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マブリットキバ
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岩手県に住む鬼です。昔に悪い事したので良い事するように鎧に封じられています。東日本大震災からは岩手県沿岸で子ども支援と地域の復興協力などを担当しています。AKB48の大ファンです。
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5月4日 南三陸町訪問 メンバー紹介 【AKB48 佐藤朱さん】

佐藤朱さん(以下:あかりん)さん。チーム8の宮城県代表のメンバーさんだ。

頑張りやで明朗快活、表裏が無くてハキハキしたその性格は今までの訪問でのどんな場所でも大活躍だった。

あかりんとはじめて会ったのは2015年8月の宮城県気仙沼での訪問。船で大島に渡り砂浜でライブをし、その後は町中にあった仮設商店街でライブを行なった。

宮城県のメンバーさんとして、サプライズで地元の小さな子があかりんに花を渡していた光景がとても懐かしい

そのときライブを行なった仮設商店街は2017年の4月に閉鎖となった。前に進むためとわかっているが、笑顔や歌声が溢れた施設の閉鎖はとても切ない

今でも近くを通ると、あかりんが笑顔で花束を受け取った光景が目に浮かぶ

その後に再会したのは2017年9月の宮城県石巻市での訪問活動

二年ぶりに会ったあかりんの成長にとても驚いた。大抵2年と言うと人も変わるには充分な時間なんだが、あかりんは成長はしたが大切なところは何一つ、変わってはいなかった。もちろんこれは良い意味の話しだ

自分から前に出る姿勢はもちろん、誰にでも明るくハキハキと笑顔で応対をする。それにあかりん本人の気持ちとか、心がはっきりと現れている

当然、訪問であかりんに出会った人達はみんな笑顔になる。簡単なようだが、出会った人に自分から歩み寄り、打ち解けるのは本来とても難しいことだ。あかりんの場合、それをすぐやってしまうのだから凄い

オレは高い素質を持っているメンバーさんだな、と感心しきりだった

いい人、優しい人というものは集団では目立つ要素になることは難しい。昨今、強烈な個性を持つ人が前に出るのは必定になっている

でもこうした理屈めいた事は、あかりんにはあまり問題にならないと思う

あかりんは石巻市の訪問でお店の店員になってお手伝いをした。商品を手に取り、裏の説明までふむふむと読み込む。そして一緒に働く店員さんとすぐ仲良くなり、来るお客さんに自分から話しかけ、商品を丁寧に説明する。お客さんはもちろん喜ぶ、結果商品がバンバン売れるのだ

はじめての場所、はじめて出会う人、はじめての接客という条件がついても、上記の事をだいたい5分くらいでやってしまうのだから凄いとしか言えない

お客さんが「・・し、写真とっていいですか?」とおずおず聞くと、あかりんは「わたしですか!はい、もちろんです!」とお客さんと一緒に写真を撮ったりする。何気ないことだがこれはとても難しいことだ

「自分なりに」という事を拒絶に使う人は多い。でもあかりんの「自分なりに」は相手を笑顔にし、幸せにする事なんだなと。ありあまる気持ちを一人ではなく、他人と共有をする事に使えるチカラを持ったメンバーさんなんだと心から感心をした

結果気づいたことは、あかりんはフィジカル、メンタルがめっちゃ強いということと、土壇場でパワーの爆発力がハンパないということ

となれば、その素質は誰かのために使ってもらうことにとても向いている

今回の訪問はあかりんにとってとても大切な宮城県、そしてお手伝い店員さんなどに続く、ものづくりのお手伝いイベントと商店街でのアピールイベント

皆さんはお気づきだろうか。今回の訪問内容はあかりんの持つ素質と力が、遺憾なく発揮される好条件がそろっているということに・・・

ならば、あかりんには今回も前回訪問と同じように、笑顔でファイトして頂くことが望ましい。そもそも、全力で頑張るあかりんは今までも必ず結果を残してきた、人はそれを知らないだけだったりする

という事で!今回の宮城県南三陸町の訪問にあかりんこと佐藤朱さんが参加するんだ

今回はものづくりに加えて商品のアピールなどもお客さんと距離が近いところで行なうイベントになると思う。あかりんなら、きっとできる。大丈夫!お客さんはきっとみんな笑顔になる

そう思わせてくれるのが、あかりんというメンバーさんだ

今回の訪問であかりんが生み出す伝説やエピソードを、皆さんには心から楽しみにしてほしい

※画像は2015年の気仙沼市訪問と2016年の石巻市訪問時のもの

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2018/05/01
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新ジオラマプロジェクト メンバー紹介 【NMB48 山尾梨奈さん】

お互いに一度も顔を合わせない。それでも信じて支えあう人達がいる

絵空事だろうと殆どの人が指を差し笑う。間違いなくオレもその一人だった

だが、そんなオレは山尾梨奈さん(以下:やまりなちゃん)とジオラマのこども達に、その軟弱な精神をぶちのめされ敗北をすることになる

被災地からは多くのものが消えた。夢は無く、まるで童話の消えた森だった

こども達はジオラマを作った。恨み、悲しみ、喜び、そこにはいっぱいの感情があって。多くの出会いと別れが波のように繰り返された

2013年9月。今から5年前にジオラマは握手会のメンバーさんブースに設置され、そこでジオラマを通し、多くの素晴らしいメンバーさん達とこども達は出会った

朝から大勢のメンバーさんが訪れる中で、一人の研究生メンバーが何回も見学に来てくれた

「キバさん、あのメンバーは山尾梨奈だよ。一番グループで背が小さいからそこを覚えるといいよ」

誰かのためにプロジェクトのリーダー石原Pさんがオレにそう教えてくれた

当時のやまりなちゃんは18歳。ジオラマを嬉しそうに見て、それがこども達が作った事に驚き、そして自分も応援をしたいと笑顔で言ってくれた

やまりなちゃんはジオラマの構造や作ったこども達の心境を次々見抜いた。素晴らしいとオレは感動をしたのを覚えている

そこでやまりなちゃんにオレは言った

「いつか山尾さんにジオラマのデザインをこども達と一緒にやってほしい、そしてこども達を支えてあげて欲しい」と

やまりなちゃんはとても喜んで「はい!わたしにできることなら!」と頷いた

それ以降、やまりなちゃんはSNSなどでジオラマの投稿や情報があがる度に「見たよ!応援しているよ!」と足跡を残していった。こども達だけがそれに気づいていた

この関係は5年間、ずっと続けられた

こども達は鳴らないラジオを持ち、そこからやまりなちゃんの声がいつか届くと信じているようにオレは見えた

当時のNMB48のファンの子達は少なかった。それでも団結力があってジオラマに大きなNMB区画を作ったりと奮戦していた。ジオラマにはNMB研究生のシアターも作られた、こども達がやまりなちゃんへの感謝にとリクエスト聞いて製作したものだ

