全保障研究所長は分析する。

https://www.chathamhouse.org/expert/comment/pulling-out-inf-treaty-mistake-will-affect-us-all

 米ソINF廃棄条約は500キロと5500キロ間、ないしは約310マイルと3400マイル間の地上配備型核ミサイルを禁止したものだ。米ソ両国が保有していた2700近い短中距離ミサイルの解体も行ってきた。1970年代の遅くに始まった旧ソ連の配備したSS-20中距離核ミサイルに対し、呼応するように米国が配備しているパーシングⅡ核ミサイル開発を進めてきた。
 トランプ政権は公式には明らかにしなかったが、INF条約からの離脱には通告から六ヶ月で発効すると規定されている。トランプ氏は米国のジョン・ボルトン大統領補佐官(国家安全保障担当)を10月22日にはモスクワに派遣し、ロシアのウラジミール・プーチン大統領とニコライ・パトルシェフ国家安全保障会議書記、セルゲイ・ラブロフ外相にその意図を説明させた。
 欧州のシンクタンク「チャタム・ハウス」のパトリシア・ルイス国際安全保障研究所長は
「米国のINF条約からの離脱は米露二国間の問題ではない。これは中国も意識した欧州全体も揺るがしかねない新たな核の軍拡競争と惑星存亡を賭けた安全保障の危機だ」と指摘する。
 あれほど「NATOの国防費負担を米国に押し付けるな」と人的・資金投入を最小限に抑える対外政策「道義的現実主義」を掲げてきたトランプ政権が北朝鮮には非核化を迫りながらも、自国は核ミサイル開発実験を新たに進めてきた実績を持つ。その開発配備を今度は反目してきた欧州諸国にロシアに対抗して敷くかもしれないというのだ。欧州にとってはロシアのミサイル防衛システムは最大の安全保障懸念事項。
ここでもトランプ政権は戦争の火種を撒こうとまず、今年2月に公表したNPR(核態勢の見直し)で示したグローバルテロリズムから標的を中国、ロシア、北朝鮮、イランに移し、特に中露という二つの超大国に的を絞った。中国が戦略を下方修正するために、何種類かの段階的にエスカレートしてきた政策を採用するものとして、中国という国を位置づけている。それが意味するのは、もし中国が仮説上の通常戦力による軍事衝突で主に勝利を収めることに直面していたら、敵に脅しをかける核の先制使用のポーズをおそらく取るかもしれないということだ。
 国際学術誌「平和と核軍縮」(長崎大学編・Taylor & Francis出版)に収録された「中国の核兵器先制不使用政策 潘振強[パン・ツゥンチャン]より「中国は核の先制不使用政策を変えるだろうか?」[筆者翻訳・編集](2018年5月21日)によれば「中国の核の先制不使用政策は核攻撃から他の核保有国を思いとどまらせるという唯一の目的のために中国が核兵器を保有していること」を意味する。
潘氏は「それは純粋に中国の核戦略の自衛性を表現している。その核の先制不使用政策は中国を助けるのに効果的だった。外部から核の脅威と取引することにも、デリケートな戦略バランスを維持する上でも妥当な政策として。その政策とは特にアジア太平洋地域で戦略的に安定したものにも貢献してきた。それは国際的な軍縮に向かって実現可能な道を示してきた」とした上で「中国が予見された未来に先制不使用の誓約を貫き続ける傾向にあると思わせる。その政策の蝶番ともいうべき運命は大枠では中米関係の革命に関することだ。二大超大国の軍拡競争を育む上で。核兵器の役割に関する非核保有国との中国の亀裂もまた、核の先制不使用に関して重要な結実を生むかもしれない。
 究極的には中国の真の疑問とはそれが戦略的なヴィジョンや政治的奨励に21世紀には核の先制不使用政策が限界を迎えるということを悟っている。そしてこのコミットメントを超えて、完全なる廃絶と全ての核兵器の破壊を通じて向かう道を補強すべく、あらゆる力を持つ軍事戦略上の核兵器の役割を削減したり、根絶するには世界的な努力の上に導く牽引役を担う」と指摘する。

https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/25751654.2018.1458415?fbclid=IwAR0N2vf708AMCMKmVZkMGXBgc4qQZ7ochB511vj6MdpliIYDzdMK9ZjIbFQ

 2000年にプーチン大統領とロシアの高官らがロシアの新たな核兵器開発能力を制限する「冷戦期の遺物」だとしてINF条約から離脱すると脅し始めた。
 これに対し最近の四年間で米国はロシアにINF条約の権利を非法令遵守の境界線を明示して推し進めるよう呼びかけ続けてきた。米国は、ロシアがINF条約に承認された範疇で地上配備型巡航ミサイル開発を続けてきたとロシアを非難してきた。2017年にトランプ政権はロシアが配備し始めたと公表した。ロシアはこの米国の申し立てを否定し、米国に弾道弾迎撃ミサイル制限(ABM)条約を離脱し、米国こそがINF条約に違反しているという証拠として、米国のミサイル防衛システムの配備を逆に指摘した。米露両国で非難の応酬を行ったのである。
 
 米国がABM条約から離脱し、生物化学兵器条約を強化するための交渉からも離脱するということを目の当たりにしていたボルトン氏こそが、INF条約離脱を提案した張本人である。これらの国際条約で米露両国の長距離戦略核兵器を削減してきたのだが、米国を新START協定からも撤退させるだろう。この潮目では軍拡競争に拍車がかかり、どこにでも喧嘩を売るトランプ氏の炎上ビジネス手法による戦火の種が世界的に拡散していく。
 バラク・オバマ前政権時に核の専門家として国家安全保障会議(NSC)に座していたジョン・ウォルフストール氏は「欧州を怒らせることになるだろう。今は落ち着いているが、米国が本格的にINF条約から離脱すれば、その同盟国の分断を図りNATOの中心地にまで行ってもう一つの手で手榴弾を投げ込むようなものだ」とNYT紙(2018年10月19日)に語った。

https://www.nytimes.com/2018/10/19/us/politics/russia-nuclear-arms-treaty-trump-administration.html
 
欧州はINFを「欧州安全保障の構造の支柱」だと呼び、「(米露は)建設的な対話に関与し続ける必要がある」としてINF条約破棄の慰留に十分に言及した。
 フランスのエマニュエル・マクロン大統領はトランプ氏との電話会談で「この条約は特に欧州の安全保障にとって非常に重要だ」と協議したと仏外務省を通じて発表した。
 ドイツのハイコ・マース外相はトランプ氏の離脱表明を「遺憾に思う」と語り、「我々と欧州には甚だ難しい疑問だ」とした。
 また、英国のギャビン・ウィリアムソン国防長官は「この条約を堅持する立場を見守りたい」。しかし部分的に米国に復帰し「いち締約国」にINF条約は米国との間に「絶対的な解決策」になり得、「ロシアがこの条約を尊重する必要性があるという明白なメッセージを本国では激しく非難している」と語った。
 プーチン氏がクリミア併合しウクライナに軍事介入した2014年のオバマ政権が公式に初めてロシアのINF条約違反の非難の口火を切った。
 2017年の終わりに、国家安全保障会議が、違反の原因となったNATOによってSSC -8と称されるロシア製の地上配備型巡航ミサイルNovator 9M729だと明らかにされた。
 ロシアもまた米国を、特にイージス・アショア弾道ミサイル防衛システムを指摘しINF条約違反だと強く非難した。
 新アメリカ安全保障センターで大西洋横断安全保障プログラムのジム・タウンセンド上席フェロー助手(オバマ政権下で欧州・NATO政策国防副補佐官)は「西洋のミサイル防衛システムはむしろロシアによって推進されてきた」という「虚偽の物語」の一部を成すこれらの主張に反駁した。
 軍備管理不拡散センターのアレクサンドラ・ベル上席政策長官は「全ての外交的オプションは考え尽くされたという証拠は何もない」と語る。
 「米国はロシアに最近になって配備された9M729ミサイルを検証した上で解体するよう求め、そのために査察官に機会を提供したい。そうすればワシントンは、もはやミサイルは製造されていないということを確信できる」とベル氏はした上で「ロシアは我々のミサイル防衛搭載が攻撃能力のために使われることはできないと確信したいのだろう」と指摘する。
 当時INF条約に調印したロシアのゴルバチョフ氏はトランプ氏の「INF離脱計画」を受けて「偉人の所作ではない」と批判し、「欧州で新たな軍拡競争を引き起こす引き金になり得る。ロシアは最近の条約に寄せられる苦情に喜んで相互に働きかけてきた」と語った。
 INF条約を破棄することは何を意味するか?「米国は様変わりしないが、将来の開かれたこれらのシステムを開発し始めるということだ」とクレムリンの露大統領報道官ドミトリー・ペスコフ氏は語った。「ロシアをこの惑星で均衡を回復するための親切な回答に導ける」と。
 中国は原子力潜水艦の配備を加速させ、軍縮に逆行する動きに出ている。
他国は中国の原子力潜水艦をその核戦力を強化する努力の一部として、温存していると見なすかもしれない。そして核兵器を中国の国家安全保障戦略のより大きな一部にするだろう。もし、この事実を信じるとするならば、米国の同盟国は彼らの安全保障のための米国の核の傘にさらに頼ろうとするだろう。
 その核武装した原子力潜水艦を防護するために、中国を脅威に晒し得る敵船や戦闘機を交わすため、海中の大量の多目的戦力を配備する必要性がある。
 他国はこのことを地域的な軍事的優勢を探るために精力的な中国の動きとして見なすかもしれない。隣国は中国の影響力を及ぼす領域と見做した成長に対抗するために米国との安全保障協力を増強するかもしれないのだ。
欧州は中国の核抑止について何も理解していないのではないか?
前出の潘氏は「核の先制不使用政策は中国を台湾海峡での内紛のような米国との可能性ある内紛において非常に受動的な立場に置かされている。中国は原子力によらない強さで米国とは差別化している。そのような内紛において中国はもしかしたら抑止として核兵器を行使する脅威を除き大いなる力を持った敵性国家に思いとどまらせるための効果的な意味を持たなかっただろう。中国は核兵器に関しては核の先制不使用を放棄することによって、また核抑止の最大限の行使を準備することで、それ自体の枷を取り払わねばならない」
中国と国際社会が核戦争のリスクを減少させるためには何をすべきか?
カーネギー国際平和基金のグローバル政策カーネギー新華センターのトン・チャオ核政策プログラムフェローは「中国と他国は互いに核思考と核態勢をよりよく理解する必要があり、彼らは誇張された脅威の認知とオーバーリアクションを避けねばならない。他国による核兵器の使用を遅らせるだけの核兵器の役割を制限し、このような国家安全保障戦略で核兵器の役割の一部を最小化すべきだ。
彼らは危険な核態勢をも避けるべきであり、そのように核戦力を平時においても高度な警告を発し、司令、制御、通信システムの同じセットを共有するために核と通常戦力システムを容認する。最終的には未だ全容の明らかにされていないA.I.技術と核兵器の融合を諦めるべきだ」と提言した。

https://carnegietsinghua.org/2018/10/24/tides-of-change-china-s-nuclear-ballistic-missile-submarines-and-strategic-stability-pub-77490

