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minoru shiokawa
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第3章 NPO所属時代 2008年2009年2010年
NPO所属時代。2008年2009年2010年は、自分にとって、思い出したくない苦しい時代だった。 今まで、考えたくない気持ちでいっぱいだった。 結論としては、1期生、2期生、3期生と100人近くに日本語を教え、40人くらい日本に研修生として送り出した。自分が送り出した研修生が日本の受入農家との間で、トラブルが続出した。 通訳兼、日本の農家さんに謝りに、3日間だけ日本に帰ったりもした。 花の事業は、病気が出て失敗してしまった。自分に力量がないということで、後任の方がやってきた。また、片山さんもバンメトートに合...

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第3章 NPO所属時代 2007年
片山さんからは、いろんなことを教わった。 産直運動の話や、 「農家の目線になれ。」 「交渉力が大切だ。」 「消費者と生産者との交流から安心は醸成される。」 「正義を貫こうと思えば、したたかにならんとイカン!」 「正しいことを言うことが正しいとは限らない。」 など。 生協の人達との会議で、 「国産、国産と言うけれど、中国やフィリピン、ベトナムの研修生が労働の担い手になっちょるやないか。これで、国産と胸を張って言えるか。ワシらがベトナムでちゃんとしたものをつくるから、買ってくれ!」と説得したという話。 「ワシらは...

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第3章 NPO所属時代
日本語の教室を借り、生徒も集め、日本語教室も始まった。 花の事業も、竹のビニルハウスを建て、試験栽培も始まった。 待つだけの日々から、毎日忙しい日々となった。 文化の壁、ことばの壁もあり、一喜一憂の日々を過ごす。 農家さんと仲良くなったり、公安の人達とお酒を呑んだり、政府関係の人たちへの書類を提出したり、ありとあらゆることに忙殺されていたと思う。 NPOから、毎月400USDを支給されていた。これは、活動費+生活費として使い、残った分は貯金していた。活動が忙しくなるに連れ、活動費の方が増えて来て、確か、もうお...

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第3章 NPO所属時代 2006年
ダクラック省政府の許可がいつまで経っても下りない。 中央政府の許可が下りたんやから、省政府もすぐやと思っていたけれど、 小栗さん曰く 「王権も村の中までは入ってこないということばがベトナムにはある。」という。 その頃、某大手花の会社が、ベトナムで花の事業をしたいとのことで、 片山さんのプロジェクトに興味を持って話があった。 片山さんの考えでは、日本の有機農家、関係会社にベトナムの農家の子弟を研修生として受け入れ、農家で一年間働いた後、ベトナムに帰国。帰国後研修生とともに、事業を構築するというもの。 なかなか、...

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*第3章 NPO所属時代 2005年12月 2006年1月6日 *
そうこうしているうちに、ダクラック省の科学技術協会の副会長 TRIさんから、もうすぐ、許可が下りるとの連絡を受けた。自分がベトナムに来てから、6ヶ月経っていた。 自分もいよいよ、バンメトート市に引っ越すことになった。 TRUNGさんが、従業員といっしょに、マイクロバスを借り切って、社員旅行とばかりに、バンメトートまで見送ってくれた。 お別れをして、TRUNGさんと、社員の人たちは、マイクロバスに乗って、また、BINH DUONG省に帰った。後で、ワーカーの子に聞いたのだけれど、TRUNGさんは泣いていたらしい...

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第3章 2005年 NPO所属 小栗さん
小栗さんは、シータスという印刷会社を経営するおじいさんだ。 元々、学生運動の過激派のブントというセクトに所属していたとのこと。 ベトナムには、当時、ベトナム戦争反対運動に青春を燃やしていた闘士が、 我が青春のベトナムよとばかりにやってくる。 片山さんとも付き合いが長く、TRUNGさんとも長い付き合いとのことで、BINH DUONG省のTRUNGさんの工場によく訪ねて来た。 いろんな指示を受け、みつろうを使い、石鹸やキャンドルをつくったり、らっきょうを乾燥させたり、海ぶどうの調査や、ニームの木を探すことや、小栗...

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第3章 NPO所属 2005年
ベトナム語は、発音が命。 あいうえおの母音が11個ある上に、日本語にはない子音もあるし、 その上、声調記号が6個ある。 TRUNGさんの指導は、「発音をとにかくマスターしろ!言葉の意味を覚えるなど後回しだ。 発音さえマスターしておけば、ご飯を食べるときも、酒を呑むときも、テレビをみたり、カラオケに行くこともすべて、勉強になる。発音がだめなら、何年ベトナムに居ても、ベトナム語を話すことはできない。」とのことで、語学の天才であるTRUNGさんが言うのであるから、間違いないとTRUNGさんを信じて、毎日、発音を繰り...

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第3章 NPO 2005年
NPOに所属していた期間は、最初は、1年だけのつもりが、結局、2005年3月から2010年6月までの5年間続いた。そのとき思い出は有りすぎて、うまく書く自信がないので、印象に残っているエピソードを少しづつ書いていこうと思う。 許可もなければ、教室も、生徒もいない。まずは、ベトナムの生活に慣れるということ、許可の申請をしながら、ベトナム語を勉強しなさい。ということが、自分に与えられた指示だった。 最初から、田舎のバンメトート市はきついので、ホーチミン市から北へ40kmのBINH DUONG省の工場に居候すること...

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3章 NPO 2005年 3月12日
忘れもしない。2005年3月12日。記念すべき日。 ホーチミン市に到着した。空気が熱い。また、ベトナムに戻ってきた。 有機農業をベトナムに広めるメンバーの農家さんや流通業者さんや、通訳の方々や、大学の先生や学生とともに、自分が日本語を教える予定のダクラック省バンメトート市へ。 地方政府の外郭団体、NPOのカウンターパートナーになるダクラック省科学技術協会にあいさつに行く。会議、会議の連続だった。 その中でわかったことは。NPO活動をするには、ハノイの中央政府の許可を取る必要があるとのこと。 要するに、日本語ボ...
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