「いつかやまりなちゃんが来て、一緒にジオラマをつくるんだ」
「やまりなちゃんはきっと、来たらみんなのために頑張ってくれるよ」

そういってやまりなちゃんファンのこども達は笑った。いつも笑っていた
泣き言を言わない、そして絶対に泣かないがルール。離れた場所で頑張るやまりなちゃんに誓った約束だった

だが、こども達の夢は果たされることはなく。次々と家庭の事情から被災地を離れていった

やまりなちゃんには私達がいなくなる事を絶対に言わないで欲しい。キバさんはウソをついてでも、私達は元気だとやまりなちゃんを元気付けてあげてほしい。と去るこども達から頼まれ、オレはその任務を果たした

簡単な任務だが悲しかった。オレは無力でこども達とやまりなちゃんを会わせてあげられなかった

そんな日々が過ぎ、ジオラマをぜひ大阪のNMBチャリティーイベントに展示したい!とNMB48さんからお声がけを頂いた

これはチャンスだ・・!やまりなちゃんにジオラマを見せて、こども達が残した想いと再会させるチャンスだ!!オレは心が躍った

懐かしいこども達に連絡を取った、みんな元気で笑って「わかりました!指示をしますので、今のジオラマの子達にNMB48の作品を作ってもらうように頑張ります!」と言って、現地で頑張るジオラマのこども達に想いを託した

「わたしたちの色々な事とか、やまりなちゃんへの感謝はジオラマに託します」

そうして、新旧のジオラマの子達が力を合わせ、NMB48の大きな作品がジオラマに完成した。オレはジオラマの子達の想いを大阪まで運んだ

大阪のチャリティーイベントはなんとジオラマ見学者だけで5000人越えとなり、大盛況だった。そして多くのファンの人達が見に来てくれて、労いの言葉をかけてくれた。オレはこのときの人のあたたかさを一生忘れる事はない

だが、ここで大きな問題が発生した。会場ブースはメンバーさん達が時間毎に現れるんだが、ジオラマ展示は一般の開放ブースであり、セキュリティの問題からメンバーさんがジオラマを見に来るプログラムには入っていなかった

「すまんな。メンバーさんは。やまりなちゃんはジオラマを見にこれない」

こども達にそう現場から連絡をした。こども達は

「いいんですキバさん、ありがとうございます!気にしちゃダメだよ」

と返信をくれた。オレはこども達のラジオを鳴らせなかった

落ち込むオレの前に、誰かのためにプロジェクトのリーダー石原Pさんが会いに来てくれた。この日は撮影があり、ジオラマの展示も手伝ってくれていたのだ

話しを聞いた石原Pさんは笑って言った「ははは、それなら心配はいらないよ。オレはわかっているから、ずっとジオラマの物語をみてきたからね」

石原Pさんはそう言って、ジオラマブースの裏からやまりなちゃんを呼び込んだ

「お久しぶりです!見に来ました!」やまりなちゃんは元気良く挨拶した

やまりなちゃんは自分の決断で責任を負い、会場のルールを曲げてまでジオラマに会いに来た

5年間、一度も会う事のなかったこども達はジオラマに想いを託し、やまりなちゃんはルールより自分の決断でこども達を救う事を選んだ

ジオラマを通し、やまりなちゃんとこども達はようやく出会った

こども達がジオラマに込めた願いと想いを、やまりなちゃんは全て救った

こども達に伝言するよ、と言うオレにやまりなちゃんは

「動画で撮って下さい、そしてこども達みんなに届けて下さい!」と

明るく精一杯の愛がこもったメッセージ動画は去っていった子達、現地で頑張るこども達に流れ星のように届いた

ずっとこども達がいつか声が聞こえるだろうと信じて、心に持っていた鳴らないラジオから、その日やまりなちゃんの声が響いたんだ

メッセージ動画を見たこども達から返信が来た

「涙が。とまらないです」

やまりなちゃんを悲しませたくない、だから絶対に泣かない。それがルールだと決めて頑張ったこども達は、ようやく泣いた。それは悲しい涙じゃなかった

それから月日が経った

南三陸のジオラマプロジェクトを進める中で、次々と現地側からメンバーさんの希望があがった

その中で、デザイン力とセンスに優れたメンバーさんの力を借りたいと現地側から要望があがる。南三陸の皆さんが選んだメンバーさんの中に

NMB48 山尾梨奈さん

と名前があった。衣装のデザインやショールームでのお菓子作りなど、卓越したセンスとデザイン力を買われたのだ

オレは南三陸の担当さんに念を押した「このメンバーで、NMB48の山尾さんで間違いないですね?正直な話し・・・違うメンバーが良かったとか後でならないですよね?」

それに対して南三陸の担当者さんは強く言った

「いやいや、山尾さんじゃないとダメです!山尾さんのデザインと管理能力、そして西澤さんのスキルと合わせたらいい作品をデザインすると思うんですよ。それに山尾さんならこども達は幸せになる、喜ぶと思うんですよね。そして山尾さんが一番適任なことをキバさんとこども達は実はわかっているでしょう?」

こうして、南三陸町の新しいジオラマプロジェクトのメンバーにNMB48の山尾梨奈さんが選ばれる事になった

なお、もう一つの大きな理由としてやまりなちゃんのファンの方々が、京セラドームのジオラマ展示以降に遠い被災地沿岸と南三陸町に観光支援で継続的に訪れていたことも大きな理由だと、町の担当者の方が明かしてくれた

5月4日の南三陸訪問で始まる新ジオラマプロジェクト。こども達をずっと応援していたやまりなちゃんが、こども達が作った道を通ってようやく訪れる

新しい人達、新しいこども達、新しい場所、復興と発展
やまりなちゃんの持つ力が未来のために使われる日が来る

こども達の持つ心のラジオから、きっとまたやまりなちゃんの元気な声が響き渡ると、オレは信じているんだ

※画像は2013年9月のジオラマ展示会、2016年の京セラドームでの展示会から
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2018/05/01
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新ジオラマプロジェクト メンバー紹介 【NMB48 西澤瑠莉奈さん】

「本当にNMB48の西澤さんで間違いないですね?」

オレは南三陸の担当者さんに面と向かって確認した

「はい、間違いないです。ガンプラの彼女なら大丈夫だと信じています」

担当者さんはオレの目をまっすぐ見て、うなづきながらそう応えてくれた


NMB48の西澤瑠莉奈さん(以下:るりりん)。誰かのためにプロジェクトでAKB48グループの代表として今回5月4日の宮城県南三陸町訪問に選ばれたメンバーさんだ

「なぜ?」という方が多いだろう。長くなるが、それをここでオレから説明させて欲しい

実はるりりんは2013年の9月に開催されたジオラマ展示会に研究生の頃に見学に来ている。が、そこでは特に交流はなかった・・・

だが、るりりんがジオラマの記事を見てくれていたことは他ならぬこども達は知っていた。知らぬはオレだけ・・全く情けない用心棒だ笑

そして大阪京セラドームでのジオラマ展示!よし、ここで新展開を・・・!