 英国や西ドイツ、オランダ、イタリアそしてベルギーは1980年代にいわゆるユーロミサイルと呼称される数百もの核弾道を歓んで保有していた間、「どの国も今、それらを歓んで受け入れるとはみなさないだろう」とシンクタンクのスティムソン・センターの創始者ミカエル・クレポン氏は叙述した。
 NATOの基地とインフラが最優先の標的とされるかもしれないドイツでさえ、追加的な防衛は模索しないかもしれない。ベルリンはミサイルを運用するつもりはないという非常に早い段階での兆しを見せがちだった。米国はそれがかつてよく取引されていたとベルリンに見せたはずだ。「もう一つの方向に向かい続けている」前出のタウンセンド氏は付け加えた。タウンセンド氏は「より多くの兵器を買うより、むしろドイツが欧州連合(EU)と欧州により手広く回帰するなら…西洋の安全保障の中ではより強い手を担う必要があり、ロシア人と取引している間により強い手を打ち、我々自身の足元を固めてより強い一手を打つ必要がある」と指摘する。
 トランプ政権はINF離脱表明から手を引くべきである。次に起きることとはレバレッジ(負債比率)を大きく超えるという財政の問題だ。
 議会は地上配備型中距離ミサイルを許可せず投資資金を制限することができる。上院が米露によって働きかけてきた条約を元へ戻すことをも承認しなければならない。
 欧州の首脳たちはトランプ氏とプーチン氏にこれらの交渉の席に着かせ、条約を堅持するまで留まるように圧力をかける必要があると前出のベル氏は指摘する。
 「議会もまたやれるだけの手を尽くす必要があり、INF条約を保持するためになされるべきだ」と公聴会を通じてできることはあったはずだと付け加えた。「もし抵抗勢力に会ったとしたら、議会は確かな核システムのための投資を許可しないことができるだろう」

https://www.businessinsider.com/trump-plans-to-scrap-inf-treaty-with-russia-create-risks-in-europe-2018-10

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【蔵出し翻訳資料:FRENCH NEGOTIATING BEHAVIOR】
CASE1: THE DISPUTE OVER
NATO's SOUTHERN COMMAND(p.163~186)
 翻訳:飛立知希(2004年頃)

1996年フランスはナポリでNATOの南部命令の中で変更方針を提案した。
 そしてそれは常に合衆国の提唱によって指導部に位置づけられてきた。
 この命令はモンスとベルギーに本部を置かれ、常にアメリカの一般事務局であり続けてきた欧州連合軍最高司令部(SACEUR)の下で二つの地域命令の一つである。
 フランスが統合命令をやめ、その領土から引くべきNATOの隊に命令を下す時
 もっとも知識のあるフランス事務局が今承認されたとしても、そのフランスがこの論争の中で行過ぎてしまったとき、後続の論争は1966年からフランスとNATOとの関係において最初の公式の※炎上だった。
  あるフランスの外交を要約してまとめあげているので、「たとえ誰がジャック・シラク大統領の頭にその南部命令についてたずねるというのか?これはむしろ高望みしすぎていることにならないか?」
同じとき、しかしながらその不支持がアメリカにひっくり返されてきた。そしてフランスの需要を加速させることについて、彼らの高い馬に位置づけられている。影響についていえば、「もう十分だ、十分!Nyet!」
 フランスがフランスの需要に合致することを鈍らせ公共の合衆国によって屈辱を与えられてきたとしても、ますます合衆国側にのる外交とわかり、後悔し続けるだろう。
 NATOで数多い、組織化された指導部としての合衆国事務局で、今や知識あるモンスにおけるその軍事指令部で、合衆国の強硬さは失敗-フランスをNATOとは別の西洋の防衛力の発展のために奨励するという失敗へ向かう外交に運命付けられた。
 フランスのロンドン大使で前NATO大使ジェラール・エラール氏は書きとめている。
 「もしこれらの外交が成功してきたとしたら、イギリスとフランスが欧州防衛力の考えで一致した場所であるサンマロでは決して起こらなかったかもしれない。」
 そして決心の結果がサンマロで出たので、今やNATOと欧州連合の独立した防衛力という、二つかそこらの独立した軍事組織は同じ地域の欧州に出て行く。
 フランスはNATOに多くの見返りがある見解との交換の中で望んできたようにみえるものが、大西洋同盟内の比較的自由機能の欧州防衛のアイデンティティーの確立だった。
 フランス人はNATOを含む内部命令の厳しく欧州チェーンを達成するように望んでいた。
 それはフランス人になるだろうナポリの主要南部命令基地を通してSACEUR副司令部から逃亡したことだろう。
 地中海はフランスに主要の趣向であり、地中海自体にフランスの現役海軍があり、フランスの首都に大きくしめる北アフリカの人口率と、考えに入れるべき政治的騒動と、丁度フランスから地中海を横切る貧困国マグレブ(この本文の中でしばしば言われている合衆国にとっての中央アメリカの存在であるような、フランスにとってのマグレブという)
 これらの理由からフランス人は南部命令部が、フランス人がフランス人であるという意味で南部命令部が欧州に与えられてきた必要性を重要だと考えている。
その核となる合衆国の位置づけはフランスの位置づけを監視するというもの。
 アメリカ人は※保存する必要を認めている。合衆国単独の命令連帯―核兵器において特に。
 ワシントンからSACEURに向けて、また南部命令部に向けてまた、潜行核兵器の完全にある地中海の第六艦隊にむけて走ってきただろう。
 我々はこの章の最後を見るので、ワシントンから第六艦隊に向かって特筆すべき合衆国の命令連帯部を超えた機能的な権威を、NATOが決して所持していない現実を知るだろう。
 しかしジャック・シラクは、フランスに南部命令部をおくべき第六の艦隊のために特別な管理をおかなければならないだろうと認識しているが、一般的なフランスのリーダーシップは、アメリカがナポリに命令をおく重要性―特に潜行する核兵器の命令部と雇用という点でーを把握していない。
(フランスとつながりをもついくつかの軍事審査官 
フランスと合衆国の位置づけの間で基礎的な比較のできなさは率直に受け止められるべき同意に達するという希望を排除してきた。
 さらに他の要因で双方設置しているところから二つの国の司令部が限られた約束や直面している保持してきた解決をできなくしていた。
 これらの要因のうち一つは、フランス-合衆国間に積まれてきた長い不信と疑惑の遺産を変遷してきた。
 もう一つは指導者の個性と特にフランス大統領シラクの人間性だ。
 他方、フランスの軍隊の主要職員の援助下で指導されてきた計画研究を通してNATOに十分なフランスへの見返りを準備した動きの中に置いて、シラクは合衆国に関するフランスの保持の鋳型を破ることがわかってた。
 また他方ではシラクが軽騎兵の兆候を持ち、政治的衝動に駆られた行動について熟知していた.
 彼はこの件に関して高すぎる目的を置くばかりではなく、彼はクリントン大統領との問題に関して個人的に約束している。
 この事件は比較できない政策の外交に関する衝撃と衝動的な人間性だけではなく、数多くの重要性とフランスと合衆国の外交形式間の恒久的な違いも描き出している。
 フランス人が長期目標の見定めてある外交に近づく間、アメリカ人がそれらに実用的に近づいて、一歩一歩基礎を固めていく。
 フランス人は二つ予測される反対―NATOとの連携と、NATOからの偉大なる脱却という反対を合理化して協調させるとわかっているときに前後に揺り動かして弁証的に採用してきた。
 アメリカの接触は、撤回なくして増加の追加の基礎の上で実務的に進められている。
 そのためしかるにフランス側は、厳しく訓練し、正装化したが、合衆国側は、必ずしも同じ終焉に向かって働かない、幾つかの機構を明らかに織り成してきた。
 
 フランスはNATOとの和解に向かって動く

 欧州の補助秘書として合衆国側と、主な市民外交交渉をしてきた、ジョン・コーンブラム氏によれば、南部司令部の起源は1995年の秋まで遡る。
 その時同盟各国のメンバーがNATO再建と、冷戦後の再評価した同盟各国の配役に関する広範囲な議論を約束してきた。
 このポイントで、コーンブラム氏によれば、NATOメンバーが主要な無害化を想定する。そしてそれは、合衆国下におかれたSACEUR,欧州であるSACEUR(欧州最高軍事司令部)の副司令部を形作っている。
 この新たな※始まりは、アメリカ人が望んだり、含まれる必要性を感じないところで、欧州の指揮系統のために、欧州のSACEUR副司令部がNATOの軍事資産-(通信手段、航空リフト、などなど)に使われることができる。
 この新しい管理の青写真の中で、フランス人が非公式に彼らの合衆国のcounterpartnerに彼らが統合したNATOの指揮系統に見返りがあると考えていることを理解させる。
 NATOとフランス間の外交が始まったのは1995年の秋で、三つの異なった指令を与えられていた。それはNATO、フランス-合衆国、二国間の、クアッド(合衆国、イギリス、フランス、ドイツ)
 クアッドは初めベルリンに焦点を絞った四国のNATO内でのセミナーとして設置されており、全体として国際状況をレビューされた団体に数えられていた。
 フランスとNATOの関係が冷戦後を背景とした時代に議論されていたように、欧州連合とNATOの関係についての議論であった。
 しばしば二つの項目は重複されてきた。
 1992年に調印され、1993年に批准したマーストリヒト欧州連合条約は、全く欧州メンバーの共同防衛力を導くことができた共通外交安全保障政策(CFSP)について初め記述していた。
 1994年にブリュッセルで開かれたNATOのサミットは欧州連合の共通安全保障防衛政策(ESDI)を認め、そしてそれは少なくともCFSPのコンセプトで、※成長と機能性があった。
 その時の防衛大臣チャールズ・ミロン氏に対する外交助言者であるフィリップ・ギュエルイ氏によれば、前者のユーゴスラビアがその戦略地位のフランス再評価における鍵となった。
 ボスニア戦争がNATOの干渉で近く引き起こされ、フランスは指令に参加したが、NATOの指揮系統中核のメンバーではなかった。
 フランスは後続の形を取ったことについて再考した。

 欧州は欧州安全防衛自立局の発展なしに前置NATO政策をもつことはできない。
 しかしNATOを無視しての欧州安全防衛自立局はありえない。
 その指摘まで、欧州安全防衛自立局はNATOをかやの外におく※犠牲を強いてきた。
 第二の終幕の間、NATOを含んだ行動をとる※理解を示してきた。 
 (しかしながらついに)この自立局がNATOと協働できるために変化を引き起こさねばならなかった。
 
 1995年六月にボスニア戦争が戦火に拍車をかけていた丁度その時なので、大統領としてのシラクの着手は、フランス側がNATOに向かって後に動くようにさらなる刺激を分かち与えていた。
 シラクは彼の前任のフランソワ・ミッテラン大統領には似ず、即座にボスニアへの非難に対するきつい政策提言となった。
 1995年の12月、ボスニアの平和が達成された一ヶ月後に、フランスはNATOの軍事委員会に復帰すると宣告した。
 これはフランスのNATOへ完全復帰に向かっての一歩となった。 
 軍事委員会はNATOの軍事司令部を超えた政策体であったが、厳密に言えば、司令部の一部ではなかった。
 (実際フランスは、1966年にNATOと※亀裂を入れてから投票メンバーとしてではなく、軍事委員会に関してのみ関係を維持していた)
 外交が前進したので、フランスがまもなくNATOの統合司令部に再参加するという調印を奨励していた。
 コーンブラム氏はしかしながら感じていた。「物事がうまく行き過ぎる。我々はこんなに簡単なのかと思うべきではない。」
 彼は彼のフランス人代弁者に言った。
 
 フランスチーム

フランス側からNATOに完全に復帰する手初めに、前政権で外務大臣を務め、現政権で」シラク氏の側近、主要大臣のアラン・ジュペと同時にシラク大統領に収益をもたらすための考えを売る、技術者のチームを最初においた。
結局熟練したフランス防衛事務局によれば、NATOに復帰することを考えてきた決定は

