+Takuya Oikawa さんに言及されていたので。

そうです、それを言ったのはおそらくボクですね。
これは当時アメリカに住んでいた頃(たぶん7,8年前)にフリーソフトをいくつか作っていた時の話。
在米だったこともあって普段会う人達は英語圏の人たち。なのでドキュメントも紹介ページもソースのコメントも英語で作ってました。
ただ、もちろんネット上では、渡米前の日本の友人たちやネットで知り合った人たちとは日本語でやりとりしていたので日本語でも全部用意して公開してました。
やはり最初は、事前に作っているものを日本の友人たちに伝えいたこともあって、日本人からのレスポンスが多かったのだけど、じわじわとアメリカ人などからも反応が返ってくることも増えて、しまいにはヨーロッパやインド、アフリカの方まで。なぜだか分からないけどアフリカの(たしか南アフリカだったと思う)一部で評判になったみたいでよく使われている印象でした。

しばらくすると単純な評価だけでなくて、要望や質問が増えてくるわけですが、これがびっくりするほど、日本からは「こうして欲しい」「あーして欲しい」「こういう状況だと動かないなんとかして欲しい」というものばかりで、ただほとんどの人は何も問題がないのか、何もいわずに使ってくれているという状態。

一方で、英語圏からは、まずやたら情熱的に褒めてくれて、それから「こうするともっとよくなると思うんだ!良かったら使ってくれ!」とパッチが添付されてるような事が何度か。

結構これが衝撃的で、というのは、一番最初に出したものに関してはボクはオープンソースにしていなかったんです。ただ、作る仕組みをわかっている人は、どうすれば中を覗けるのかわかるので、ディスコンパイルなどする必要もなく簡単に中のソースを覗けるものだったんです。それで中身を見て自分なりに変更を加えてきてくれました。その内容の多くは本当にささやかな変更ではあったのだけど、良いパッチでした。

ボクは怒るどころか、驚きといい意味で裏切られた嬉しさでいっぱいで、むしろその直後には申し訳ないことをしたという気持ちに。それなら最初からオープンソースにしておけば良かったなあ、と。ボクは返事を書くよりも先にまずそれをパブリックなバージョン管理システムに公開して、その人たちをコミッターに加えて、それからメンバーに「ありがとう、本当に嬉しいし、パッチも素晴らしかったので、早速採用したよ。ソースもリポジトリに置いたんで、良かったら一緒にコミットしてくれないか?」と返事しまして。しばらくは(自分たちが飽きるまで)一緒に作ってました、というわけです。

その後は出すものは基本オープンにしてやっていたというわけです。
いやー懐かしいなあ。
木曜日と金曜日に通称デブサミ、Developers Summit 2012に参加した。特定のベンダーや技術にとらわれることなく、広く技術から開発方法論まで話されるこのカンファレンスも今年で10周年だ。関係者の皆様、お疲れ様でした、おめでとうございます、来年からもがんばってください、応援しています。

10周年ということもあり楽しいムードが満載の中、ふと疑問を持ったので、Twitterでつぶやいてしまった。

“素朴な疑問なのですが、 #devsumi の「10年後も世界で通じるエンジニアであるために」って現在すでに世界で通じるエンジニアであるという前提ですね?” https://twitter.com/#!/takoratta/status/170341136370638848

このデブサミの今年のタイトルが「10年後も世界で通じるエンジニアであるために」であり、これはこれでステキなメッセージなんだけれど、疑問に感じたのが「10年後も」っていうことは「今も」すでに世界で通じるエンジニアなんだという前提なのかと。

「日本のエンジニアなんて、ガラパゴスの動物のように、進化はしているかもしれないけど、島から出たら生存競争に生き残れないようなやつらばかりだ。なんだ、このメッセージ、きめぇ」とか思っていたわけではまったくない。純粋に、参加者は「世界」というのをどういうふうに感じているのかを疑問に思ったのだ。

世界で通じるエンジニアっていうのは、技術力だけでなく、(もちろん日本語以外での)コミュニケーション能力からなにから世界で通用することを期待される。スピード感であったり、ダイバーシティであったり。自分の考えを推し進めるにはアサーティブであったりすることも必要だ。私も含め、多くの日本人が苦手なところだろう。

外資にしか勤めていない私が感じる「世界」と参加者の多くがそうであろう日本企業に勤める人が見る「世界」というのはどう違うのかを知りたかった。

Twitterでつぶやいたところ、+Keiji Ariyama さんが素晴らしいコメントを返してくれた。

”実際、世界で通用するかどうかというのは、世界と関わらないとわかんないですよね。 仕事が日本に閉じてるなら、せめてオープンソースプロジェクトにちょっとでも関わればいいのかもと思うのだけど。そう言う話は出るのかしら。” https://twitter.com/#!/keiji_ariyama/status/170350438326079489

そう。世界で通用するかどうかの実感を持つには、世界と関わらないといけない。

オープンソースに関わることとか自分の開発しているものをオープンソース化ことの意義については以前、Google API Expertの誰か(たしか、+Makoto Anjo さん)が教えてくれた事実が面白かった。彼が教えてくれたのは、「コードが公開できるものだったら、是非オープンソースにすべきで、その際多少面倒でも、是非英語で公開すべきだ。日本語で公開した場合でもバグ報告や機能追加要求は来るけれど、英語で公開するとパッチが送られてくる」という事実。

10年後に世界で通じるためには、たとえばつまりこういうことをやっていくっていうことなんだろうと思う。

私の元のツイートは炎上を引き起こすかと思ったら、50以上のリツイートされただけで静かに終わっている。リツイートされたってことは何かを感じたんだろうけれど、是非もっと考えて世界と関わって欲しいなと思う。
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