しかし、裏のブースでるりりんと会い「あっ!(ペコリ」ぐらいで終わってしまったのだった・・・

平和にジオラマをこども達とコツコツと作る日々に戻ったある日のこと、オレは新しく始まる南三陸町の新ジオラマプロジェクトの企画相談役として、南三陸の担当者さんとコツコツ打ち合わせを続けていた

プロジェクトにはある問題があった。メンバーさんの協力を得るにせよ、みんな時間も限られ距離も離れすぎている。もえちゃんのモチベーションがあり、しのちゃんの頭脳があり、あみちゃんの決断力があるにせよ、失敗を恐れず常に作り続け発信できる人が必要だった

作り続け積み重ねる事、それを笑顔でできる人を見つけなければ・・・

だが運命というものはある日突然、奇遇な出会いとドラマを生み出す

悶々と悩むオレに、こども達から連絡が来た

「NMBのるりりんのショールーム、絶対に見て下さい!」と

言われるがままに見に行くと、ショールームでガンプラに悪戦苦闘しながら笑顔で作り続けるるりりんの姿があった。メンバーさん達はショールームでよくガンプラを作ることがある、オレも何度も見てきた

だが続かないと知っている。ものづくりは面白かろうが、不器用だろうが、あきらめず楽しんで作り続けてこそ「未知から完成」に至り花が咲く。残念な事にほとんどが単発のものづくり企画配信だった

それでもこども達はるりりんのものづくり配信には何か特別なものを見たようで、毎日るりりんの配信をこども達と見守るようになった

るりりんは毎日毎日、良く知らないガンプラをファンのみんなの前でヤスリの粉にまみれ、塗装の失敗にガッカリし、失敗と成功を繰り返しながら作品をカタチにしていった。しかもずっと笑顔でだ

人は集中すると無言になる。だからショールームのような動画配信でのものづくりは殆どの人がやめてしまう。そう、製作中は無言になってしまいファンとコミュニケーションがとれなくなるからだ

だがるりりんは違った。必要なものはファンに頼らず自分で買い揃え、ものづくりのプログラムを作り、絶えずファンとコミュニケーションをはかりながら楽しそうにその手から作品を次々に生み出していった。オレは見ていて泣きそうになった

最初ジオラマ製作を始めた時、経験がなかったオレやこども達は何度も失敗し泣いた。反響もなく、誰にも見てもらえなかった。それでも励ましてくれて作品を楽しみしてくれた人達がいたから作る事を続けられたんだ

るりりんが作ったプラモのガンダムは結晶だった。笑う人もいるだろう、でも同じように作る事を続けてきたこども達やオレにはそれが胸を打った、この世でただ一つの素晴らしい作品だとわかった

こども達はオレに意を決して言った

「新しいジオラマにはるりりんのように作り続ける人が必要だと思います!」

オレはうなづいた。だが、ここでも問題があった。オレから南三陸の皆さんに売り込むようなことは絶対にできないし、やってはいけない。現地の人から要望が上がらない限り、不可能だった

こども達はオレの話しを聞いて「そうですか・・・」と落胆した。新しいジオラマプロジェクトにるりりんの素質と可能性を活かしたかったのだと思う

「可能性の獣・・・ユニコーンガンダムか・・」オレは意味なくつぶやいた

そこからしばらくして、再度新しい南三陸のジオラマプロジェクトの会議で現地に訪れたオレは担当者さんと色々と話すことになった

ここで運命は動き出した

担当者さんは理想的なジオラマメンバーについてオレに相談をしてきたんだ

「あの・・・動画配信でガンプラ作ってるメンバーさんがいますよね?あのメンバーさんとかいいなあって思っているんです。楽しそうだし、こども達とか大人もついて行くんじゃないかなと」

オレは驚いて聞いた「それはもしかして、NMB48の西澤さんか?!」と

担当者さんは笑顔で答えた「そうです!ガンプラのメンバーさん!」

こうして南三陸町現地の方からるりりんにと要望があがった。そこからの流れは凄かった

実は京セラドームのジオラマ展示以降、関西からNMBのファンの皆さんが遠い被災地に観光支援で通っていてくれて、そこから南三陸町は西澤さんを必要としていると話しは広がり、るりりんのファンの方々が関西から遠い東北沿岸被災地に観光支援でずっと何度も通ってくれた

自分の推しが選ばれようと、そうでなかろうと、るりりんファンの皆さんは決して現地にお願いなどしなかった。ただ黙って笑顔で観光支援を続けてくれて、新しいジオラマプロジェクトのために基金まで呼びかけ集めてくれた

ファンの皆さんのこうした活動は南三陸の皆さんが知るところとなった

そしてこうした活動が広がっていることが誰かのためにプロジェクトからNMB48の運営さんに伝わった

・・・・・そして南三陸町の新ジオラマプロジェクトの最終確認会議の日

「本当にNMB48の西澤さんで間違いないですね?」

オレは南三陸の担当者さんに面と向かって確認した

「はい、間違いないです。ガンプラの彼女なら大丈夫だと信じています」

担当者さんはオレの目をまっすぐ見て、うなづきながらそう応えてくれた

そして担当者さんはこう続けた

「被災地も同じです。あきらめたら終わり、手や足を止めたら絶対に終わるんです。失敗は当たり前、反応なくて当然。でも作り続けて発信していかなきゃ誰も見てくれなくなるし、こちらも誰かに意思を伝えられない。作り続けるってことは今、被災地のみんながやらないといけない。そしてそれは笑顔で楽しいものじゃなきゃいけない。そこに選抜とか、干されなんて関係ないですよ。だから西澤さんでお願いします。可能性とか未来っていうものはそうじゃないですか、キバさん」

こうして南三陸町の新ジオラマプロジェクトのスタートイベントにNMB48の西澤瑠莉奈さんが選ばれることになった

オレは一人思った「可能性の獣・・・・ユニコーンガンダムか・・」

こども達にそう伝えると「いや、ユニコーンガンダムは関係ないと思います」とばっさり切り捨てられた

2018年5月4日、るりりんははじめての被災地訪問活動で、はじめての復興企画であるジオラマ製作会に参加する

作り続ける事、積み重ねること、楽しく作ること。るりりんの可能性が多くの人の未来に繋がる事を、皆さんには心から楽しみにして頂きたい
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新ジオラマプロジェクト メンバー紹介 【AKB48 湯本亜美さん】

山田町のジオラマが握手会でメンバーさん達に初公開されたのが2013年の9月。今から5年も前の事だ

当時知られていなかったジオラマを見学し、長い時間その場で守ってくれたのがAKB48の15期生「いちごちゃんず」と呼ばれた皆さんで、当時はみんな研究生だった

湯本亜美さん(以下:あみちゃん)はその時から現在まで、5年間ずっとジオラマや被災地の応援と支援を自分の力で継続しているメンバーさんの一人だ

あみちゃんの存在が被災地の皆さんに知られたのには訳がある

それはプライベートで何度も遠い山田町まで来て、ジオラマの子達や町の人にメッセージを残したり、いっぱい観光してお土産を買っていったりしてくれたからだ、それも一度ではない、何度も行なってくれた