ミッターランドに似ずNATOに対して敵意ある態度であることを知らなかった。
シラク自身によって下されるという高次元のものだった。
シラクはNATOに対してよそよそしいフランスの位置づけを改めるため緊張感のある長期的な警告を発し続けていた。
代わりに1993年2月8日にパリの保持された事務局の栄誉ある歓待席でフランスが望んでいるかどうかを記述した。

 欧州独立防衛局を生み出す配役を決定すると、そのパートナーとなる州首脳に数えねばならず、NATOとの関係のかなりの度合いの形を再考せねばならない。
WEC(西部欧州連合)が合衆国に対してではなく、合衆国に賛同して、内部からだけで起こってきたような、逸脱した欧州構造に依っている、大西洋同盟ないでの再均衡関係の必要性は影響面で明らかである。

しかしシラクがNATOとフランスの関係を調整する考えを好んで配置していた間、フランス政権の階層の大多数は、フランス防衛政策に急進的な出立を支持していなかった。
対照的に政策階層内部の力強い要素が、フランスをNATOへ復帰させることに頑強に反対していた。
注目すべき共産主義者、「英雄的古代ガリア人」(時として軽蔑的に「古いガリア人」と参照された)そして社会主義者、彼らは丁度シラクの大統領の地位を損なわせてきた。
最初からNATOに復帰することを好んで、政治の有権者不足はフランスの主導権をとる上で主要な弱点となった。
働くレベルで、この主導権派、もう一つをよく知り、共に協働しているすべての幾つかの12人の技術者の数百もの集団の中にあった。  
彼らは政府の四要素からの助言者を含んでいた。防衛大臣のエリゼー・マティニョン氏のフランス外務省(ケードルセー)だ。
フランスチームは、NATOとフランス双方の形式がNATOに帰属するというフランスの確立が達成されることを確信させるように望んでいた。
そのチームは二つのスタートが考えられる。
第一にフランスは、NATOのフルメンバーなしでNATOの介入という協力があった、ボスニアで起こったことの現実に対応させなければならない。
第二にフランスは、もしその主要な欧州パートナー、主にドイツとイギリスを欧州防衛実体を生むための主導権をともにするように説得できたなら、NATOを緊密にフランス側へと寄せねばならなかった。
NATOへの接近は、合衆国から離れた欧州へ試みていたという、フランスの欧州パートナーの疑惑晴らすことになるだけではなく、同時にフランスが本物の欧州防衛を生むことに尽力することを助けることにもなるだろう。
 全体でフランスチームは同盟内で欧州への偉大なる機動作戦者を与えることによって―たとえば、合衆国が含まれなかった場合のNATOへの支持がある指令を独自に果たすときに―NATOとの関係を再構築すると考えていた。
この野心は、二つの反対を取ること-欧州独自防衛と合衆国が制御するNATOというー-で、フランスの傾向に弁証的な対応を考えさせるように反映していた。そしてそれは欧州のための行動をより自由化することと、合衆国国内の―軍事同盟の憲章文と前後関係内のすべて-をより自由化することを含んでいるだろう。
たいてい合衆国の事務局は、しかしながら、本来備わっている逆説が唯一フランスが直進してこなかったという気づきや、彼らがNATOや、その侵すことのできない主要な指令連体を切り捨てようとだけ唯一試みてきたという気づきを強めることを助長するだけである。
 さらにアメリカ人は、我執国が含まれたがっていなかっただろう時にNATOの支持された指令を欧州人が遂行したであろう多くの状況を可視化できなかった。
 にもかかわらず、それは主要な行動とフランスが主張を渇望しているという不利な自由だった。
 新しい主導権を操っているフランスチームは、劇的な方法で、NATOとの再接近へむけて最初のステップを宣告したがっていた。
 フランスのNATO軍事委員会へ再接近するという、この段階は、1995年12月にブリュッセルの北大西洋評議会の会合で外務大臣のエルベ・ド・シャレット氏によってなされた。
 その考えは堂々と公示され、ブリュッセルの聴衆を驚かせ、感動させた。そしてそれゆえに前進する偉大なる一歩を踏み出した。
 シャレット氏の宣告に対する反応は本当に好ましいものだった。
 NATOの欧州メンバーは驚き、喜んだ。特にイギリスは長らくNATO-特に地区司令部組織の動向を再構築したがっていた。
 ドイツ人はますます躊躇してフランスがNATOへの復帰を開始することを研究するのに時間を欲していた。
 アメリカ人もまたフランスの接近を喜んでいた。
 ついに合衆国は、フランスが彼らの感覚―彼らの本当の居場所はNATOであるという感覚に乗ってくるのを感じていた。しかしこのことだけがフランスの目標ではなかった。そしてそれは欧州独立防衛の創出を維持していた。この最初の誤解は後に続く不支持と不一致という舞台を用意したのだ。
 シラクはブリュッセルの会合後数週間で1996年の2月1日にフランスの地位を復帰させた。

 フランスはこの復調過程で※それを十分に分かち合うと想定する準備をしていた。
 フランスは数週間前の、軍事構造組織を伴う再接近宣告によって、このことを強い示威運動していた。そして私は今日開放精神とフランスがNATOのこの採択―欧州の独自性が十分にそれに関して主張できる限り、軍事側を含んで、近づくことができるという可能性を確信した。
 1995年12月にブリュッセルで開かれた会合に伴い、パリのフランスチームはNATO内部での欧州独立防衛の考えを具体化しようとかんがえていた。
 そのチームは、必要とされるときに活動でき、西部欧州連合の戦略的指令下でも作動するだろうという永久欧州構造以外の潜在したものを生みだして可視化していた。
 この構造は、NATOの財産を使って、欧州によって指導されてきた作用のためにあるが、アメリカ人が参加しないようにえらんでいた。

 ベルリン 首脳会談

ブリュッセルでのフランスの宣告後、合衆国、イギリス、フランス、ドイツのNATOへ派遣した大使は次の段階の議論をすべくボンで会合をひらいた。
 フランスの代表のエレーラ氏によれば、彼と彼のイギリス人の協調者は、ボンからブリュッセルへ帰ることに関してNATO内部の指令を除く西欧同盟(英・仏・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク:WEU)の構造内部でのESDIを共におくことが含まれるだろうという主要要因に関心を集めている紙の上に彼らの考えを書き記した。
 1996年の3月と4月に、4人の大使はイギリスフランスの草案の基礎を議論したものをレジメにし、6月3日にベルリンで開かれたNATO大臣会合で問題に扱ってきただろうという公式声明の原文に行き着いた。
 その公式声明は何の※も含んでおらず階層―つまり何の議論をする点も含んでいない―イギリスフランス草案に対するドイツの大使の反応が警戒的だったが、おそらくESDIの行動をずっとより自由化しすぎることを承認したためと思われる。
 その版本がワシントンに届くと、そこでは事務局がその革新に続いて近づいてきたと想定された。このことはその場合ではなく、影響面でワシントンがNATOへ派遣した合衆国大使、ロバートハンターが、その版本を改める必要がある、とした見解をくつがえした結果だとわかった。
 それがわかったので、その版本の修正は大変うわべだけのものとなり、欧州の唯一の指令―換言すれば欧州人の行動に幅広い自由を与える、を導くためにNATOの財産を使うだろうというWEU周辺の欧州防衛支柱を組織化している基本的な考えが維持された。
 しかしながら、その版本がたいてい無傷にたっており、エレーラ氏の言葉を借りれば、政治的影響は「損害の大きいもの」だった。
 ワシントンでは、その版本はフランス人とイギリス人によって導かれたNATOの「降伏」として見られていた。
 明らかに困っている様相の州秘書ウォーレン・クリストファー氏によって導かれた、合衆国代表派遣は、ベルリンに着いて書類に調印した。ジル・デラファン氏、トーマス・サンクトン氏、クリストファー氏は初めに言った。
「私はこのいまいましい共同声明に調印したくなどない」
 しかし問題を解決させたいと考えているクリントン大統領の断言で、その共同声明は採択された。そしてそれをもってフランスにとって受け入れられる要素となったのだった。
 Erreraの見解では、フランス人がまだもう一つの新しい提案―欧州の南部司令部を与えるという-を紹介していなかったときに、1996年の夏も後半に差し掛かった折に起こった、厳しい合衆国の※水面下での動きを理解するために背景を記憶にとどめておく必要性がある。
 そのベルリン共同声明には「軍事干渉と政治制御下での効果的な指令隊列強化と、そんな「軍事力」の「迅速な指揮系統」を承認するだろうという「欧州指令部管理」も同然のWEUの戦略的方向性」の記述があった。
 また、WEUはNATOの可能性とWEUによって再形成されるという指令の財産をも使うだろう。
 すべてのこのことはWEUが活動し指令を下すという休止状態の構造を生み出すフランスチームの目標から遠くかけ離れたものに見えた。
 加えて、ベルリン共同声明は、「軍事命令構造のための推奨は最新で将来のユーロ大西洋安全面に位置づけられた。」ことを※実現させて、NATOの軍事委員会を変えてきた。
 NATOの国際的再形成の問題の誘発があると、少なくとも欧州人の見解からすると、特にフランスの繁栄という点からすれば、優先性ある再形成は考慮さんる必要性がある。
 1996年6月ベルリンの首脳会談における彼のスピーチでは、外務大臣シャレット氏は会合で主な前進姿勢に賛同していたと言った。
 そのフランス人はどのようにしてこれらの要素が実効に移されていくのかを待ち、見るだろう。
 彼は自分が、フランスがNATOへ復調していく可能性を排除していくつもりはないと付け加えた。
 フランス人は本当のターニングポイントは、ベルリン共同声明の歌を歌って起こってきたと考えねばならないことがわかるだろう。
 その共同声明はESDIを発展させる必要があることを単に再び断言するだけではなく、彼らの計画を含んで、これらの目的のために借り入れている、情報通信や航空リフトといった、NATOの財産に対してWEUが純粋な欧州指令を変えることができるということもまた知っていた。
それはフランスがベルリンの首脳会合―ESDIの特質の回数と、国際的なNATOの再形成の回双方で、このことがすっぱく感じられるように思えたという-の終わりで、フランスの収益になる瞬間に続いてきた。
 ベルリンにおけるすべての立場がNATOを再形成する主要要因を受け止めてきたが、アメリカ人が余波の中で主要指令統合に開かれていた。-すなわち指令責任がこぼされるべきではない。
 欧州人の間で、しかしながらイギリス人でさえも、(フランスチームを信頼していた)主要指令統合を、それがNATOの構造に非常に重すぎて、アメリカ的すぎにさせて受け止めることができないだろうとみていた。
 含まれていた合衆国の外交官によれば、合衆国の接近は後続公式に要約されることができた。-主要要因に関する柔軟性、詳細に関する堅実さという
 しかし前章が書き留めているように、フランスの接近外交交渉は典型的に非常な困難を極めている。かつて一度主要要因が賛同を得られたが、詳細は多かれ少なかれ論理的作法に置かれることができた。
 接近における違いとは、ベルリン会合に付き従うべきであった失望―フランスが、NATOの財産を使って、WEUの戦略的方向性下の欧州唯一の指令が、ベルリン共同声明の中で達成されるという-失望を説明する助けとなる。
 残りは-すなわち詳細だが、自然とあるべき場所へと入っていくだろう。
 フランスチームの見解では、新しい要素が、ベルリン首脳会談が解決してきたと思われる状況を変える導き手となった。初めNATO再形成に必要とした朱書きの下で、フランス政府は新しい需要を紹介することによって価値をつけることを提案していた。-すなわち、欧州は南部指令を与えられるということだ。
 第二に、合衆国における「ダイハード」は、ベルリンで決められてきたことに関して「制裁を加える」と考えていた。
 ベルリンで袂を別ったその結果が徐々に進展した結果に他ならない。
 しかしながらフランス人が合衆国のダイハードの一つと考えていたコーンブラム氏は、彼自身はたいがいベルリンの首脳会合の提案を理解していたためにこんの見解がその状況を誤った方向に導くと発音して代理になることを続けた。
 
