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Hideaki Matsuo
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教育を、志事にする。
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働き方改革と会議のあり方
働き方改革に関わって、会議のあり方について。 会議は残業に関するかなり重要な要因である。 前にも紹介した次の本から引用する。 『私の作文教育』 宇佐美 寛 著 さくら社 http://www.sakura-sha.jp/book/jyugyo/sakubun-kyoiku1/ ========================== (引用開始) 会議での提案は、「〇〇をどうするか考えてください。」や「〇〇を検討しよう」であってはいけません。 それは評論にすぎません。 「自分は〇〇を……という状態に変えたい。『イ...
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資質・能力についての雑感
何かと話題になる資質・能力について。 資質には「生まれつきの性質」という意味がある。 つまり、資質・能力を伸ばすということを考える際、実はその才能が問題になる。 たまたま、走らせると速い子どもがいる。 別にトレーニングを積んできた訳ではない。 たまたま、そうでない子どもがいる。 別に、運動をさぼっていた訳ではない。 他にも、そういうのはたくさんある。 全員に何かしらの才能はある。 一方で、全員に全ての才能がある訳でもないというのが事実である。 私の知人に、小学生の頃から 「農家のお嫁さんになって、牧場で牛を飼...
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「質問できる」はいいことか
「叱る」とはどういうことか、「信じる」とはどういうことか。 こういったことについて、ここ数回書いてきた。 言葉の意味というのは、よくよく考えて用いなければならない。 安易に使うと、誤解を生みやすい。 何度も書いたが「叱る」と「褒める」というそれぞれの言葉自体に善悪はない。 誰がどの文脈で用いるかが大切なのである。 誤解されがちなものの一つに「質問」がある。 「質問するのはいいことだ」という風潮がある。 しかし、実際には、やたらな質問をするのは、よくない場合も結構多い。 体育主任をする若い方などからよく聞く話だ...
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保護者と学級担任のリスペクト関係
保護者と担任が、互いをリスペクトすることについて。 ここに関しては、担任の側から先にはたらきかけることが大切である。 上っ面ではいけない。 心から思うことが大切。 それには、やはり知識が前提になる。 「自分が知らないことを相手は知っている」という、「無知の知」である。 担任が知らなくて、保護者が知っていること。 その最たるものは、子どもそのもののことである。 担任は、「学級」という集団単位での知識に関しては長けている。 しかし、「〇〇さん」という個人に関していえば、到底その親に及ぶはずがない。 接している時間...
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学級担任の「一日の長」
学級懇談会があった週に書いた記事。 次の本から引用する。 『最高の学級づくり パーフェクトガイド 指導力のある教師が知っていること』 赤坂 真二 著 明治図書 https://www.amazon.co.jp/dp/4181695158 ============ (引用開始) 先ほども言いましたが、学級崩壊前の子どもたちは、学校に来ると児童・生徒になりました。 役割にはルールが伴います。 したがって、児童・生徒としての行動は、学校が、子どもたちに与えたルールであるとも言えます。 皆さんも、素の自分と教師である...
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周りの支えがあってこそ
今年度は、一年生の担任である。 入学式も、いつもと違う立場で参加させていただいた。 学んだこと。 それは、自分の力では全く成立しないということ。 会場設営から教室の飾り付け、各種用具や配付物の準備まで、すべて他力である。 何から何まで、事細かにやってもらった。 有り難みを感じると同時に、自分が何もできないことを感じた。 これでも、教職は17年目である。 担任としての仕事は、ある程度までわかっているつもりだった。 わかってないのである。 知らないところの仕事が多すぎる。 比喩とか冗談ではなく、本気で新任者の気分...
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「わかりやすい」「懇切丁寧」への疑問
最近ふと気付いたこと。 子どもの将来を考えた指導や手助け、授業の在り方について。 例えば、家で丁寧に勉強を見てあげるとする。 子どもがテキストを読んでわからないところを解説する。 子どもは「わかった!」と言って、嬉々として「正解」を書き込む。 それ自体はいい。 しかし、それから先、ずっとそれができるか、ということである。 中学生になっても、教えてあげられるか。 高校生になっても、教えてあげられるか。 大学生になったら 社会人なったら。 多くのお母さん方から出るのが 「最近、算数が難しくて教えられなくなって」 ...
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比較は常に二者択一
ものの見方、考え方、観の話。 師の野口芳宏先生からの学びである。 何気ない会話の中で、自分には目から鱗だったのでシェアする。 曰く 「比較は常に二者択一」 という。 たくさん選択肢があるようでも、頭の中では常に二択。 ABCと一見三択のようであっても、一度の思考は二択。 この繰り返し。 Aを検討する時はまずBと比較する。 A対Bである。 次にCと比較する。 A対Cである。 この時点で、Aがどちらにも勝っていたら、Aに決定ということで終了。 Aがどちらかに負けていたら、Aに勝った方を選んで終了。 Aが両者に負け...
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教育における「おそれ」の必要性
前号で、教育の世界はポジティブ用語を好むという話を書いた。 ポジティブは必ずネガティブと裏表セットである。 教育において、恐怖という言葉は、忌み嫌われやすい。 しかし、安全・安心とルールを担保するために、恐怖は必要になる。 恐怖という言葉にどうしても抵抗があるなら、「こわさ」と表現してもいい。 先日の教員セミナーでは、某国民的マンガの横暴な少年を例に出した。 「お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの」 という名言をもつあのキャラクターである。 あの乱暴者が完全服従する人物がいる。 先生ではない。 「かあちゃ...
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叱る・怒るを考える
教育においては、「人気者」と「嫌われ者」の用語がある。 それぞれ、ポジティブな用語とネガティブな用語である。 当たり前だが、本来言葉自体に善悪、良否はない。 ポジティブ用語の方が、「何か、いい感じ」なのである。 感情的、感覚的な問題である。 しかしである。 教育用語はどの時代も基本がポジティブ寄りの傾向である。 「褒めて伸ばす」「生きる力」「アクティブ・ラーニング」「楽しい授業」「主体的・対話的で深い学び」 ・・・ 注意すべくは、ポジティブとネガティブは裏表でセットということである。 片方だけで成立しない。 ...
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