ただ、そのときあみちゃんはAKB48のメンバーだとは名乗らず、一人の人として、ファンの皆さんが沿岸被災地支援で通ってくれているように、自分も同じく出来る事をした

「人として充分に尽くしてくれた、だからこそ湯本さんはAKB48のメンバーとして正式に訪問してほしい」と、こども達や被災地の皆さんから声が上がった

これが誰かのためにプロジェクトのリーダー石原Pさんとスタッフの皆さんに伝わった。そして石原Pさんは笑って応えた

「そう言う事なら本人も隠さず言ってくれればいいのに。訪問メンバーとしてもちろんウェルカムだよ」

そしてあみちゃんは正式なAKB48グループ代表メンバーとして、2017年9月に岩手県山田町を訪問した。ジオラマの見学の時に研究生だった頃から実に4年が経っていた

こども達いわく、あみちゃんは優しくいたずら好き、集中力バツグンで手先も器用、どんなときでもマイペースながらパフォーマンスは最高、ただでさえ可愛いのにしゃべり方も声もめっちゃ可愛い。必殺技を持っている、などとべた褒めの最高峰

現地で出迎え担当になる事が多いオレは、あみちゃんの持つ不思議で素晴らしい力を実は何度も見てきた

辛い被災経験をした方々が、訪問であみちゃんと出会い、ふれあって生きる希望を見出してくれた。というものだ

家族など大切な人を震災で失った方々は癒されるタイミングがなく、ただただ悲しい中で時を過ごす人が多い。そんな人達が訪問であみちゃんと出会い、希望を取り戻した。これはこども達だけではない、お年を召した方もあみちゃんに会って救われている

「きっと神様が、あみちゃんを訪問に行かせなさいって言ったんだよ」

こども達はオレの話しを聞いて、笑ってそうオレに諭した

何度も自分の決断と力で被災地に訪問した事、強い決断力と抜群の感性を持っている事、被災した人達に生きる希望を与える機会が多かったこと

この事から、あみちゃんは南三陸町の方々から望まれ、新しいジオラマプロジェクトのエースとして是非!と訪問の指名をうける事になったんだ

あみちゃんは自分の考えをあまり公に語りたがらない。だが、ジオラマに関して、訪問に関しては

「一緒にこれからも守っていきましょう!」と強く言ってくれるんだ

絶望にあった人に笑顔をもたらし、ジオラマを守っていこうとするあみちゃんの力強い姿を見て、オレは自分の引退が近い事を感じるようになった

宮城県の南三陸町は初訪問となる湯本亜美さん。きっと今までと同じように、多くの人達と出会い、希望の道に手をとって連れて行ってくれるだろう

あみちゃんが南三陸町で生み出すジオラマを、皆さんには心から楽しみにして頂きたい

※画像は2013年の研究生時代と2017年の岩手県山田町訪問時のもの
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2018/04/30
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新ジオラマプロジェクト メンバー紹介 【HKT48 岩花詩乃さん】

新ジオラマプロジェクトを後藤萌咲さんと立ち上げたもう一人のメンバーが岩花詩乃さん(以下:しのちゃん)

こども達いわく、松井玲奈さん、松村香織さん、森保まどかさんと同じように「守りたいし、守ってくれる人」として心から愛されているメンバーさん

ジオラマやこども達との出会いは2015年8月7日の握手会でのジオラマ展示会。その後SNSを通してこども達に正面から向きあった交流を重ねた

2016年3月の旧HKT48劇場での出張ジオラマ展示会も、一人の人として見学にきた。そこで過去、HKT48に入る前に被災したこどもを家庭でホームステイとして受け入れ、共に過ごしていた事を告白

この告白は多くの被災地沿岸の人の胸を打つことになった

しのちゃんがずっと被災地のこども達に向き会う深い理由があった事を誰かのためにプロジェクトは把握、それ以降は被災地訪問活動に参加するようになった

クールで達観したドライな性格に見えるが、状況を冷静に分析する賢さが高く、それを上回る思いやりの心をもっており、人の痛みや悲しみを誰より理解し共有できる

特にこども達への愛情はとても深く、自分にできることならどんな小さなことでも行なう強い決意を持っている。被災地の親御さん達も、しのちゃんへは絶対の信頼を持ってこども達をゆだねる程だ

実は熱い行動派で、新ジオラマプロジェクトもしのちゃんが後藤萌咲さんに声をかけ、共に立ち上げた経緯がある。つまり新しいプロジェクトの生みの親がしのちゃん本人

だが一直線のもえちゃんの行動を終始フォローするため、苦労人になってしまうこともあったりなかったり

見えないところでも新しいジオラマプロジェクトを進めるために、大人達にはっきりと意思を伝える勇気をもっていて、こども達もそれを知っている

・・・オレはマブリットキバとして、メンバー達と被災地のこども達をつなぐ役を続けてきたんだが、しのちゃんはメンバーでありながら自分で責任を負い行動し、こども達に歩み寄って行った姿を何度も見てきた

しのちゃんに影響されて、こども達も素直になついて歩み寄り、自分の足と意思で行動をするようになった

2018年のHT48仙台コンサートではしのちゃんを応援し、感謝を伝えるためにこども達は300キロの旅をして会いに行った

こども達はしのちゃんと出会って3年目に、ようやく本当のメンバーとしての姿を見る事ができた。そしてしのちゃんに感謝の気持ちを手紙としてまとめそこで伝える事ができた

わかる人にはここでわかる。マブリットキバが動かなくても、しのちゃんとこども達は自分の意思と足でお互いに歩み寄り、手をとりあった

もっとわかりやすく言うと、しのちゃんはマブリットキバの存在と強さをとっくに越えてしまっていたということだ。これにより、マブリットキバの引退は納得の結果ということに(笑

新ジオラマプロジェクトでも、しのちゃんはその器用さを遺憾なく発揮。元々ミニチュアが好きで、こども達のためにと行動する事が目標として合わさり、今ではプロジェクトに絶対に必要なメンバーとなった

今回の南三陸訪問は初だが、新しく始まるジオラマプロジェクトの参謀、もしくは軍師としてリーダーのもえちゃんを支え、チームをコントロールする存在になるだろう

※画像は2017年の岩手県山田町訪問と2016年の旧HKT48劇場にて
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2018/04/29
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新ジオラマプロジェクト メンバー紹介 【AKB48 後藤萌咲さん】

今から三年前の2015年、握手会でジオラマの子に後藤萌咲さん(以下:もえちゃん)は出会った

そこでこどもに「わたしに被災地支援のお手伝いをさせて下さい」とお願いしたのがそもそもの始まり

そこから同年7月に岩手県大槌町を初訪問、以降は数多く誰かのためにプロジェクトに参加

もえちゃんは家族に震災で被災した関係者がおり、AKB48に入る前から「被災地の人達のためにがんばること」を夢の一つとしている

性格は一本気で感情を隠さない、思いついた事はすぐ実践、食べたいものは遠慮なく食べ、嫌いなものは嫌いと言う生産者泣かせ。不器用だが何かを生み出していきたいという思いは誰より強いが誤解をバンバン生む、そしてすぐ泣いてしまう