 南部司令部問題の幕開け

 1996年に南部司令部へ明らかに突然焦点が絞られたフランス政府の背景には、NATOの立て直し指令がすでに乗り出していたという事実が横たわっている。
 その変化、すなわち1996年に公式のものとなり、1998年から効果的になったという変化が続いていた。戦略的司令部の数は二つに維持されている。-アメリカ人が指揮をとる大西洋司令部(大西洋同盟最高司令部SACLANT)と、やはりアメリカ人が指揮する、欧州司令部(欧州最高司令部SACEUR)-しかしSACEUR下に置かれた地域司令部の数は三つから二つに削減されるだろう。-北部司令部と、形造られたブランソン、オランダ、南部司令部に所在している、北欧州同盟軍部(AFNORTH)と、ナポリとイタリアに所在している、形造られた南欧州同盟軍部の二つだ。
 新しい段階としてドイツとイギリスが新しい北部司令部の主要地位と副SACEURの地位とを回転すべきだと申し出ている。
 そのアメリカ人は南部司令部に開いていた。
 これは影響力からすると、イギリスとドイツ一国につき彼らを置くことのできる、彼ら自身のためになるなにかを望んでいるフランスはNATOへの復調を決めるべきなのか、このことはフランスに場所を明け渡さず、
 それゆえにフランス人はナポリの南部司令部に焦点を絞ってきた。そしてそれは地中海を越えた司法権を持っていた。
 その他のことの間ではナポリにおけるフランスの出席は、欧州海軍(EurMarFor)プログラム下で打ち上げられてきたフランス、イタリア、スペイン間の海軍協働の可能性を高めただろう。
 フランス人は、アメリカというよりもむしろ欧州に行っている※ナポリの地位の期間に、それらの提案を告げてきたが、彼らは自分たちの地位を明らかに探してきた。
 もしアメリカ人が欧州に指令部をしぶしぶ譲渡したなら、北部命令や副SACEURという、その他二つのトップ欧州地位のために、イギリス、ドイツが互いに交代してきた南部司令部は、フランス人のもとに帰属すべきだ。
 欧州の観察者によれば、NATOの中でフランス偉大なる役割を伴ってNATOの欧州のための偉大なる採択をフランスと共に得票していく上で、フランス人は、戦略的なミスを犯している。
 これだけが問題を混迷させるように支持しているわけではない。
 フランス人は彼らが探している発端-南部司令部が彼らのためにあった、という点を明らかにすべきだ。
 しかしそれはフランス人が統一された司令部に復調すべきための部屋を探しているという丁度そのような質問ではなかった。
 そのように動くためには、エレーラ氏の見解によれば、国際的なフランスの場面「重厚な政治的動作」に関して構成したことだろう。
 フランスの公式見解、特にフランスの政権階層にとっての信じがたい言葉でそれは説明されなければならなかった。
 シャルル・ド・ゴール大統領が30年前に統合司令部から離れたとき、NATO内部の権力が合衆国が好むように非常に重厚に斜めに進められたと文句をつけたことで、彼はずっと大いなる困難なしで動くために公共の助けを引き出すことができたのであった。
 にもかかわらずソヴィエトの脅威は高まったままであった。
 今やソヴィエトの脅威はなくなり、しかしド・ゴール大統領が公然と非難した、権力の不均衡さがいまだ残っていた。
 ベルリン首脳会談はNATO内部の再形成をする過程から始まってきたが、統一司令部構造には影響がなかった。
 それゆえにフランスの公示が、NATO軍事構造への復調が必要だということを説得させるために、新しい脅威、もしくはNATO内部の権力不均衡を正すための完全な再形成であらねばならないのだろう。

合衆国の第六艦隊の配役

南部指令問題と関連しているのは、地中海における合衆国第六艦隊の質問だった。
南部指令部の代わりに合衆国の提督は二つの帽子を被っていた。
彼は、NATO司令部と、ナポリに本部を置く南欧州同盟軍部(AFSOUTH)と冠せられた司令部とを双方であり、欧州で合衆国の海軍に指令する合衆国の司令部であり、ロンドンに司令部を置いている。
後者の位置づけは、彼が合衆国欧州司令部(USEUCOM)下に来るものであり、そしてそれはシュトゥットガルドに司令部を置いていた。
第六艦隊は、戦時中を除いて(欧州における合衆国海軍部という)合衆国の司令部下にいまだおかれており、それがNATOの司法権下に置かれており、NATOで「権威の変遷」として知られている正式な手続きである、NATOの立っている地中海軍部(STANAVFORMED)を増大させている。
この管理は明らかに削減されるように思えた。しかし現実は二つ以上の意味にとれるあいまいなものだった。
たとえば、第六艦隊の要素は、ボスニアでNATO軍を支持してきた(IFORとSFOR)そしてそれはAFSOUTHの指揮系統に置かれている。
しかしこれらの要素は支持する配役を演じ、それゆえにNATOに対する権威に何の変遷もなくなるのである。
どちらでもなく、コソボ選挙が行われている間にNATOに対する第六艦隊の権威は変遷されなかった。
事実、大西洋同盟の歴史を通してNATOに対する第六艦隊からの権威の変遷はけっしてありえないできた。
コーンブラム氏は、ベルリンの首脳会合はたいがいNATOと欧州自立安全局との関係で起こった問題を解明してきたと考えた。
彼は共に南部司令部提案の異なった見解を持っていた。
そしてそれはベルリン会合に先立つ数週間以内でフランス人が公式に提示したのだった。
フランス人は公式にコーンブラム氏にいった。その新たな航空リフト運搬のためにシャルル・ド・ゴール氏は地中海に動員されただろう、と。そしてそれは合衆国第六艦隊のそばでともに作用するだろう。フランスはナポリの司令部でアメリカの指令を受け入れるのは困難だとわかっていただろう。
コーンブラム氏は、地中海のすべての統一組織が国家制御の下に維持されているということを繰り返して、30年の欠席をしたフランス人がNATOはいかにして動くのかを忘れてしまったと考えていた。
フランス人にとっては、船の名前や軍部の重要性を考えるような問題は、少数派の一つに過ぎなかった。
古代ガリア人の政策の鍵はNATOの統一指令部の拒絶にあった。それはフランス人がNATOの南部指令に代わって合衆国提督の下に置かれている船を認めるのは困難を極めた。
地中海におけるすべての艦隊の要素が国家勅令下で維持されているという事実はフランスにとって第二儀的な問題のように思えた。
多くを数に数えているのは、特にフランス人の公式見解の目からすればNATOの指令部の管理下に置かれている-シャルル・ド・ゴールと名づけられた船の表れであった。
その時のNATOの軍事委員会の議長、クラウス・ナウマン大佐によれば、同盟司令部構造に変化をつけられたフランス人の考えは、1996年の初夏にブリュッセルでフランス軍部(CEMA)の主要職員とジーン・フィリップ大佐によってはじめて非公式に彼に切り出された。
NATOの軍事委員会議長が、アメリカは十分な指揮系統権威を与えられるべきだということをドゥイン氏はナウマン氏に示唆した。
彼の下では欧州人のSACEURであるべきだ。
ドゥイン氏はSACLANTの指令問題を明白にしなかった。
ナウマン氏はドゥイン氏にその時その提案は軍事委員会によって是認を勝ち取られたものだ、というほとんどチャンスのなかったものであることを知らせた。
皮肉にも、合衆国へのフランスのCEMAの訪問間で、ノーフォーク州、ヴァージニア州での対話から、欧州人のSACEURはドゥイン氏とSACLANTのジョン・シーハン大佐の間で少なくとも部分的に受け継がれることとなった。
エレーラ氏はそれを関係付けて、SACLANTであるだろう、アメリカ人でもあり、SACEURでもあり、欧州人でもあるアメリカ人の下、シーハン大佐がドゥイン大佐に、主に優れた司令部をもつ合衆国の計画があったということをほのめかした。
二つの他の要因は、彼の合衆国への訪問の間にフランスのCEMAにここで影響を及ぼす劇となって現れてきた。
最初はそれだ、フランスチームによればドゥイン氏の合衆国呼応者ジョン・シャリカシュビリ大佐がドゥイン氏を(特別なものではなく)より遠くへ行き届くものが、ベルリンが可能であるものたちを超えてNATOを再形成すると導いた。
第二に、この時にそれを推奨したRAND研究所の発表があった。わずかな時間で欧州人はかれらの領土であったNATOの司令部をひっくり返したのだ。
エレーラ氏によれば、ドゥイン氏はパリに帰り、シラク大統領と欧州人のSACEURの利益について議論したという。
シラクはすでにこの考えが、フランスの人々にNATO軍部構造へ再び入るためのよい理由として説明され得るなにかだとわかっていた。
シラクは、1996年七月にロンドンへと訪れている間に、彼の外務大臣ミロン氏に、合衆国国防長官ウィリアム・ペリー氏と考えを上げさせていた。
ミロン氏はそのようにした、そして紳士でさえペリーは答えた。「なぜいけないのです?我々はこのことについて考えられるのではありませんか」
ミロン氏はロンドンから帰ると、フランスの提案は受け入れられるはずだと信じていたので、フランス政府内のわずかな人々がほんのしばらく意気を上げられた。
しかしワシントンでは本物の機械が跳ねてフランスの考えを打ち負かすように行動に移った。
その譲歩に関して快く思わないように見えた合衆国の国防省のものたちはベルリンで首脳会合を開き、効果あるように「十分だ。十分すぎる、もういい!」と言った。
1996年8月、SACLANTやSACEURを超えた権限超越指令を生むための提案を支持しなかったと、ペリーはMillonに気づかせて、欧州に後者を約束した。
ドゥイン氏はその時ナウマン氏と再会して、新しいフランスの地位を与えた。
軍事委員会はそうあるべきように残されているだろう。
そしてそこではなんの超越司令部もなく、アメリカ人がSACLANTとSACEURを占拠していただろう。しかし欧州人は、南部司令部を含み、欧州人がいくすべての地方司令部の地位を伴った次期段階の司令部で、よりよい代表を承認するだろう。

クリントンとシラク間で交換された文書

しばらくの間、1996年の8月14日の日付でシラク大統領にあてた手紙の中で、クリントン大統領は彼が大西洋同盟を好んで採択したという一般的な用語で記述されてピリオドに至るまでの間、NATOの補強の批評的な重要性に重きを置いていた。
8月25日付けの手紙で答えているシラク大統領は、彼は―アメリカのSACLANTと欧州のSACEURでもある、アメリカに導かれた新たな欧州アメリカの高度戦略司令部を立ち上げる難しさについて語っている。
しかしそれに関するクリントンの見解を聞きたがっているにもかかわらず、それを将来のためのオプションとして切り開いている。
欧州におけるNATOの地方司令部-欧州人のもとへと行く北部と南部のために、フランスはそれらに参加する準備を整えてあった。第六艦隊の問題を解決する妥当な機械工学を見つける継ぎ目の中にこそ、その必要性はある。
シラクは、もしこれらの提案が採択されれば、フランスは「修復された同盟の中でその地位を掴み取る準備を整えてある」と記述して結論づけていた。
シラクの8月28日付けの手紙はワシントンで非常なる驚きを引き起こした。そしてそこではそれは実体のある譲歩がすでにフランスに―特にベルリンの首脳会合の席上で用意されていた、とかんじられた。
11月26日にはクリントンはシラクに返信していた。彼は、最初からSACEURとSACLANTを包括した新規の最高司令部の考えは実現できるものだとは考えていなかった、と記述している。彼は続けていた。

