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夏史邦
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続・文在寅回顧録――富裕層の子らの中で…
■目立たない子だった 小学校時代、私は目立たない子どもだった。背が低く、体も弱かった。とても内向的で、先生の関心を引いたこともなかった。授業時間以外に先生ととくに話したという記憶もない。実際のところ、貧しい地区にあって 1 クラス 80 人を超える児童がいたのだから先生も一人一人を注意深く見守るということはできなかったと思う。 学期末や学年末に先生は通知簿をくれた。「秀」「優」「美」「良」「可」の 5 段階だったが、 5 年生まで私は「秀」はめったになく、ほとんどが「優」か「美」で、「良」もあった。 3 段階...

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続・文在寅回顧録③――弁当がなく、トウモロコシ粥すすった
■学校への納入金を出せない子がいた 小学校の時、毎月学校に納めるお金があった。初めは「月謝」といっていたが、のちに「 PTA 会費」という言い方にかわった。それが 6 年生のころには、また「育成会費」という名前になったと記憶している。貧しくて、そのお金を期限内に納められない子が多かった。 担任の先生はそんな子の名前を呼び、督促した。立たせて叱りつけたりもした。それでもお金を持ってこない時は、家に行ってお金をもらってくるよう、授業中に教室から追い出した。 1 クラス 80 人ほどだったが、そのように追い出される...

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続・文在寅回顧録②――母を手伝い、リヤカー引いた
■父は興南市で農業課長 父は日本の植民地時代に咸興農高を出た。土地の人たちは「咸興農業」と呼んでいた。「咸興高普[高等普通学校]」とともに咸鏡道地域の名門だった。父は近隣で秀才といわれたという。 幼いころの父を負ぶって育てたという伯母の話では、入学試験の前もとくに勉強している様子はなかったといい、一族ではもちろん、近隣でも咸興農業に入ったのは父一人だけだったという。卒業後、父は公務員試験にパスし、北朝鮮政府の治下、興南市の農業係長をした。 当時、共産党への入党を強要されたが、最後まで受け入れなかったという。短...

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続・文在寅回想録――ルーツは北の地域/朝鮮戦争で南に避難
韓国の野党「共に民主党」の大統領選候補に決まった文在寅(ムン・ジェイン)氏( 64 )についてこれまでその回顧録『運命』( 2011 年、ソウルで出版)の一部を拙訳で紹介してきた。弁護士時代のことが中心だったのだが、読んでいただいた方から「ほかの部分も…」という声が届いた。 たしかに、興味深い部分はほかにも多い。というわけで、弁護士時代のことはいったん打ち切り、他に目を引いた部分を抄訳してみたい。まずは、彼のルーツと生い立ちから――。   ■「興南撤収」で故郷離れる 私の父母の故郷は、咸鏡南道興南である。わが...

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文在寅回想録⑤――労働者に寄り添って
■機関員の監視 当時の盧武鉉弁護士はいま考えると、まさに激烈だった。初めて信仰の道に入った信者が、古くからの信者以上に信仰生活に熱情的なのと、どこか似ていた。 私には「弁護士なのだからやれる範囲はここまで…」という、自ら設定したラインがあった。私に限らず、みながそうだった。弁護士には弁護士のやりようがあるというのが一般的な考えだった。しかし盧武鉉弁護士はそうではなかった。正しいと思うとおりに行動した。のちの政治家・盧武鉉も同じだった。 公害問題研究所釜山支部ができると、そこで活動する人たちは情報機関の監視対象...

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文在寅回想録④――身を律し、正義を求め…
■「反公害」を名目に… いろいろな時局事件をほぼ一手に引き受け、地域の在野の人たちとも近しくなった。当時、釜山の在野勢力を率いていたのは宋基寅神父と、いまは亡き釜山中部教会のチェ・ソンムク( 최성묵 )牧師だった。 小説家のキム・ジョンハン( 김정한 )さんは年老いておられたが、いつも私たちを励ましてくれ、いざという時には直接前面に出てくれたりもする精神的な支柱だった。これらの人たちを中心に 1984 年ごろから在野の民主化運動団体や人権団体が復活し始めた。釈放された釜林事件のメンバーらが主に実務面を担当した...

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文在寅回顧録③――人権弁護士
■悪弊 事務所の運営は概ね、うまくいった。当時はまだ、法曹界全体の人数が少なく、開業弁護士も少なかった。裁判官や検事を経ずに司法研修所を終えたばかりの開業だったが、それでもけっこう仕事があった。その次の年度から、司法試験合格者の数が多くなって弁護士もどっと増えた。私が恵沢を受けた最後の年次だったといえるだろう。 開業の日、ある医師の夫人が開業広告の載った新聞の切り抜きを手に事務所を訪ねて来た。若くて開業したばかりなので却って一生懸命やってくれるのではないかと思って来たという。民事事件だったが、それが初仕事だっ...

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文在寅回顧録②――盧武鉉・文在寅合同法律事務所
■同じ世界に住む人 盧武鉉弁護士の事務所は、裁判所や検察庁近くの釜山・富民洞にあった。地味というより、すこし見ずぼらしい建物だった。裁判所の正門の方ではなく、後門の側だった。事務所内はけっこう広かった。 そこで盧武鉉氏と初めて会った。その出会いが、私の生涯の運命と結びついていくことになろうとは想像すらできなかった。初めて見る盧武鉉弁護士は若かった。 1978 年に開業していたのだが、私が参入するまで釜山で最も年が若く、司法修習の期数も若い弁護士だった。印象からして違っていた。 もちろん、その時の私はそう多くの...

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文在寅回顧録――盧武鉉氏との出会い
東京で新たに法律事務所を開かれた弁護士の Y さんへ。 おめでとうございます。あれは、もう 10 年以上も前のことになるのですね。新聞社で報道カメラマンをしていたあなたが突然、「弁護士になる」といって社を辞め、法科大学院に進むと打ち明けられた時は、率直、驚きました。 もともと旧帝大系の法学部を出ておられたことは知っていましたが、あなたはもう 40 歳を過ぎていました。私は口でこそ、「大賛成だ」とは言ったものの、内心、心配でした。 実際、京都で過ごされた法科大学院時代、何度か付き合っていただいた酒の席で、あなた...

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「最終、不可逆」はあり得るか②/直接語らぬ安倍首相
慰安婦問題に関する日韓合意を「被害者中心のアプローチでない」とした国連女子差別撤廃委員会の最終見解( 2016 年 3 月 7 日)に日本政府は激しく反発した。 ■潘基文氏の「豹変」 菅義偉官房長官はさっそく、その翌日(同 8 日)午前の記者会見で「極めて遺憾で受け入れられない。潘基文国連事務総長を始め米国、英国なども日韓合意を歓迎しており、批判はまったく当たらない」とし、国連側にその旨を強く申し入れたことを明らかにした。 *首相官邸 HP ( http://www.kantei.go.jp/jp/tyouk...
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