こども達に非常に似ている思考の持ち主で、その為かこども達や被災地の人達にも「一緒にいて気持ちの良いメンバーさん」として大人気

実は今回の新しいジオラマプロジェクトの発案者であり責任者。旧来のジオラマのやり方ではなく、メンバー同士で製作。それを復興の企画に繋げメンバー自身が発信をしていくという方法を考案

被災地訪問で出会ったHKT48の岩花詩乃さんと共にジオラマ企画を立ちあげ、ずっと動き出す用意をしていた

マブリットキバが引退を決した起因として、実は今回の訪問に選ばれたメンバー達一人一人にその理由がある

こども達は新しい場所で新しい活動が広がる事を選択し、そこから新しい被災地の観光交流に発展していく事を計画した

それに対し「こちらにはメリットしかない(ニッコリ」と受け入れてくれたのが南三陸さんさん商店街の皆さんだった

新しいジオラマプロジェクトは今までとは違うモノとして活動をしていかねばならない。根底から新しくするにはどうすればよいか?

そこでこども達は新しい世代のジオラマや復興活動を担う新リーダーとして、マブリットキバではなく後藤萌咲さんを選んで指名、もえちゃんはそれを笑顔で引き受け新ジオラマリーダー(要は二代目マブリットキバ)として頑張る事を決意し立ち上がった

新ジオラマリーダー、とは聞こえは良いが参加するメンバー達への連絡、企画の立ち上げ、製作スケジュールの管理と大変になる

だが今回の訪問のメンバー達は、こども達や町の人が「絶対このメンバーでなければならない」と指名したメンバー達

その中でもえちゃんはこども達が「新しいジオラマのリーダーにならなければならない人」と選んだ人だ

南三陸の訪問は2回目、今回はちょうど一年ぶりの訪問となる

ジオラマを通し、復興の応援をいかに進めていくのか、ファンの皆さんにはどうかそこを期待して応援して欲しい

新ジオラマプロジェクトの中では一番歳下の新しいジオラマリーダー。もえちゃんこと後藤萌咲さんの活躍に心から期待をしたい

※画像はもえちゃんの初訪問となった2015年7月の岩手県大槌町訪問から
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2018/04/29
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【岩花詩乃さんと被災地のこども達との交流のお話】

2018年3月17日、仙台市のゼビオアリーナでHKT48のコンサートが開催された

そこにジオラマのこども達も参加した。岩花詩乃さんにお礼を伝え、応援しにいくためだ

ここで少し、岩花詩乃さんとジオラマのこども達の交流について振りかえろう。最初の出会いは2015年8月、幕張で開催されたジオラマ展示会

上野遥さんと一緒にジオラマ見学にやって来てくれた。その次が2016年1月、正月で故郷の被災地に帰って来ていたこども達に755を通じてエールを送ってくれた

これが実質的な岩花詩乃さんとこども達の交流のはじまりになった。こども達はエールを送ってくれたお礼にとジオラマ作品を作った

これに岩花詩乃さんは【自分の目だけがアップの写真】を送った。こども達はすぐに気づいた、瞳にジオラマが写り込んでいた。言葉の無い最大のエールだった

同じ年の3月23〜24日の2日間、旧HKT48劇場の見送りイベントの一環として、ジオラマが展示された

この時、運営さんからは総選挙の立候補イベントが始まるのでHKT48メンバーは見に来るのは難しいですと事前に連絡を受けていた

それでも、こども達は「しのちゃんは必ず来る」と信じてジオラマに新しい作品を作り追加した

結果として岩花詩乃さんはジオラマを見学にやってきた、一般の人と同じ見学としてだ

絶対に何かある、オレはそう感じた。岩花詩乃さんと被災地のこども達はオレの知らないところで信じあっている。それが何かわからなかったので、何故ここまでこども達に尽くすのか理由を岩花詩乃さん本人にその場で聞いた

岩花さんはそこでずっと秘密にしていた事を打ち明けてくれた。HKT48に入る前に宮城県で被災したこどもをホームステイで受け入れ共に過ごし、励まし合っていたのだと

ここで全てが繋がって鳥肌が立ったのを覚えている

岩花詩乃さんはその事を誰にも語らなかった、でも自分の体験から被災地のこども達の為に何かがしたいと切に願っていた。ジオラマの子達は事情を知らなかったが、岩花さんのメッセージや優しさに被災地に何か深い縁があるんだと察していた

こども達と岩花詩乃さんは、お互いに自分の事情を語らずに信頼し交流をしていた。大人には理解が出来ない、不思議な心の交流だ

その事実は誰かのためにプロジェクトのリーダー石原さんやスタッフさん達にすぐに周知され、岩花詩乃さんはその経験と想いを活かすため、訪問活動に参加するようになった

その後は2016年に山田町で開催されたジオラマ報告感謝祭、2017年3月4日の岩手県岩泉町訪問、同年9月4日の山田町訪問に参加、町のみんなやこども達と出会い交流を重ねた

2017年の山田町鯨館でのクリスマスイベントがあり、そこに参加出来なかった岩花詩乃さんに、こども達はクリスマスプレゼントを手作りし後藤萌咲さんに託した

岩花さんはプレゼントを受け取った事をSNSで報告し、こども達に感謝を伝えた

そして2018年3月17日、HKT48が仙台市でコンサートを開催する事が決まり、岩花詩乃さんはこども達に「見に来て欲しい」と呼びかけてくれた

あいにくとこの日は岩手県沿岸のほとんどの小学校は卒業式の日になったが、岩花さんと交流があったこども達だけは「町の代表として行かせたい」と保護者の皆さんが努力をして、無事に行けるようになった