ジャック、私は率直であるに違いない。・・・私が地方と時期地方段階で司令部を回転させるという考え全体には賛同しているが、私は南部司令部を適用させるというこの主題・・・アメリカ軍の約束の重み、地方でわれわれの存在の配役を安定させ、同盟―南部司令部の指導部にアメリカ人の指揮官を置き続けるすべての必要性―に対する我々の軍事貢献の継続に、合衆国内でここを公式に政治的に支持することを保証する必要があるか・・・これを受け入れることはできない。

 その大統領(クリントン)はベルリン合意の履行に続き、「我々双方が望む、大西洋横断の親交関係を補強するための、その他の採択は可能だ、と彼の呼応者を確信させるように結論付けていた。
 10月10付けにシラクは第二の手紙をクリントンに送っていた。「南部司令部を欧州人に与えることは政治的戦略的見通しの一部である。」そしてそれはアメリカ人と欧州人が均衡すべき、政治的に地位が与えられる。
 大西洋横断の親交関係が、その十分な重要性を得るために同盟内の責任感を平衡に確立する必要性がある。NATOの二つの戦略司令部(SACLANTとSACEUR)を維持しているので、先見性ある将来のためにアメリカ人の手の中に、二つの地方司令部は、欧州人に与えられているといいう私にとって、妥当なように思える。
 (一人が数えられるに違いない)欧州人が地中海世界で記録されるに違いないという新しい重要性、そしてそれは我々の非常に近くにある。
 人口統計学的に、経済的に、政治的に戦略的期間で、地中海人は欧州のためになるよう構成されている。それは欧州人のために、また同盟のためにも欠くことのできないもので、そしてそれは欧州人が、明らかに合衆国と緊密な連携の中で、そこで十分な責任を想定している。欧州アメリカ的親交関係が補強されるだろう。
 手紙の最後にシラクは続いてペンをとっている。「ビル、これは私にとって非常に重要なことなのだ」
 クリントンはこの二番目の手紙に返信しなかった。
 しかしながら、その後まもなくシカゴでの演説においてクリントンは明白に公式の場で却下して宣伝している。
「合衆国はNATOの指導者であり続ける。特に南部地方の指導者として」と。
 フランスチームの見解では、シラクの要求は道理に合わないものだった。
 さらに、そのチームはシラクが、「もし世界の終わりだったとしても」聞くに値し、アメリカによって扱われるべきでない、南部司令部の一部を形成する、NATOに復調することを戦略的に全面的に主導権をとると考えていた。
 フランス側に筋が通っていると見えるかもしれないものは、フランスが越権しすぎていたことが正しいか、間違っているかの印象をもっているアメリカ人にまったく受け入れられないものだった。
 さらにフランス人は一方通行の外交のために彼らの情熱で約束してきた。
 シラクがイギリスの首相ジョン・メジャーとドイツの閣僚ヘルムート・コール氏にはそのコピーを送ったが、シラクは彼の主要同盟に前もって何の相談もなく8月28日の手紙を送った。
 それはすべての同盟がシラクの南部司令部提案に賛成してきたということがわかった。イギリスはたいていアメリカ人の段階の落ち込みに気が進まないようだった。
 合衆国の呼応者、ウィリアムペリーが不快なことには、ベルゲンとノルウェーで9月25日に開かれた国防大臣会合でドイツの国防大臣フォルカー・リンヒ氏がフランスの地位を支持したことだった。
 タークスはアメリカ人にナポリで命令を維持するように望んだアンカラは彼らにトルコがギリシャと議論して調停者としての役割を必要とした。
 イタリア人がフランス人に言うには、彼らはフランスの考えを支持したが、ワシントンに電話を入れたその時、フランスの提案を拒絶するよう勧めていた。(フランス人はイタリア人にシラクの(行政)手続きについて言っていなかった。イタリア人はワシントンによって本質的に知らされていた)
 彼の助言者の幾人かの助言に対して、シラクは上層部、彼の呼応者クリントンに南部指令部を造る時、そのまま報告してきた。
 そのようにして、シラクは正常な外交チャンネルだけではなく、軍事チャンネルをもつないでいた。
 その問題は最初にもっとも前衛の軍部に関心があったとしても、この軍部へのつながりは1996年6月にベルリンで開かれた首脳会合に問題を抱えていた。
 そしてその共同声明は基本的にNATOの大使によって動かされてきた。そしてその橋渡しの主要スタッフの合衆国議長ジョン・シャリハシュビリ氏が、その幕開けで繰り返しコメントしていた。「大使は戦争ではない闘いに勝っていた」と。
 シラクの主導権は、合衆国での軍部の地位とは異なった彼らの国の軍部のそれをいかにするか、フランス人の配慮の欠如を反映していた。そして合衆国では橋渡し役の主要職員、彼がそれを選んだなら、ワシントンの権力闘争に憂慮すべき影響が与えられ得るだろう。
 フランスのチームは彼らの計画が楽観視しすぎていたものだった、と考える。
 シラクの8月28日付けの手紙はアメリカを頑強に拒ませる結果になるという予測をしていなかった。
 ダイハードは決めてきた「さぁ、彼らの幅を利かせる行為を抑えてしまおう」

 フランスに教訓を教えるためのダイハードの熱心さのために、イラクに対する開発危機が目立っていた。
 そしてそれは32から33の並列した南イラクにおけるどの飛行空間も拡張することを拒絶しているフランスの中で最高潮に達していた。
 困難な定期便はワシントンで重要な支持なのだとわかった。
 そこで多くのものが、フランス人はワシントンと第六艦隊の間に介入しようとしていたことを恐れた。
強い感情がキャピトル丘で、また衛星軍部評議委員会で高貴に発展した。
そしてそれは合衆国の軍部の「真珠」として海軍とみなす傾向にあった。
1996年の秋、彼らがシラクの提案―フランスが合衆国の第六艦隊を制御したがっていると不平を書いた報告を含んで、数えるばかりのフランス事務局が「床に敷かれた爆弾」として参照されたのを、フランス人は目撃した。
 コーンブラム氏はしかしながら、お膳立てされた出版業の攻撃―「合衆国は出版運動に導かれることに馴らされている」という不平を見過ごした。
 フランスの提案に対する合衆国の拒絶はまだ、ますます強調されていた。
 新しい国防長官のウィリアム・コーヘン氏が、1997年の早期合衆国会議以前に再び断言した。「それは明白で、断定的で、交渉の余地がない」
 同時に会議の幾人かのメンバーは公式にフランス政府について-特にその問題で彼の個人的賞賛が備わっているシラクにとって、信用を落とした記述をしていた。
 フランス軍部のメンバーは合衆国の妨訴抗弁に鋭く反応した。
彼らは、フランスがNATOの構造に何の変化を起こすこともなくフランスが復調することは批判に耐えられないだろうとかんがえた。
 フランス政府の反応は、しかしながら不滅のひとつであった。
 提案を筋の通ったものであると考え、その提案が拒絶された場合の後方支援計画を持たなかったその提案を推し進めたのである。フランスチームは4から6週間なんの戦略的な動きもみせなかった。

 他の解決策を探して

 1996年の秋はワシントンとパリで冷え込んだときが経っていった。
 フランスチームのメンバーは、合衆国にそっけなく公式にまたぎ越えられ、投げ捨てられて、彼らの自尊心を飲み込むさらによい見解に達した。
 彼らはほかの解決法―二つのうち南部司令部を分かち合うような方法を実施してみようとした。そして彼らは、ほかの欧州人から彼らの見解を勝ち取るのだと考えた。
 同時にシラクの外交助言者ジーン・デイヴィッド・レヴィッテ氏が、緊張を和らげるためにワシントンへ送られた。
 1996年の12月、しかしながら州の秘書官として降格していたワーレン・クリストファー氏の栄誉をたたえて、NATOの秘書長ジャビアーソラナによって与えられたブリュッセルでの乾杯の間に、断言された公共の「外出」によって関係はさらに緊張状態に陥った。
 シャレットから出版会議の最中にいたというのが現実だった。そして彼はそれに復調しなければならなかった。
 しかしながら合衆国の出版業はクリストファーの冷遇としてシャレット氏の出口を解釈していた。
 前NATO合衆国大使,ロバートハンターは、もし彼らがその外交を続けることを承認していたとしたら、約束が彼のフランス呼応者エレーラ氏に働きかけることができていたという局面で考えていた。
 しかしながらその問題は、1997年の早期にホワイトハウスとエリゼによってひっくり返されていた。前者は国家安全助言者サンディーバーガーで、後者はジーン・デイヴィッド・レヴィッテ氏だった。
 一つの見込みがフランスで開催されていた、とハンターは記述する。それは、もし欧州人が最初に彼らが地中海の重装軍部を引き出すように示威運動したとしたら、南部司令部が後で修正されることができたというものだった。
 ハンターによれば、その基礎となる合衆国の地位は「われわれがフランスになにを提供し、いまだ南部司令部を維持しておくか」ということだった。
 考察された約束の一つは、フランスの指令下でNATOの北部司令部地域を生み出してきたものに似ている第二の連(HQRRC-FR)合緊急対応軍団を生むことだった。
 ハンターの主張は、シャリカシュヴィリ氏に約束を締結するように働きかけるシラクの提案を合衆国が拒絶したことに追従し、ナウマン氏によって生み出された。
 彼らが後でシャリカシュヴィリ氏の呼応者ドゥイン氏、エレーラ氏に贈ったものは次のようなものだった。
 南部司令部はアメリカに代わって維持されるだろう。欧州のナポリでの副指揮官の指令は強められていた。そして南部司令部の代行者の抱えたその問題は、欧州人がしばらくの間地中海で彼らの軍事能力を増長しているという状況で、二年の間に再検討されていただろう。
 ワシントンをその再検討条項に合意するよう説得するのは容易ではないが、ついに達成された。
 ドゥイン氏はこの約束がフランスに受け入れられるものになるだろう印象を与えた。
 その段階が約束を最終的にとりまとめたというナウマン氏の勘定は、デンバーの経済G8サミットの間に、1997年6月20日付け-シラクとクリントン大統領間の両者会合があるその時に始まるべきだ。
 シラクはその問題を議題に上げ、クリントンはその申し出に答えた。
 シャリカシュヴィリ氏がナウマン氏に言った。クリントンは彼のポケットの中に書いてきた約束の提案を入れてしまっている。
 しかしながらその会合で、シラクは問題を議題に上げなかった。そしてその問題はそこで終わった。彼はこれを「非公式の約束」計画と確信していた、提督ジャスク・ランイシュー氏によれば、その問題は州主任下の低レベルでよく扱われなかった。
 その約束は働きかけられたことはフランスがNATOに復調するという結果を出せた、と考えて、合衆国の軍部は1997年早期の外交を一新して、ずっと多くの株を置いたように見えた。
 州局事務局は最初、この見解を響かせてNATOの経過へとつないでいた。
 彼によれば、1997年7月8日に始まるべきマドリードで開かれたNATOサミットのときに、シラクの政府はフランスがNATO軍部構造に再参加するかもしれない可能性を開いていた。
 1997年春、フランス政府へたとえどんな意見表明がなされても、シラクが1997年5月に立法権のある選択を持つと決めたときに、その状況は突如変化した。
 そしてそれは彼の政党、共和党の再編成は議席数損失へと向かっていた。
社会主義者が共和政党を導いて、12年の空白でフランスの共存に第三の終幕を問うて議会の大多数をいまだ楽しませている間に、シラクの早期選挙をスケジュール化して政治的判断が欠如しているように聞こえた。
 このように、デンバーG8サミットのときまで、シラクは国家立法議会の大多数に見放されていた。彼はおそらくNATOに対する約束は今や不可能で、クリントンにその問題を議題としてぶつけてみても何の意味もないと決断した。
(シラクはクリントンの懐にその計画があることを好んでさえいなかった。合衆国が与える―欧州主導命令と南部司令部問題の後続の再検討への意見表明に関する制限された柔軟性―準備を整えていることを―※それはフランスがNATOへ復帰する価値として考察されたもののはっきりした短期間)
 その新しい首相ライオネル・ジョスピンと外務大臣ユベール・ヴェドリーヌ氏は一貫してシラクのNATOへの再接近を批判した。
代わって1996年2月4日にAFP通信に関する叙述で、彼がミッターランドの地位を調整した、また彼はNATOにフランスを再接近に向かわせるにあたって「好ましくない」、また彼はフランスの「顕著な決定」が欧州防衛制度の構成に向かって起源となるだろうことを望んでいた、と語った。
州局事務局によれば、「共存政府が復帰―統一司令部-を確保する方法などなにもない」と早々に引証した。
しかしながらNATOにフランスが復帰する見込みは手詰まりのままで、フランスは「acquis」(利益)を持ち続けていた。軍事委員会の構成員関係、国防大臣会合の出席、NATO国際軍事構成員の出席という。
参照に、フランスチームは独立欧州防衛戦力は、今ゆるやかに作られているので、とにかく来ると結論づけた。そしてミッターランドはNATO統一司令部に再参加するという考えを拒絶しているとも言った。
南部司令部に対するこの出来事は、コソボ戦争に対するNATOに関してのアメリカとフランス間の後の議論によってさらに引き立たされた―NATOの合衆国の優勢に対するフランスの疑惑を補強した。
フランスチームの見解では、さらにフランスの大統領がNATOへの新しいフランスの再接近を受ける前に二度考えるだろう。
そのチームの構成員はクリントンがシラクの提案のための考えをもしクリントンが示したなら、平らに収める代わりに二つの立場がその違いに打ち勝つ方法を見つけるかもしれないとも信じていた。
たいていの合衆国事務局はフランス側が彼らの栄誉と名声を強めるという単一目的のために南部司令部問題を掲げていたのだろうと考えているように思えた。
さらにNATOの初戦となるコソボ戦争における後の経験が、合衆国事務局の認知―特に熟練軍部事務局を、合衆国がちからを蓄えて戦争にのみ走るように鋭敏にだけするよう従事していた。
NATOの最高政体、北大西洋評議会の不一致規則の制限を目撃した後で、合衆国軍部は実際に戦争が起きたとき、NATOは効果的な軍事道具になったので、ずっと政治的妨害になりえると結論づけた。
鋭い違いは、北大西洋評議会内部で起こった、特にアメリカ側とフランス側間で、Serbiaにおける標的が撃たれるべきか否かということについて。
これらの違いは戦争がNATO配属の空軍構成指揮官、ミシェール ショート大佐のせいとされた後の記述に反映されていた。そしてそれは「バルカンに対する全体の尽力の8パーセントを備えた一国が、その重荷の70パーセントを運ばれていたアメリカの操縦士を抑制するための地位にあるべきではない」というものだった。
ショートは明白にフランスを参照していた。
フランス側、高貴なるフランス軍の間では、コソボ戦争の指揮でアメリカの高次元の手の内を知っている見解から、フランスがNATOの軍事構造の外部で維持されていたという信念の感覚を抱いていた。