交流が始まって2年半が経ち、こども達はHKT48の衣装を着て、HKT48の曲を踊り歌う「本当の姿のしのちゃん」に会う事が出来た

はじめて観るHKT48のコンサートや岩花詩乃さん達の活躍にこども達は興奮したり、見惚れて固まってしまったり、笑ったりと素晴らしい体験をした

コンサートの終了後に岩花詩乃さんはこども達の元に駆け付け「来てくれてありがとうね」と語りかけた

こども達代表の子は岩花さんに手づくりのプレゼントを渡し、感謝の手紙をその場で読んだ

「わたしは皆さんに出会って、ダンスとピアノをはじめました。明日はその発表会です」

「南三陸のジオラマも必ず手伝います。これからも一緒にみんなで頑張っていきましょう」

手紙を読んでいる時、周りのスタッフさんも保護者の方もみんな静かになった。その光景は静かで胸に迫るぐらい美しく、映画のワンシーンのようだった

岩花さんは真剣に手紙の内容を受け止めた後に、笑って「可愛すぎて涙が出てきた」と照れ隠しをして泣いてくれた

被災地のこども達に夢を与える為にメンバーの皆さん達は頑張ってきた、その度に「私たちは何の役に立っているんだろう?」と疑問を持ち続けてきた

この答えに自力でたどり着いたメンバーさん達は少ない

でも岩花詩乃さんはその疑問の答えを見つけた

目の前でメンバーの訪問を通し、交流を得て音楽が好きになり、ダンスやピアノを始めたこどもが「ありがとう。これからも一緒だよ」と語った事

目の前にいるこどもの存在と笑顔、成長した姿こそ、岩花詩乃さんが守りたいとこども達に尽くしてきた未来そのもの。想いのカタチだ

岩花さんはこどもにクリスマスプレゼントのお返しにと手紙とヘアピンをプレゼントした。こどもは渡したかったクリスマスの時の手づくりキャンドルを岩花さんに手渡した

「またね」 「うん、またね」

別れ際の少ないやり取りの中で岩花さんとこどもは再会の約束を交わした

見送ってくれたHKT48のスタッフさんがこどもに最後に向き合い語りかけた

「オーディションに来るのを、待っているよ」

次の日、3月18日

こどもはピアノ発表会でホールに上がった

その髪には岩花詩乃さんがプレゼントしてくれたヘアピンがあった

「これからも一緒に、みんな頑張っていきましょう」

こどもは岩花さんの気持ちを抱いて、ピアノをステージで演奏した。一人ではなかった

保育園で被災した子は宝物を失い、何かわからない不安や恐怖から心に傷を負った

そこに多くの48グループのメンバーさん達が現れ、手をとり、頬に手を添えて音楽と歌の素晴らしさを伝え、傷を癒し、不安の何倍にも勝る笑顔と夢を与えた

ピアノ発表会が終わったこどもがヘアピンを付けた笑顔の写真を見て岩花さんは

「かわいい。。似合ってますね」

とほめて、こどもが頑張った事を労った

コンサートが終わり、こども達の背中を迎え見送った岩花さんは最後に語った

「わたしにできる事があれば、どんな小さな事でもやりたいです。もっと頑張ります」

岩花詩乃さんはこども達にとって、かけがえのない大切な人として、これからもずっと愛されていくだろう
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【南三陸ジオラマプロジェクトについてと皆さんへ応援のお願い】

震災から7年目の3月11日を迎えた次の日

2018年3月12日から新しく始まる南三陸ジオラマプロジェクトのベース台製作が開始された

皆さんご存じの通り、南三陸ジオラマプロジェクトは去年の春から構想に入り、夏から計画準備、秋には現地の皆さんとの連携、冬にジオラマプロジェクトの推進を行うみんなが集まり今に至る

オレはこのプロジェクトに期間限定の外部補助の一人として、山田町のジオラマ製作の子と参加、協力している

とはいえ、オレは活動が今年の四月いっぱいとなる。オレ無きあとはきっとジオラマの子達がうまくやってくれると確信を持っている

だから今回はオレの主導ではなく、今までの経験をまとめて資料として提出したり、会議や打ち合わせに出席してアイデアを出したりしてきた

山田町のジオラマの場合、ベースとなる部分はあらかた出来上がった感じで提供されており、その後の製作と維持管理をすれば良いだけ(それでもかなりの費用がかかったんだが)だったので道筋を立てるのは楽だった

しかし、南三陸ジオラマプロジェクトの場合はそうしたベースは無く、ジオラマのプロは関わってはいない

メンバーさん達に再び頑張ってもらう、それを応援する人が支える。とは聞こえが良いが、ジオラマのプロや経験者がいない段階からのスタートは非常に困難を極めると言っていいと思う

一から現地の人を応援、支援をする人がジオラマを作り上げていく。それは大変な労力や時間を必要とするものになるだろう

現地の人が自ら動いて維持管理をしてプロジェクトの進行と発展をしていかねばならない、でも見えないものに対して理解を受け入れ自分のものとしてもらう最初の段階はもっと難しい

何よりジオラマに携わる人が重要になる。飽きたから辞める、興味がないから辞める、は通用しない。一度始まれば終わりが来るまで携わらなければならない

自分の住んでいる場所じゃない遠い土地に、そこにいる人々やこども達のために、お金や人生の時間を捧げられる覚悟を持った人達が現れるか、それが最大の課題だった

メンバーが関わるから被災地に協力をする。それは最初の入り口にすぎない。例えメンバーが協力するにしても、終始関わる訳ではない。年間でほんの僅かしかないだろう

今まで何人もの人に会い、協力をお願いして立ち上げてもらった事もある。だが、それはメンバー応援の為であり、被災地支援や復興の本質にたどり着く前に自然消滅する事がほとんどだった

個人事情からすればそれは当たり前で、難しい復興企画やプロジェクトに携わるより、まとめサイトの話題でワイワイLINEで盛り上がったり、誰の握手にいくか、どう推していくかを考え動いた方が楽しい

ジオラマプロジェクトを一から立ち上げる、それに携わると言うことは、そうした楽しさの一環を切り捨て、集まったみんなが莫大な労力と時間、投資費用を用意しなければならないと言うこと

メンバーが好きで応援する人は、その応援する為の時間も費用もジオラマプロジェクトに投資しなければならない。今ある推す方法論と矛盾した行為をしなければならない

だが、可能性があった。オレやこども達にはそれが不可能ではないと言い切れる理由があった

震災から7年、多くのメンバーさん達に出会った。アイドルとしての枠を越え、自らの責任や決断で継続的に応援や支援を行ってくれる勇気あるメンバーさん達に出会えた事

遠い被災地の人々やこども達に未来を託し、何年間も応援や支援を継続的に行ってくれる人達に出会えた事

それの全てを受け入れ、自分達が主導し運営管理を行い、必ず発展や復興の成果に辿り着こうと覚悟を示した現地の人々

この三者が常に連携すればプロジェクトは止まることはない。いついかなるカタチでも、必ず喜びはあり、成果を出し続けていく事ができる

南三陸町ジオラマプロジェクトは5人のメンバーさん達を選んだ

被災地支援が夢の一つである後藤萌咲さん
被災地のこども達の理解者である岩花詩乃さん
被災地の為に自らの動く意思を持つ湯本亜美さん
被災地のこども達に声を届け続けた山尾梨奈さん
自分の夢と未来の為に作る力を持つ西澤瑠莉奈さん

バラバラの5人だが、オレや見届けてきたこども達、支援や応援を継続してきた人達ならきっとわかるはず

誰かのためにプロジェクトが生み出した運命の5人。新しいジオラマとこども達、復興や発展を担うに相応しい精神と勇気、可能性を持ったメンバーさん達だと

そしてこの5人のメンバーの旗のもとに集っていたファンの人達が、オレの代わりになり、グループも推しも違う中で集まり手を結んでくれた

団体名も決めず、表に出る事なく、ただメンバーやこども達の為に投資を約束し合い、支援や応援を表明し集まったファンの皆さん。オレ一人なんかより遥かに強力で確かな存在となった

新聞や報道に載るなら、出し合った資金を封筒に入れ自治体の代表に手渡せばいい。でもそれをしない選択をしたファンの皆さんに心から敬意を表したい

全ては見えない未来のため、そこに住む人達、こども達が手を出せば触れられる夢を現実のものにするためだ

そして南三陸ジオラマプロジェクトは遂に2018年5月から正式にスタートする事になり、困難だったジオラマベース台などの製作に入った

オレの夢は、夢ではなくなった

ようやくオレやこども達の夢は手元を離れ、誰かの夢や未来になる為に委ねられる時が来た

恥ずかしい話だが、結局は皆さんの支援や応援に頼るしかなかった。でもそれしかなかった、何年間も見てきて一番信頼できる人は支援や応援をしてくれた皆さん以外にはいないからだ

ジオラマの設備や電気機器の維持管理メンテナンスは現ジオラマスタッフが引き継いで、これからもコミュで進展の報告などをしていく事になった

南三陸ジオラマプロジェクトのオープンは2018年5月とみんなが定め、今は見えないところでそれぞれが自分に出来ることをしている

あと一カ月半、あと僅かだ

ここまで進めてくれたメンバーの皆さん、48グループのスタッフの皆さん、南三陸町の皆さんとそれぞれのメンバーのファンの皆さん、支援や応援を続けてくれている皆さんに改めて感謝の気持ちを述べさせて頂きたい

ありがとう。ここからの夢は全て皆さんのものだ
どうか困難な時こそ、自分より他人を信じる勇気を持って欲しい

南三陸ジオラマプロジェクトの進展と成功を心から祈りたい

そして南三陸ジオラマプロジェクトはまだまだ支援や応援は必要な段階だ、スタートまであと一カ月半。皆さんのご支援とジオラマ基金の応援を、どうかよろしくお願いします

【南三陸ジオラマプロジェクトのベース台製作ご支援のお願いです】

南三陸ジオラマプロジェクトがスタートするにはジオラマベース台とアクリル保護ケースが完成しなければなりません。ファンの皆様と支援者の方にご協力をして頂いておりますが、皆様更なるご支援を何卒宜しくお願い致します。

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東日本大震災から7年目の日を向かえた

未曾有の大地震は死者、行方不明者1万8434人、いまだ7万人ほどの人が避難生活を続けている

岩手県では死者4672人、行方不明者1122人、計5794人が犠牲となった

震災後、すぐに沿岸部に向かってそのまま支援の担当となり、避難所の管理や学校施設の再開など色々と任せてもらった

生きてきてこんなに「死」と「生」に向きあった事はなかった。携帯が鳴るのが待ち遠しくもあり怖かった、それはオレにとって大切な人が「見つかった」という連絡で、どちらかの結果だった

「キバさん、あそこに死んだ人がいたよ」

こどもが海岸に流れ着いた亡骸をみつけ教えてくれた事も珍しいことではなかった

深夜の避難所から遺書を残し居なくなった人を一晩中探した事もあった。亡くなった奥さんとこどもの元にいこうとしていたのだと悟った

亡骸を寝かせた体育館に何度も足を運んだ。泣き声や嗚咽がどこからでも聞こえた。仮設住宅に足を運び、何度も手を合わせた

誰も恨めない。天はなんと残酷なのか、奪いたいだけ奪い、残す者だけを残していく

震災後しばらくのあいだみんな貧しくなった。よりそってあるがままに生きる生活に馴染めず、悩み、選択も出来ない時間と、光が見えない未来に苦しむ人が多かった

「本当の孤独は集団の中で生まれる」そう思った

オレは縁者だけで26人のかけがえの無い大切な人を失った。自分の周りに居た人々がたった1日でいなくなった事がキツかった。まわりで笑う人や泣く人が居てもいつの間にか同調することをしなくなった。空っぽだった

憎くなった。意味は無い、ただただ自分を取り残した全ての世界が憎いのだ。そしてどこかに行きたくなる、待っている人などいなくなったのに、どこかに帰りたくなって仕方なかった

音楽が嫌いになった。笑う声も聞きたくなかった。心に触れてほしくなかった。そして人を信じる気持ちがなくなっていった。全てが自分に対する哀れみのように思えてしまうからだ

「CDとか聞いたらだめですか?」避難所でこどもが恐る恐る聞いてきた

「他の人の迷惑になるからダメだ」オレは即答した

「音楽が聞きたい」「勉強がしたい」「普通に暮らしたい」
「公園にいきたい」「テレビがみたい」「学校にもう住みたくない」

こども達は親に言えない事を何故かオレには打ち明けてくれた
縁がないから、誰にも言わないから、言いやすかった違いない

疲れた。もうそろそろいいだろう。ここまでにしよう
そう思って避難所の入り口で立ち上がったときに、一人のこどもが前に立った

「山田高校にAKBがくるんだって!見にいってもいいですか?」

いっぱいに水を汲んだペップボトルを抱えたこどもだった
親の手伝いで夜に必要になる水を汲みにきたんだろう

そんなに見にいきたいのかと聞くと、笑顔で「うん!」とこどもは応えた
でも避難所はそれぞれ別に管理をされていたので、その子は見に行く権利は無かった

行っても見れないかもしれないよ?と渋々許可をだした。こどもは嬉しそうに「やったー!」と喜んでお母さんと手とつなぎ一緒に見に行った


そこから7年が過ぎた


ああ、もう7年目なのか。という感じが正直なところだ、実感が無い。昨日のことのように、その子の笑顔と喜びようは覚えている

ありきたりの言い方になってしまうが、震災や天災、事故に遭った人達には区切りや終わりの時間などない。生きている限り、明日に向かって歩み続けるしかない

地震が起きた事が不幸ではなく、それまで当たり前にあった命と時間と環境が奪われてしまった事が不幸なんだ

道路もできた、建物も増えた、消えたものがあれば、生まれてくるものもそれに比例する。復興の現場では忙しく働く人が多い、前向きな人、あきらめる人色々だ

橋を作る人は「道路はどうなっている?」と聞くこともあれば、「橋はどうなってる?」と道路を作る人が聞く。試行錯誤で毎日パズルのピースを埋めるように少しずつ風景が変わっていく