結論

 この事件はフランスの外交行動の数多い特徴的な形を描き出している。フランスは長期目標にすえる能力があるばかりではなく、推論的に議論を交わしたり、彼らの接近の理論に自信を持っている。また趣旨や大胆不敵な行動を形作ることに価値を置いている。
 この代わりに、フランスは長期的な目標は、合衆国から欧州に偉大な権威を生み出す結果として、また大西洋同盟内部のフランスの偉大な役割であるというNATOへの復帰だった。
 フランス側は、合衆国の行動が、申し出が基本的に美辞麗句にすぎないものかということに対して、この目標と比較できるかできようかできなかろうか、明白に判断できる能力を持っている。これをみなして、ロバートハンターは、「われわれがフランスに申し出なければならず、いまだ南部司令部を維持するのか?」という公式見解は、双方の地位に幅広い差を描き出している。
フランスが明白な主要要素を確立した、典型的に推論的接近を採用することで、-NATO内部のESDIのための自由行動と、NATOの指揮系統再形成を必要としている。
これらは少なくともベルリンの首脳会合で引き出され、明記されている。
そしてフランス側はその時、その場所にはまりこむ詳細を予期している。
同時に彼らは彼ら自身の地位や、名づけられた反駁することのできない理論を確信していた。
さまざまな理由のためにもしフランスがNATOに復帰するなら、南部司令部が前任者が辞めるのにもっとも妥当だったという。
(長期目標にすえている地中海地域と、他の司令部の地位がすでにアメリカ、イギリス、ドイツによって分けられていたという事実へのフランスの興味の間に)
フランスはNATOの三大欧州構成員の一つなので、きっとNATOの軍事構造に復帰することを予測されていなかった。※そしてその線、いわゆる指令部地位におとなしく後ろに参加していると思われていた。
自信か、そのように見えるものは、同様に彼らの外交交渉相手はフランスの地位を非攻撃的なものとしてみなしていただろう。フランスは、その他の国が南部司令部の要求を拒絶した場合の偶然の計画など持ち合わせていなかった。
このように
ショックを受けて固まっていたとしても、フランス政府は初めに何もしないことで答えた。
特徴的に、フランス側がその命令的権力と同等にその象徴も南部司令部にひきつけられてもいた。
それがフランスの野心を地中海地帯におけるきわめて優秀な欧州権力となることを重要視していたので、ナポリでの司令部は、おびき寄せていた。そしてそこでCharles-de-Gaulleにすべてのものを名づけられた新たなフランスの航空運搬機は作用されている。
堂々とした趣向と大胆不敵な行動があれば、フランス側は南部司令部の考えを把握して、特にナポリの地位を求めて、NATOの再形成に関して外交交渉のさなかに彼らの要求を高めていた。そしてそれは同盟の始まりから合衆国の手の中にあった。その「騎兵隊」シラクは、ナポリの地位がアメリカ-海底核兵器の構成部品があって、ワシントンから第六艦隊に下された一連の指令とともに全体と確かな制御を維持したがっている-アメリカに侵すことのできなかった、と十分に悟っていなかったかもしれない。
この事件もまた孤軍奮闘でさえ、フランス側の用意を示していた。
シラクがクリントンにあてた南部指令部を求めていた手紙を送ることを決める前に、彼の主要な欧州同盟について相談していなかったように見える。
早々に書き留められていたが、彼は、主要なNATOの地位の再貢献の出来事にもっとも関心をもっていた指導者であった、ジョンメジャー首相とヘルムットコール閣僚にあてた手紙のコピーを送っていた。
南部司令部を確保しようという結果を屈辱を与えているにもかかわらず、フランスの長期目標が決しておろかなものという意味をなさなかったということは書き留められるべきだった。
フランスはその目的を抱いていたので、欧州と合衆国間で戦略的調和の同盟と見込みの中で欧州のより偉大なる配役をもっていただろう。
それは、長期間に対してすべての政党が利益をこうむるだろう賛同の方法で立っていたフランスの自己当惑以上に合衆国の指導権があった。
NATOの指令権力として欧州におけるその軍部出席を通して合衆国は、戦略的きわめた優秀さの地位に慣れてきた。
前者の国家安全顧問ズビグネフ・ブレジンスキー氏は、特徴的に短く明瞭に非常に遠くまでいけてさえいたので、欧州を「合衆国の軍事保護領」として叙述した。
このように合衆国が、大西洋同盟と、特にフランスのための偉大なる配役内部で、欧州のために偉大な配役を受け入れる難しさだけではなかった。
それは、同盟の合衆国優勢に非常に長い間馴らされていたので、ほかのNATOのパートナーの多くがそのようにすることをも難しかった。
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被爆国として「北東アジア友好協力国際条約」で北朝鮮の非核化に参画を
                       (2018年9月19日)

米朝首脳会談後の世界―米国のトランプ大統領への賞賛の嵐が「失敗だった」との評価へと様変わりし始めた。核開発を止めない金正恩党委員長との第二回米朝首脳会談を控え、中国の習近平国家主席と韓国の文在寅大統領も同席する可能性が浮上。朝鮮半島の非核化に日本も被爆国として「北東アジア友好協力国際条約」で参画できないか?


FFVDに舵を切ったトランプ政権


 米国は7月に入って米朝首脳会談に盛り込まれなかった「完全で検証可能で不可逆的な非核化(Complete,Verifiable,Irreversible Denuclearization:CVID)」に代わり「最終的に完全で検証された非核化(Final, Fully Verified Denuclearization : FFVD)」という段階的非核化の方針容認へと舵を切った。
 だが、8月3日に「ロイター通信」が入手した国連調査内部文書や、8月20日、国際原子力機関(IAEA)が取りまとめた北朝鮮の核問題に関する報告書で「寧辺の核施設等で北朝鮮の核開発が続いている」と判明。
北の裏切りを受けてトランプ氏は北朝鮮石油船舶の「瀬取り」制裁を行った。ワシントンの核分析官達は誰もが「金正恩氏は絶対に核を放棄しないだろう」とほとんど確信しているという。
 核の専門家として共同通信の太田昌克編集委員はせめて金氏に対し「対話継続中は寧辺の核活動を全て停止しろ」と米韓合同演習停止の「代償」をトランプ氏が求めなかった軽率さを問題視している。
 さらに太田氏はトランプ政権が「CVID」という表現を使わなくなったことに対し「『CVID』は『不可逆性の原則』と『検証可能性』『透明性』という3つがないと進まない軍縮の大原則を担保している。CVIDは2002年に1994年の米朝枠組み合意が崩壊して、2003年にジョージ・W・ブッシュ政権が北朝鮮に対して使い始めた表現。その含意は「全面降伏して核放棄せよ」だ。その因縁めいたCVIDをトランプ政権が言い出したので北朝鮮は嫌がっている。しかもブッシュ政権にも登用されたリビアモデルという成功体験を持つジョン・ボルトン氏がトランプ大統領の現国家安全保障担当補佐官を務める。対北朝鮮強硬派として一方的な核放棄を求めてきたという経緯のある人物だ。北朝鮮への忖度なのか、歴史的にみて手垢がついた言葉になってしまった『CVID』をやめて『FFVD』という言葉を米国は使うようにしたのではないか。またその背景には韓国のアドバイスがあった。VerifiableとFully、Finalという言葉を使うことで、『CVID』の意味をオブラートに包む外交的レトリックと言える。この表現によって北朝鮮のメンツも保てると米韓が考えたのではないか」と解説する。
太田氏は6.12を振り返り「トランプ氏は対話継続中の米韓軍事演習の停止を同盟国である韓国と事前に相談もなく表明し日本政府にも大きなショックを与えた」と指摘する。
 こうした姿勢は米国の金銭的な利得と同盟国の安全保障上の利害を秤にかけることに等しく、スティーブン・バノン首席戦略官解任後のトランプ政権が打ち出した対外政策「道義的現実主義」の一端が垣間見えると言える。
 白鴎大学の高畑昭男教授(国際関係論)は「道義的現実主義」のトランプ外交について次のように指摘する。「トランプ大統領  の国家安全保障戦略は『力による平和(peace through strength)』に回帰した。1980年代のロナルド・レーガン政権時から引き継いで道義的現実主義に取り入れられた。トランプ政権は北朝鮮に対し最大限の圧力を維持し、イランの核合意からも離脱した。核兵器以外にも他国に武装勢力を送り込んだり、長距離ミサイルの開発を続けるイランには核合意だけでは不十分だということだ。米国にとってイランはレバノン、シリアのテロ支援国でもある。理不尽な行動を取って米国を怒らせると『いつでも力を発揮できる』と、マール・ア・ラーゴの別荘で談笑中の中国の習近平国家主席の眼前で『シリアにトマホークミサイルを撃ち込んだ』と圧力をかけた。それが『道義的現実主義』だ」。
 高畑氏によれば「道義的現実主義」とは「米国第一主義」の国益の最大化を使命とし、自由と民主主義を世界に広げる大義を掲げてイラク開戦に踏み切ったジョージ・W・ブッシュ政権のような理想主義を排すると同時に、道義や原則を無視してイラン、キューバに接近したオバマ政権のような現実主義にも同調しないというものである。
 その達成手段は必要以上の軍事、財政、人的資源の投入は控えるものであり、現実的かつ漸進的だと言われている。
      

完全に北朝鮮のペース


 一方の北朝鮮の金氏は強かな外交プレイヤーだ。
 金正恩政権は6.12会談前から軍人制服組トップの首を挿げ替えて「教育科学改革」を始めると息巻いた。打ち出された「経済集中路線」外交によって北朝鮮は中国との国境線沿いに経済特区を作り、南北鉄道とシベリア鉄道の研究開発協力を韓露と取り付け、電力供給ラインを敷く計画を進めてきた。
 中国の習政権がトランプ政権と貿易紛争を起こしているのを横眼に、金氏は習氏に北朝鮮支援を求め、韓国を利用して米朝外交を再度取り付ける腹だ。北朝鮮のロードマップによれば、次の段階とはトランプ政権を南北中の恒久平和のための終戦協定に巻き込み、朝鮮戦争の当事国である米国も含めた形而上の「終戦宣言」を図ることではないか。こうして米中韓を抱き込めば完全に北朝鮮のペースだ。
 8月17日都内某所で講演した「自衛隊を活かす会」の柳澤協二代表は「米中の関税応酬は米中間選挙を睨み、米国内に蔓延する中国への警戒感を考慮し続いている。両者の課題とは秩序維持国が自国の秩序が覆される恐怖を持つ時、戦争の要因になるということだ。米中貿易戦争で対立が激化する中、米国は、中国の南シナ海覇権拡大阻止をすべく『航行の自由作戦』を展開しているが、南シナ海でまともに米中が衝突することはないだろう。武力衝突が起きるとすれば、むしろ台湾の方が危ない」と指摘する。トランプ政権は国家安全保障戦略で、中国を「修正主義勢力」と批判する一方、台湾との関係は「必要な合法的な防衛力を提供する」と明記。今年6月には米国の対台湾窓口機関、米国在台湾協会(AIT)台北事務所を開所した。『台湾統一』の野心を抱く中国にとって、トランプ政権が海兵隊の要員を派遣する事態になれば戦争の火種となりかねない。
 だが柳澤氏は「米中両国がまだ冷静だと思うのは、その対立を北朝鮮問題に波及させていないことだ。中国は米朝の『非核化』に協力しないとは言っていない。戦争の直接の引き金にはならないだろう」と指摘し、去年の「自衛隊を活かす会」のシンポジウム以来ずっと「戦争は起こりえない」として世論のミスリードを防ぐ発言を続けてきた。


「北東アジア友好協力国際条約」で外交的解決を


 実は昨年来、最も米朝核戦争の危機を肌身に感じていたのは中国の習近平氏だ。「中朝友好協力相互援助条約」の第二条「共同防衛」で「自動参戦条項」があるため、「吉林日報」にも去年の7月前後に「核戦争に備えよ」「放射能をシャワーで洗い流せ」などの生々しい臨戦体制を中国人民解放軍の北朝鮮と中国北部の国境線近くに配備した部隊に主席命令を下すほど危機的な状況だった。
 しかし6.12後を見据えた柳澤氏は「北朝鮮は旧ソ連にも中国にも服従しないという『自主』のレジティマシーから、中国の核の傘の下に入るような『米朝安全保障条約』の締結は難しいだろう」と指摘する。その上で「米朝韓中という当事国を加えた『終戦モデル』がその背景を取り巻いて、その枠組みの外に日本とロシア、ASEANを交えた国際社会がある。日朝の二国間には拉致や過去の植民地清算の問題があるが、安倍政権には『拉致・核・ミサイル』の優先度を区別する戦略がない。問題は日朝の間に外交チャネルがないということだ。日本は、北朝鮮がタフだが、まともな外交交渉相手だと北朝鮮に認識を改めなければならない」と苦言を呈す。
 だが、金氏はそのロシアのウラジミール・プーチン大統領が9月11〜13日に主催する「東方経済フォーラム」招致を蹴って、第三回南北首脳会談を9月18〜20日に平壌で行うことにした。スケジュール的にウラジオストクに行くことは可能だったはずだ。金氏がロシアから莫大な経済協力を得られるメリットがなく、頼らないので露朝首脳会談も6.12後一度も開催されていないことにプーチン氏は焦りを見せている。
 これにより、自動的にウラジオストクでの日朝首脳会談の可能性は消滅し、拉致問題や在朝被爆者の問題解決も遠のいた。
 「非核化が進み、朝鮮戦争の終戦宣言が出せたら、あるいは逆に米朝の関係が悪化すれば、北朝鮮は日本との関係性を見直す機運が巡ってくる可能性がある」と前出の高畑氏は指摘する。
 日本には朝鮮半島を植民地支配した加害の歴史があるが、同時に米国の投下した原爆による在韓・在朝被爆者という同じ「被害の経験」を共有できるはずだ。
 高畑氏は「朝鮮戦争当事国の枠組みの外にロシアも加えた平和の枠組み合意として被爆国の日本も参画するとすれば、別立てで仮に『北東アジア友好協力国際条約』というものを6カ国で取りまとめるという案も考えられる。6カ国協議(2003〜2014年)を行ったブッシュJr.政権のコンドリーザ・ライス国務長官(当時)がそんなアイデアに言及したこともあった」と斬新なプランを示唆する。


被爆国として北朝鮮に核燃サイクル技術を渡すな


 日本は朝鮮半島に駐在する国連軍の解体という北朝鮮が突きつけてくる要求に大いに関係してくる。その後方支援基地を務めるホスト国は在日米軍横田基地のある「日本」だからだ。北朝鮮が狙いとするのは「終戦宣言」や在韓米軍の撤退だけでなく、在韓米軍基地に着艦する軍艦や航空機の非核化である。朝鮮戦争の際、在日米軍も岩国基地から出撃して国内では経済復興に湧いた。朝鮮半島有事は対岸の火事ではない。
 国連軍解体がにわかに現実味を帯びてくると、米国が拡大抑止論を維持する上で、在韓米軍に代わり、在日米軍が代替役を日本が担う可能性はある。そうなれば北朝鮮の体制保証(CVIG)に求められる意義が半減するためだ。
 だが、米国防総省「概算会計2019年度 米国防予算主要兵器」及び「核兵器の近代化会計2019年度投資額 (DoD投資のみ) ($10億)」を読むと、SLBM海上巡航ミサイル「TridentⅡ」は2019年度も前年度に比べ不変動の米大統領軍事予算要求12億ドルが組まれている。米国防総省とエネルギー省国家核安全保障局(NNSA)が今後数年内に追加開発・配備する新たな核戦力には次の2点があるとされる。

①敵の防衛網を突破できる「迅速反応オプション」を提供する「低爆発力の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)用核弾道」
②「非戦略的な地域展開」を可能にし「確証的な反応能力」を担保できる「海洋発射巡行ミサイル(SLCM)」

 長崎大学核廃絶研究センター(RECNA)鈴木達治郎センター長は「朝鮮半島の非核化にはこれまで曖昧にしていた在韓米軍の基地に核兵器がないということを検証しなくてはならない。米国は「全ての核を撤去した」とは言っているが確認もしておらず、第三国など他国が確かめたわけでもない。在日米軍の方は当然「ない」という日米共に公式見解が出ているが、SLBMのTridentⅡなど発射可能な巡航ミサイルを潜水艦に搭載するということが正式に決まれば佐世保や横須賀などの在日米軍基地のいずれかに持ち込むという可能性はある」と語る。
 また鈴木氏は「『北東アジア非核兵器地帯』ができれば検証制度を作って、北朝鮮も韓国も両方検証できるはずだ。条約がなければ北朝鮮と韓国の両国の相互検証する仕組みが必要なので、「ブラジル・アルゼンチン核物質計量管理機関(ABACC)」が参考になる。例えば北朝鮮の専門家が韓国を訪れて検証し、韓国の専門家が訪朝して相互に検証し合うという仕組み作りだ。北朝鮮の核解体の検証には、機微なノウハウが漏れないよう核兵器国の専門家を含む国連の特別査察官らの調査チームを作って検証する方法も検討すべきだ」とし、さらに「交渉開始が待たれる「兵器用核物質生産禁止条約(FMCT)」の検証制度に関する議論も参考になる。  
 FMCTは核保有国が確保有量や過去の生産施設の運転データ、生産・使用の全データを「申告」し、これ以上核物質を生産しないと検証させる仕組みが必要だ。それが北朝鮮の今回のケースにも適用できる」との北朝鮮非核化の検証制度の在り方を述べた。
 その上で、核兵器を解体後のステップとして移る「原子力の平和利用」分野の段階で「北朝鮮の「原子力平和利用」をもし推進したいとなれば、日本が技術支援をすること自体はできる」と鈴木氏は述べている。しかし「ウラン濃縮や核燃サイクルなど再処理の技術移転を要求してきたら、日本はこれを拒むべきだ。北朝鮮が軽水炉が欲しいと言ってきた場合も同様に、日本は技術協力できてもそこに核燃サイクル技術を同時に伴わせてはならない。将来、北朝鮮に日本の技術を悪用されることを防ぐためだ。本格的にプルトニウム利用を困難にしようとすれば、無論『高速増殖炉(FBR)』の技術移転もしない。まず、軽水炉の使用済み燃料も直接処分(ワンススルー)で可能になるよう協力するというのがいいだろう」と鈴木氏は釘を刺した。


第二回米朝首脳会談を見据えて


 前出の太田氏は「日本は『休戦協定』の当事国ではないが、日本のアイデアを枠組みの外から入れることはできる。日本も含めた北東アジア全体の和平や安定をいかに構築していくのか、大きな戦略的な絵図を描く作業に日本も当然加わらなくてはならない。その意味で日本が構想する被爆国独自のイニシアチブが必要だ。日本は自身が経験した核の惨禍から、北朝鮮の核保有は断じて認めず、北東アジアでの核使用を絶対に認めないということを、絶えず言い続ける責務がある。例えば、、日本は北朝鮮にCTBT加盟を強く促すべきだし、非核化実現への技術協力を行うべきだ。CTBTは未発効だが、ラッシーナ・ゼルボ事務局長率いる「包括的核兵器禁止条約機構(CTBTO)」に核実験場が本当に閉鎖されているかどうかを検証させるオプションもあっていい。非核化に必要なコストも日本が米韓とともに支援する。それは決して北朝鮮に対価を支払う行為ではなく、北東アジアの安全保障のコストを日本が負担するという概念だ」と政策提言する。
 9月11日、ボルトン氏は「第二回米朝首脳会談を開催する予定で調整している」と公表した。これに関して太田氏は「核計画の申告と非核化のロードマップ、さらに関係国首脳間の終戦宣言が主要議題になるだろう。一方、第二回首脳会談が中間選挙前に開かれるなら、米国の有権者を強く意識するトランプ氏が、米本土に届く長距離弾道ミサイル(ICBM)の発射凍結と将来的な廃棄を議題に載せるのではないか」と今後の展望を予測した。 
(「ログミー」外部ライター 飛立 知希)
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【翻訳資料:IFS Insights 4/2017「核の北朝鮮と東アジアの戦略的安定性」】
ジョー・インジ ベッケヴォールド氏 イアン・バウアーズ氏・共著