人が多く訪れる被災地もあれば、閑散とした地域もある。前のようにみんな集まる機会はなくなったが、それぞれの時間と生活に切り替わっていった証拠でもある

それでも手作りで出来る事を頑張っている人はいるし、前向きに生きている人に出会う。まだまだ時間はかかるけど頑張って欲しい。と思う

オレはどうなったかと言うと実はそんなにかわってはない

変わったと言えば、多くの心優しい人に出会ったこと、机の上に多くのこども達の写真や48グループのメンバーさん達の笑顔の写真が飾ってあるぐらいだ

みんなそれぞれ違う環境だが、笑っている写真だ

ふと顔を上げると、狭いトラックステージの上でメンバーのみんなが笑顔で歌って踊っていて、こども達は一番前で手を振って応援をしている

被災した時、幼稚園だったこどもが小学生になって笑って歌とダンスを楽しんでいる

大人の目にどう映るか、評価されるのかは問題じゃない
この子の目になにが見え、どんな歌が聞こえたのか

それを想えばこそ、そこにある全てがかえがえのない素敵な世界だ

そして思い出すんだ。大人はいつだって、少し頑張ればこども達に夢を与えれる。 それは、どんな形であれ自分の世界から一歩踏み出す勇気があってこそできることなんだと

心に響くのが音楽なら、個々の感受性に届けばいい。感じる人が多ければ名曲と言われるし、心に触れる人に出会えたならそれは守らねばならない大切な人だ

震災から7年が経った

忘れる人も居れば、忘れない人もいる。人それぞれで正解は無い
だからこそ人はいつだって今自分に出来る事をやるしかない

どんなに辛い状況でも、幸せを感じる瞬間は必ず訪れる
幸せってのは状況じゃない、誰かと向きあった瞬間なんだ
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2018年3月4日に開催された3県同時の復興コンサートのレポートなのさ、機会があったら読んで欲しい。ヨロシクだ👍
「東日本大震災から7年 復興支援コンサート
〜誰かのためにプロジェクト2018〜」レポート

2018年3月4日、岩手県釜石市、宮城県女川町、福島県南相馬市の三カ所で誰かのためにプロジェクトの一斉訪問コンサートが開催された

一ヶ所で8名のメンバーさん達が訪問、全員で24名。訪問回数は67回目を向かえる

今回は釜石市の訪問コンサートのレポート。メンバーさんは

岡部麟/高橋朱里/村山彩希/松村香織/
山本彩/田中美久/荻野由佳/瀧野由美子

以上、8名のメンバーの皆さんが訪れて笑顔と元気を届けてくれた

岩手県釜石市に以前訪れたのは2015年3月、第47回目の訪問から実に2年ぶりの訪問となった。会場は新しく作られた「釜石TETTO」、複合のホールでコンサートやイベントなどができる新しい施設だ

東日本大震災は2011年3月11日午後2時46分に発生

岩手県は死者4672人、行方不明者1122人、計5794人の方々が亡くなった。家屋被害は26077棟※29年2月28日現在の時点※

訪問した釜石市は震災での死者は888人、行方不明者152人、家屋被害は3656棟となっている。津波の高さは20メートルを越えた場所もあった。釜石市は復興、発展の段階にある町だ

「少しでも皆さんの元気の力になれば」、「こども達に楽しんでほしい」

誰かのためにプロジェクトの根幹にある大切なものは7年間、67回の訪問が続いても変わる事はない

訪問コンサートでは全13曲が披露され、それぞれの会場を電話でつないだり、じゃんけん大会があったり、お客さんとの楽しいやり取りなどもあって会場は楽しい空気で満たされた

鋭く軽妙なMCで会場を笑わせてくれたり、じゃんけん大会はアドリブでお子さん優先にしたり、途中で入ってきたお客さんを歓迎したりとメンバーさん達の個性や想いでコンサートは進んでいく。いずれも会場の皆さんと一緒に作り上げていく

会場にお客さんやこども達の笑い声があがったり、365日の紙飛行機が披露され前列のこども達や親子から自然と歌声があがり、合唱になる光景をみると「この人達が未来を作っていくんだな」と胸が熱くなる

訪問は67回目になるが、メンバーさん達やスタッフさん達は「活動は当たり前」の意識はあるが「活動に慣れる」と言う事はない。今までどの訪問もみんなが真剣で誠意をもって行なってきた

オレが見てきた感想になるが誰かのためにプロジェクトや訪問活動は、経験や技術は必要とされない。大切な事は「それぞれ自分の優しい気持ちと笑顔を相手に直接に伝えること」だ

それは今まで来てくれたどのメンバーさんでも力量や知名度の優劣は無いし、集まったお客さんの数など問題ではない

一人でもいい、会場に来たこどもに「楽しかった」と笑ってもらうことだ

訪問でメンバーさん達は力を合わせ、こども達や現地の人に歌うことの素晴らしさ、体を動かすことの大切さ、伝えるという事は生きる事の根底にあるエネルギーだと言う事を伝えてきた

「一緒に歌いましょう!」それがどんなに素晴らしい事か、体験をする事で日常の視点が少しずつ変わって明日への一歩の勇気になる

訪問コンサートには多くの方々がくる。その中には訪問を見てファンになった人もいれば、ずっと最初の訪問から見てきたこども達もいる、歌が聞きたいというお年寄りの方も来る、遠方からファンの方が来る事もある

7年前の訪問から駆けつけ応援をしているこども達は、幼稚園の子が小学高学年に、中学生だった子はもう成人になる、それでもみんな笑顔で駆けつける

AKBだから、ではない。自分にとって大切な人がまた帰って来る。そうした気持ちなんだと現地の人やこども達、親御さん達から教えられる

オレはずっと昔、訪問ライブで告知が行き渡らず人が集まらないときになんとかしようと努力をした時がある。でもスタッフさんはオレに教えてくれた

「人を集めたいなら、オフィシャルで大々的にイベント開催すれば言いだけの事。誰かのためにプロジェクト訪問はそうじゃない。例えおこさんが10人しか集まらなかったとしても、それは10人のおこさんにために訪問に来たと言うこと。その子達に心から楽しんでもらえる体験にする事が大切なんです」

訪問コンサートが終わり「可愛かったね!」」「良かったね!」とお土産のグッズを嬉しそうに持って帰るこども達や親子の姿を見て、メンバーのみんなが遠くまで来て、何を伝えてくれたのかを改めて知ることができる

今から6年前の2012年の1月、震災の影響が多く残る中でメンバーの皆さんやスタッフさん達と誰かのためにプロジェクトについて話し合ったことがある

「いつまでこの活動を継続するんですか?」と聞いたオレにメンバーさんやスタッフさん達は「いつなら復興は落ち着くものなのでしょうか?」と聞いてきた

オレは「復旧に3年、復興に3年、発展に4年、少なくとも10年はかかる見通しとなっています」と告げた。それに対して48グループの皆さんは

「わかりました、10年か。終わりを決めないでやっていきましょう!」

とオレの肩を叩いて、笑って言ってくれた。今でも決して忘れる事はない

保育園の頃から誰かにためにプロジェクトの訪問活動に駆けつけ応援しているこども達はもう小学校5年生になる。ずっと48グループが大好きで、訪問で歌やダンスの楽しさを知って、今はダンススクールに通うようになった

その子は訪問コンサートが終わって笑顔でオレに教えてくれた

「今度、この釜石ホールでダンスの大会があって出場するんだよ、今度はわたしがメンバーみんながんばった同じステージに立つんだよ」

震災から7年目、誰かのためにプロジェクトの訪問は7年で67回目を向かえた。メンバーの皆さんが伝えてきたもの、守ってきたものは、ようやく現地で花を咲かせ広がろうとしている
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2018/03/06
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