北朝鮮は弾道ミサイルと核兵器の開発を続けてきた。国際的な非難や政治的・経済的孤立を増長しているにも拘らず。戦争は非核化というものが予期されていてもひどく楽観的だった。続く緊張関係とは本質的に短期的かつ長期的地域戦略に言及されがちなものになるだろう。

◆課題
・北朝鮮は合理的なアクターとして査察されるべきだ
・北朝鮮の弾道ミサイルと核開発計画は国際的な圧力にも拘らず、持続される傾向にある
・北朝鮮の活動は弱みを晒し地域安全保障政策の反対に回るものである
・北朝鮮に対する中国の影響は共通認識以上に弱体化している
・核拡散とミサイル防衛システムの普及から向上してきた不安定性の潜在性がある

◆北朝鮮の合理性と意図
北朝鮮情勢を取り巻く国際的なディベートは平和的非核化というものが可能な希望的狭義を維持している。しかしながら北朝鮮は本質的に経済的、政治的、評判の資源を金一家体制の核兵器開発に投資してきた。もしそれが既に行われていなくても、北朝鮮は核能力を保有するようになるだろう。それがこの現実だ。国際共同体が受け入れを必要とし、疑問を抱き続けることは仮に北朝鮮が米国を攻撃できるだけのICBMを開発したとしても、しかしそれはいつなのか?

→米本土を射程圏内に入れたICBM「火星15」を打ち上げ北朝鮮の金正恩党委員長が「国家核武力の完成」宣言をした2017年11月29日だ。

 北朝鮮の意図を十全には調査できなかった間に、それこそが開発と我々が幾人かに推測を教育させることができるそんな能力を使ったとみなしたものだ。
それはいかに北朝鮮がしばしば肖像化すされるかを対照的に、そこには金体制というものが、彼らの活動の向こうにある合理的で戦略的な動機のある非合理的かつずっと証拠能力のあるものだと示唆したほとんど証拠のないものだ。
 北朝鮮の国営メディアは、北朝鮮が米国と軍事均衡を模索していると議論する。
 この示唆は彼らの主題として外部の影響から国家を安全保障するというものだ。名付けて米国を防ぐための抑止能力を強化することは将来的に可能なものだ。中国もまた体制転覆(レジーム・チェンジ)を誘発する国家として侵攻させないように防がねばならない。
 そこにもまた第二の目的がある。双方で排他的にはしないというものになる傾向が強い。
 そこにはアジアの米国の同盟国を弱体化させたり、デカップリングするということ、国際的な敬意を確立すること。そして体制の権力に国内的な警鐘を鳴らすことが含まれている。
 核兵器もまた将来の交渉に強度ある「資源」として使われることができた。北朝鮮は、会談がかつて一度彼らの核能力が十分に開発されてきたものとして、可能になるかもしれないと述べてきた。このハイライトの平壌の見込みは、彼らの近年の交渉の立ち位置が弱まり、核兵器が米韓と彼らの本来的な力の非対称を相殺するための道具になるという観点を持っている。

◆中国の北朝鮮政策
冷戦の終わりから中国は北朝鮮の最も重要な同盟国であり、貿易パートナーだ。にも拘らず米国と国際共同体は大概、平壌の考えや言動に北京が影響を及ぼす能力を多く見積もりすぎていた。我々はそこに中国のレバレッジや北朝鮮に及ぼす影響の弱体化を指示する5つの要因があると議論する。

→だが、6.12後、最も得をし圧力や脅しが効いた国は「中国」だと専門家らから言われ続けてきた。「双暫停」や「双軌並進」がうまく行かなくても、北東アジアにおける中国のプレゼンスは1979年に中国が台湾から撤退し、90年代に入るとフィリピンからも撤退してきた。そして徐々に朝鮮半島からも撤退、あるいは縮小していくとなれば、米国の軍事フットプリントを減らしてくれる要求が北朝鮮から出れば、ゼロサムゲームではなく、中国にとってもウィンウィンな状態だった。中国は米朝の努力のサポートをするだろう。しかし、トランプ氏が火種をまいて貿易紛争で対立が激化している。しかしそれもまた、北朝鮮問題では手を組んでいるのだから、米中戦争という武力衝突にはならないだろうと見られている。その場合はトランプ政権は台湾との関係性を見直すはずだからだ。

1. 30年以上かかったにも拘らず、中国は大概、北京の社会主義市場モデルに従って恩恵を得るものとして北朝鮮を説得することに失敗してきた。

→大掛かりなマネロン組織である北朝鮮の朴奉珠(パク・ポンジュ)首相の統括する「39号室」やグラミン銀行はじめバングラデッシュからのニューヨーク連銀への不正送金ハッキングの高度なサイバー技術者を保有している。いくら経済制裁されても違法な手段で法の目をかいくぐり1億以上は自国で荒稼ぎできるだけの経済能力を持っているのだ。実は北朝鮮は2017年米朝核戦争の危機が最も高まった際にも、米国の「斬首作戦」や韓国の「キル・チェーン」に関する情報も既にサイバーハッキングで入手済みだったことが全て「Bloomberg」の報道で明らかになっている。


2. 全ての6度に及ぶ北朝鮮の核実験に対する中国の強い非難は平壌の兵器開発計画に反対したり、破棄させることに失敗してきた。

→2006年10月9日から2017年9月3日に及ぶ全6回の北朝鮮の核実験と弾道ミサイル発射実験で中国の習近平氏はことごとくメンツを潰された。BRICSの会合の最中に早朝から北朝鮮の実験によって発展途上国各国の首脳たちの前で面目を潰された。北朝鮮側から直前になって入電が入るなどの一定の中国への配慮もあったが、それでも習氏が面目を潰されたことには変わらない。王毅外相が「あの若造が次に何をやりだすかわからない」と思わず漏らすほど、中国は金正恩氏に手を焼いてきた。
 北朝鮮と中国は米国以上に裏切りと騙し合いの歴史を持っている。92年に中国が北朝鮮の敵国、韓国と国交を結び、89年に天安門事件で追い込まれた中国が経済を優先させた。同じ社会主義国のはずの中国の裏切りに映った北朝鮮は中国に対抗し核開発へのめり込んで行く。すなわち「北朝鮮の核開発の根本原因は中国だ」と華東師範大学の沈志華教授(中朝関係研究)は断じている。

3. 現実に北京と平壌間の関係性は外交的対話とハイレベル政治的渡航の対外政策が本質的に減少するという貧困なものになっている。中国の習近平国家主席は彼と金正恩氏と距離を置いている。最近の両首脳が等価交換の価値を見出しているにも拘らずだ。本質的な雪解けの関係性が短期的以上に見えなくなりがちであるように思えるからだ。

→習近平氏は金正恩氏が3回目の訪中をした際に、6.12会談前には「中国を除いた朝鮮戦争の終戦宣言はするな」と金氏に脅しをかけていた。実は最も米朝核戦争の危機を肌身に感じていてのは中国の習近平氏で、吉林日報にも去年の7月前後に「核戦争に備えよ」「放射能をシャワーで洗い流せ」などの生々しい臨戦体制を中国人民解放軍の北朝鮮と中国北部の国境線近くに配備した部隊に主席命令を下すほど危機的な状況だった。中国には中朝相互援助条約の第二条「共同防衛」で「自動参戦条項」があるため、対岸の火事どころではなかった。中国が去年の「自衛隊を活かす会」のシンポの前後で有識者らが集う会合であと3ヶ月で開戦するかもしれないというプロパガンダを発していたので、筆者は「自衛隊を活かす会」の柳澤協二代表の「戦争は起こりえない」という言葉で発信して戦争に世論の拍車をかけぬよう取材にも行けないような精神状態で下手くそな文章を書いて発信してなんとか戦争を食い止めようともがいていた。

4. 冷戦の終焉は平壌にとって戦略的なショックだった。そして1992年の中国と韓国との国交正常化もまた、もう一つのショックを北朝鮮に与えた。中国の経済と軍事的高揚は北京のグローバリゼーションを抱擁し、イデオロギー的同盟に関して創設された同盟国の将来に対する平壌の疑問が持ち上がる。
 
→北朝鮮は常にNo.2を粛清してきた。中国とのパイプが太かったNo.2の張成沢氏(当時)を粛清した時にも中朝関係はかなりの緊張状態に陥ったが、直接的な崩壊にまでは至らなかった。今のところNo.2の金永南氏は生しているが、北朝鮮においてはNo.2の座はいつ消されるかわからないほど危険なポジションであることは変わっていない。
 また、ここでは中国との関係性を主に論じているが、中国と同じく北朝鮮を緩衝国としているロシアは金正恩氏が莫大な経済協力が見込めないとしてほとんどロシアを頼ってこないことに焦りを感じていると専門家は見ている。朝鮮戦争の当事国ではないロシアは、北朝鮮情勢での出遅れをセルゲイ・ラブロフ外相を訪朝させたことでウラジミール・プーチン大統領からの親書を金氏に渡し、9月の「東方経済フォーラム」で露朝首脳会談を実現させようとしている。

5. 北朝鮮の中国にとっての戦略的重要性は低くなった。北朝鮮の役割とは緩衝国家として中国のために戦略的利点だったが、中国の関心事が今やずっと彼らのすぐ隣の周辺国家のずっと向こうへと広がってしまったので、平壌の最近の核政策は国家に北京のための利点以上に厄介な国家を形成してしまった。

→「一帯一路」構想を打ち出した中国は①中国・モンゴル・ロシア経済回廊②新ユーラシア・ランドブリッジ③中国・中央アジア・西アジア経済回廊④中国・インドシナ半島経済回廊⑤中国・パキスタン経済回廊⑥中国・バングラデッシュ・インド・ミャンマー経済回廊⑦21世紀海上シルクロードまでその触手を伸ばしインドのモディ首相を激怒させた。
わざわざ北朝鮮まで豊富にある資源を獲得せずとも、巨龍は巨象よりも勢力圏を伸ばし領土や資源を手中に収められるだけの経済圏を形成してRCEPよりも野心的な試みを生み出した。これにより、中国脅威論が台頭したため、中国は全方位外交「韜光養晦(とうこうようかい)」で単独覇権国家から身を潜めることにしたのだ。いわば隠れ蓑にすぎない。
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もう少し軽症だった頃に所属していた企業で使った仕事道具。
私は記者ではなかったが、現場に行けるだけの資金が固定で入っていた時代、個人で休日の前日に終バスで地方まで行って被災地を取材。寝袋で泊まって翌日にはフルタイムでタクシーを飛ばしたり雪道を歩いてまた終バスで帰京して報道局のCGルームのルーティーンをこなしていた。それを繰り返してマスコミ規制の敷かれた現場にも私1人だけ取材者として入れた時代があった。というよりそれこそが普通の「市民メディア」の働き方だと思っていた。
現場には朝日新聞さえ電話取材しかしていなかったので、積雪倒壊しそうな家屋を住民が自ら筆で認めて写真を撮り新聞社に投稿するなど、明らかにマスメディアの取材の怠慢がそこにはあった。そこで私は初めて取材者として書き手としての自らの存在意義を知ることになる。暗中模索の日々が続いた。
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